編集後記
5類引き下げについて
『マスクについては任意』
テレビのインタビュー
「マスクみんながつけてると外せない」
って答えてるの若者にも多いんですよね。
勿論、これも切り取りかも知れないけれど
世間で起こっている現象とは
つじつまが合っているので
「昔っから一緒なんだなぁ」と
正直思いましたね。

これもずっとブログに書き続けてるんですが
やっぱ『学校教育』に根本的に
問題があるような気がします。
いわゆるリベラルは、教育についても同じで
「権力にたてつくこと」のみで
喝采をあびているだけで、
子どものことなど二の次なんじゃないかって
どうしても思ってしまうんですよね。

事実、子どものマスクは
放置しっぱなしなんですから
どんなご高説を垂れたところで
『何だかなぁ』と
シラケ鳥が飛んでいくのです。
「イジメ、イジメ」ってね。

「マスクの出来ない子ども」に対する
思いやりってどこにあるのか。
センモンカは
コロナの後遺症ばかり煽るけれど
このことで深刻な後遺症を
抱えることだってあり得るんだよ。
 
それを普段エラソーな美辞麗句を教える
教員の大多数が助長していることに
なんで気づかないのかなぁと、
どうしても思っちゃいます。

鴻上尚史さんの「成人式によせて」
という一文が話題になってますが
>リボンの幅が3センチは「高校生らしい」が、4センチになると「高校生らしくない」と論理的に説明できる大人はいないと思います。
>陰湿な奴ほど、ちゃんとした服装をしていじめることをみんな知っています。
一部引用。
全文はこちらから左差し

これも私の書きつづけてきたことと
全く同じみたいですね。
理不尽な価値観、
時にはそれが「人のため」「思いやり」の
偽善の衣をまとっていることがある。
それを問答無用で納得させ、疑問を抱かせないのが
今の教育じゃないのかなぁ。
 
怪獣使いと少年手袋を買いに
 
少年が宇宙人との偏見でパンを
売らなかったおばはん
キツネでも手袋を売った帽子屋。
一見対照的にも思えますが
果たして帽子屋は善意なのか?
 
新美南吉の『手袋を買いに』
小学校教科書の定番だけれど
「あぁいい話ですねぇ」で終わらせて
疑義を呈することを許さないのが学校教育。
だからこそ、ともすれば
怪獣使いの少年における
パン屋のおばはんみたいな
人だらけになっちゃうんじゃないのかなぁ。

ちなみに、時事通信の添削で鴻上さんが怒って
原稿はボツになったそうです。
 
「陰湿な奴ほど、ちゃんとした服装を
していじめることをみんな知っています。」は

『ちゃんとした身なりをしていても、
いじめをする人はいます』
と添削したワケですが
これだと全くニュアンスが違ってしまいます。
時事通信は一体誰に忖度しているのかw
 
『手袋を買いに』もS30年代初期は
文部省によって添削されていました。
母狐が子狐に手袋を買いに行かせる下りです。
今は元の文章通りみたいですが、
その部分に対する違和感は尾木のママ
じゃなくって放置のままです。

教育もマスコミもどこかオカシイですね。
お上、誰かさん任せじゃなくって
個々の意思が発揮されないと
どんな高邁な理想を掲げたって
無駄だと思うのですよね。
 
しらけ鳥音頭といえば
小松政夫さん
 
淀川長治さんのモノマネは絶品。
ギャグ
『なが~い目で見てください』
拙速なチェリーピッキングが跋扈する
今の時代だからこそ
ジックリとかみしめたい金言ですw