今は2024年12月17日
あまり言いたかないけどさ
中山美穂さんの事故を受けて
灘高~現役東大理Ⅲ
更には外国でも研鑽を積み
弁も立つ優秀なお医者さん。
良い発信も沢山されているが
首を傾げることを言われた。
youtubeにて
『コロナがコワイとほざいてた
人いっぱいいますけど
コロナで死ぬ人とお風呂場で死ぬ人
って同じ位なんですよ
あんな程度の病気で外にも出るなとか
人ともしゃべるなとか
緊急事態だとか言うんだったら
お風呂禁止、シャワーだけにしろ(中略)
それと同じくらいバカなことを
コロナ対策でやったと私は思ってます』
(言葉遣いもそのまま文字起こしました)
反対派は快哉かもしれんが頭がクラクラした
今は2024年12月すぎだよ。
主旨は分かるし、一般を納得させるには
分かりやすい例えなのかも知れない。
が、未だにこれじゃ
W浦先生にせせら笑われるだけ。
風呂の事故死と感染症の差が分かっていない
風呂の事故死は連鎖しないが、
感染症はあっという間に広がる
故に広がりを抑える必要があって、抑えたからこそ
風呂の事故死と同程度に収まったのだという
壺理論を振りかざされて、却って逆効果なのだよ。
反駁するには突拍子もない比較は御法度
『こんな程度の疾病にタイサクは要らない』
だと「タイサクに効果がある」
前提になってしまう
おそらく感染症専門医は
2020年以前はこうした風潮、扱いの低さに
頭を悩ましていたのだと想像する。
だから溜息交じりに余計に反発するはずだ。
あくまでもタイサクそのものの効果
に絞らにゃダメ。
(無症状感染がコワイと
マスクの出来ない人をバイ菌扱いし
問答無用でハイジョするような)
(人との接触を絶対悪とし
子どもたちの行事を奪ったり
病院の面会を完全遮断するような)
(不自由を抱えた病人に問答無用で
苦痛を伴う検査を頻繁にするような)
あそこまで極端な犠牲を強いて
肝心の感染そのものの抑止に
奏功していましたかってこと。
推進側の数字が精緻かどうかってお話。
チェリーはありませんでしたかってお話。
明らかな弊害とバランスが
取れてますかってお話。
反駁側は数字のマヤカシについて
少しでもつつく必要がある。
冒頭の先生はこんなことは
先刻ご承知で頭の中にあって
言葉足らずだったのだとは思う
しかしなぁ、溜息しか出ない。
あくまで科学的手法について
だから有効数字の議論にもなるし
致死率のお話にもなって
反駁側がIFRとCFRを混同するのは論外。
推進側の捕捉率が大雑把なのも論外。
こんなことさえ抑えず、
感情だけで反駁するからアカン。
アカデミックの罪は重すぎるよ。
問題の根本が分かってない人多すぎ。
だからW浦関の「押し出し」
一辺倒にやられてしまった
初期に少しでも声が挙がりゃ
こんなことにはならなかったはず
有効数字をつつくなんて
初歩だったんじゃないのかな。
数字の信憑性に疑義を呈するのに
最も分かりやすかったろうに。
これじゃぁなぁ
何か一気に脱力した
気力も湧いてこない
内田樹さんといい……
光が見えてこない
これ結局自分こそが
傲岸で間違っていたんだな
もうほぼ5年経った
しかしいわゆるプロが未だにこれじゃ
ものすごく哀しい
今度の鬱は本格的にヤヴァそうだ……
所詮minorityの苦しみは
置き去りにされるのか
科学的にも哲学的にもズレまくった議論
これじゃ確実に同じ愚は繰り返される
あっこ の書き方自体傲岸か
大多数の人からすりゃ
さいじょう いの問題たり得ないのだから
全体主義アゲインも単なるお祭りで
害もさしてないんだから
