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右横のおすすめブックマークにも

貼っていますが『mathキン』って

短い動画なのにクオリティが高くて

結構ハマッテいました。

mathキンがお勧めに挙がるまで

HIKAKINさんの動画を

ほとんど見ていなかったので

本人の動画とずっと思ってました。

 

HIKAKINさんって

私の想像以上の人気者で

彼を素材に二次創作動画を流す

『ヒカマニ』さんが

多数いらっしゃるのだとか。

『mathキン』も

そのうちの一つだったんですね。

なかやまきんに君でも

同じような面白い数学系動画があり

遅ればせながらそれで気づきました^^;

 

さて、ここから本題

いまHIKAKINさんが

話題になっているので

同じようなことを

私なりに書いてみます

 

 

そもそも謝罪する必要あるんですかね?

HIKAKINさんの対応を責めるのは

お門違いで、心苦しいのですが

しかし、これを絶賛するのは

とても危険なことだと思います。

 

これも週刊文春がここ10年くらいに

醸成した「こわばった空気」ですね。

 

いや彼らも商才に長けていて

紙媒体の生き残りで必死。

日本人の気質を見越した対応により

醜さを可視化させたとして

むしろお見事と讃えるべきかもね。

 

当事者通しで「小さく解決」すべきものを

さも「社会的通念」に反する行為

徹底的に追究すべきである、

彼らも「セイギのミカタ」気取りです

 

ちいさな矛盾を大きくして喜ぶ

かえって社会全体の被害を大きくする

どこもかしこも一緒ですな。

 

この空気がもたらす弊害とは。

コロナ初期にもありましたね

有名人がコロナ罹患で謝罪するの。

あれも本質的には一緒。

 

お見舞いより先に

罹るのは遊び人、自覚が足りない

と責める風潮があった。

炎上を防ぐには謝罪がベスト

 

しかし謝ってしまうことで

「謝らせることがセイギ」という

「こわばった空気」を

より加速させてしまった。

結果、罹患したことを苦に

自殺された方もいた。

 

HIKAKINさんも同じでしょ。

なるほど、個人の対応としてはベスト。

しかし全員が同じことをして

剰えそれを殊更美化しまうと

社会はオカシナ方向に進みますよ。

 

これも合成の誤謬ですね。

 

 

劣化したセイギの相続とも言える。

これを感染症に倣って数式化すると

セイギの実効再生産数Rtが

1未満となり受け継ぐこと。

最初のセイギをJ1

n年後のセイギを Jn とすると

Jn=J1×Rt^n

Rtが1未満だと

Jnはやがてゼロになるのです。

 

みながヒステリックになり

劣化したセイギを伝承し続ければ

この世から本物のセイギは

消えてしまうのです。

 

偏狭なセイギカンで

常にイジメ対象に

血眼なんじゃないか。

マツリだ、祭りだ、血祭りだぁ

もっと怒るべき事が

他にあるんじゃないか。

発想の転換が必要。

 

 

よって

私はつまらないことで

社会に向けて

謝る必要は一切ない

むしろ止めるべきと考えます

 

わざわざ矛盾を大きくすることはない

当事者通しで小さく解決すりゃ良いこと。

 

どーでもいいつまらんことに

怒りのエネルギーを浪費し

巨悪に向けるエネルギーが

欠けてしまったら元も子もないよ。

 

追究すべきことはウヤムヤ

取るに足らないことを大騒ぎで

謝罪をさせる。

大衆に阿る

イジメに過ぎないですよ。

 

あまりにもどうでも良いことに対する

謝罪が多すぎます。

つい最近も大手ゲーム会社が

取るに足らない

漫画家さんの一言に抗議をした

ユーザーのヒステリーを収めるため

謝罪し漫画家さんを排除する

という極めて馬鹿げた

事件がありました。

集団ヒステリーに屈し

謝ることで苦境に陥る人もいる

新パターンのイジメですね。

コロナソードーが

明らかにこれを加速化させましたね

 

これはですね、ひじょーにですね

このぉ良くない風潮

だと思いますね、ハイ。

 

あっちもこっちも謝罪だらけ

あっちもこっちもイジメだらけ

ヒステリックが止まらない

 

 

古い話をすると

昔はノートは手で書き写しでした。

街にコピー機が出まわるようになり

ノートをコピーし始めたのが

1979年でしたね(私の周りでは)

この曲、歌詞はインパクトが大でした。