今では信じられないだろうが
1970年代半ば
東京の私の周りには
阪神ファンは独りもいなかった。
ほぼ100%巨人ファン
それならまだ良いのだが
巨人は正義で阪神は悪党と
見做すのが当たり前であった。
重松清さんの赤ヘル1975は
まさに同時期なのだが
こと野球チームに関しては、ひたすら、
川上的教育野球マンセーであり
あのような友情が芽生える
余地は微塵もなかった。
とりわけヒドかったのが
田淵幸一さんに対する中傷。
75年に田淵幸一さんが
ホームランダービーを独走していたとき
「あの謹厳実直な王貞治さんから
ふざけた、怠け者、デブの田淵が
本塁打王を奪うのは許せない」
これが当然の風潮だった。
(註:がんばれ!タブチくんが世に出る前
あのような愛あるイジリではなく
単なるヒステリックな全否定)
週刊読売の記事で何故か
「高校野球監督が最も嫌いな
プロ野球選手」
のアンケート結果が掲載
されたことがあったが
ダントツで田淵幸一さんだった。
マスコミが美化するものを鵜呑みにしない
く~だらないと反発する
当たり前を疑う
ここが原点かも知れない。
翌76年10月、野球で遊びながら
デイゲームの阪神巨人戦を
ラジオで聞いていた。
人より野球に割く努力は遙かに多かったが
まるで上達することはなく
クラスのソフトボール大会では
担任教師による
川上的巨人的勝利至上主義で
男女併せて独りだけ爪弾きだったが
お遊びだと親友のO君を中心に
輪が広がって仲間に入れた。
ラジオから
巨人の速球派左腕投手に
田淵さんが「頭部死球」を受けて
退場したという実況が流れてきた。
その時の周囲の反応
「いい気味だ、ざまぁみろ
デブな怠け者が受ける当然の報い」
とにかく巨人こそが正義で
阪神、田淵は邪悪な悪党なのだ。
翌77年、同じような状況で
巨人の選手が死球(頭部ではない)
を受け、代走を送られた。
その時私は小さな声で思わず
「ざまぁみろ」と言ってしまった。
そうしたら打席に入った私に向かって
ボールをぶつけてきた。
相手は少し前にざまぁみろと
田淵を罵っていた人間だ。
「これが○○選手の痛みだ
思い知れ!」
この大時代的な芝居がかった台詞を
未だにハッキリ覚えている。
この時に相手に対する
軽率な発言は一切避けるべきである
と学んだ。
一方的な思い込み、決めつけによる
正義感ほど醜いものはない。
悲しいことだが、巨人教の信者に
思い込みを説得したってどうにもならない。
ある程度譲歩する、聞き逃す姿勢でないと
報復はいつまでも続く。
生活の知恵。
維新の会による二進思考、
ひろゆきのロンパーブームも程ほどに
相手に逃げ道を用意するのも肝要
新しい戦前
私が感じているのは
タモリさんのニュアンスとは若干違うと思う
前記事でも触れたが
イヤ~な空気を感じる
蛇足
こんな事を書くと誤解されるかも知れませんが
私は他チームに対して排他的思想を抱くのは
別に構わないと思っています。
今の「侮蔑的歌はやめましょう」とか
7回に相手チームの球団歌を流す
風潮の方がただひたすら気持ち悪いですね。
要は自らどこで線を引くか
今は『リスペクト』やらで糊塗されて
それが却って曖昧になっていますね。
そっちの方が余程キケン!
これも拵えられた正義感の一種ですね。