前回書いたことで

言葉足らずで

気になったので

念のための付記

やっぱ植松某とは絶対ちがう。

断じてちゃう。

かつて石原慎太郎先生が

重篤な障害を抱えた人を見て

前世云々と言った。

あれこそが差別。

植松某に近い。

 

若いときからハンデがあって
全力で生きようとしている人はいる。
救いの手を差し伸べるのは当然であり
冷たい目を浴びせるのは
最も醜悪な差別である。

 

最近施設建設を巡り

反対運動で断念したという

ニュースもあった

社会全体がオカシナ

差別に向かっているように見えて

仕方がない。


私が前回述べたのは

自然な老化についてである。

現状の医療、タイサクは

あまりにもこの点に

無思慮じゃないかって事。

 

自然に枯れる選択もあり得るのに

断じてそれを認めずに

過干渉で不本意に生きながらえさせる

価値観のみをセイギにしていないか。

 

フレイルをオモシロスと言い放てる鈍感さ

が象徴していませんか。

わざわざ健康寿命を損ねる

衰えを加速させている認識が

果たしてあるのですか?

 

結局は我々に

全てかえってくる話では

ないですか??