国民審査
おそらく投票の殆どが白紙。
多分9割近く。
ついで多いのが全部バッテン
その次が右側にだけバッテン
今回は全部バッテンが激増した。
これじゃ機能不全ですね。
白紙は『無条件信任』を
意味しています。
よ~く考えれば
これってオソロシスなのですが
このことが重大な問題と
捉えられていないことが
問題だと思うのですよね。
この積極的意思なき白紙が
せっかくの制度を形骸化させています。
国民審査に関しては
投票所に行かないよりも
行って何も考えず
(判事の判例も読まず)
白紙を入れることの方が
悪になっているのではないですか。
(意思なき白紙が多いことの傍証
以前も書きましたが
大体投票所に広報がないこと自体オカシイ。
提出を求めている人も見たことない。
みんな頭の中に入ってるの?)
ですから、いっそのこと
『何も考えずに
白紙で投票箱へ入れるのは
絶対に止めてください。
その場合用紙は受け取らないか
投票箱に入れず
持ち帰ってください』
こうアナウンスを
徹底したらどうだろう。
用紙を渡す際に逐一確認。
受け取らない人が増えれば
結果は劇的に変わります。
意思ある白紙もあるので
不信任の50%に届かないでしょうが
印象は全然違います。
意識も変わるんじゃないか。
しかしこんな改革案が
果たして
民主主義と言えるのか。
こうすることで
ミンシュシュギが完成に近づく?
これも独善的だな。
ですがアッチとソッチで
『劣等民族』云々で
おままごとするよりゃマシ……
ミンシュシュギの
陥穽と言うべきかも知れませんね
私が一番申し上げたいのは
国民審査における白紙委任は
コ口ナソードーにおける
権威盲信・猛進と同根では
ありませんかってこと。
『まさかお医者様が、裁判官様が
オカシナ事をするわけないじゃ
あ~りませんか』
という全幅の信頼感ですね。
これを真っ向から
否定するわけじゃありませんが
もう少し疑念を抱いても
良いのじゃあ~りませんかね。
何故なのか。
お医者様も裁判官様も
全知全能の神じゃないのですよね。
昨今は双方ともこの認識におそろしく
欠けていやしませんか。
ミンシュシュギの陥穽でもあるわけですが
こと空気国家の本邦に於いては
より深刻です。
蟻地獄の穴に両足突っ込んでる
ようなみたいなもんで
他人事だと思っている貴方も
みんな沈んでしまいますよ。
変えられるところから
地道に変えないと
ヤヴァイと私は思っています。
私はもう手遅れですが
若い世代はこれからでも
間に合いますよ。
何でも当たり前と疑問を抱かず
流されるのはダメだと思うのだ
ワシ以上のバカなのだ ||:3ミつ
当たり前を疑おう なのだ