1.23記

発売25周年の『街』

『街』 左差し

は10人の主人公が渋谷を舞台に、5日間の時間軸で、

それぞれが異なる人生を歩んでいくサウンドノベル。

10人ごと1つ1つシナリオはあるのだが、ある主人公が取った行動が、別の主人公にも影響を与えることにより、いくつものエンディングが用意されている。いかにもゲームらしい仕掛けであった。

 

以上が前置き、ここより本題です^^

そのうちのシナリオの1つに

『シュレディンガーの手』があった。

 

上矢印元ネタは 『シュレディンガーの猫

スライムもよく理解していないしw
ムズカシイので、説明はWikiにて^^;
 
毒ガス発生装置のある箱の中にネコがいる。
簡単に言えば、人間のような知的生命体が
箱の中を覗くまで、生か死か2分の1の事象は
確定しない、それまでは曖昧で混沌としている
って事らしい 
 
 
これで思いあたる事がある。
私は9月下旬にオミクロンが発症したのだが
私にとって症状は単なる風邪。
発熱と食事に影響しそうな喉の痛み。
成人してから発症は減ったが
未成年時代は、もっとヒドイのを
何回も味わって、医者にはかからず
その度に無理せずジックリ休養で治していた。
 
しかし、ケアマネさんが抗原キットを
持ってきてくださり、それで陽性が確定した。
私にとってはただの風邪だが
検査をしたことで「コロナ罹患者」
3人ともノーワク(よけーなお世話だが)
『えらいこっちゃぁ』と周りがなって
本当に「えらいこと」になり
未だにそれを引きずって生活しているのは
これまで書いてきた通りである。
 
母父の状態も万全ではない
母は急に自力で動けなくなったのに
治療なしで帰された矢先のこと。
私は重いものを抱えると激しく咳き込む状態
通常であれば『風邪を治す間2~3日だけ
母の介護をお願いします』で済んだのだろうが
コロナソードーの最中とあっては
そうは問屋が卸さなかったのである。
(ちなみに私も病院診療を強く勧められたが断固拒否して
自宅療養に専念し全快 したのも書いたとおりである)
 
こんな状態だから推して知るべし。
大変な思いをされた方も少なくないはずである。
交通事故で骨折、コロナ陽性で処置をせず
この類いのニュースが幾つあったことだろうか。
 
コロナが陽性か否かではなくって
症状で選別すべき
ところが世は『シュレディンガーのコロナ』
検査しなきゃ無症状、あるいはただの風邪
というパターンだって多かったに関わらず
検査だと1/2の結果しか出ないものに
ひたすらレッテルを貼り続けて
右往左往した3年間。
 
これに何の意味があったのか
箱を開ける意味があったのか
ゼロか1かを即断する必要があったのか

曖昧放置する余地本当皆無だったのか

それで国民全体の被害を防げたのか
 
スラ仏は3年間ずっと胸に問い続けている 
 
反論として考え得る
自粛・マスクの感染予防効果については
何度も数字で疑問を呈し、
何回もリンクを貼っている
ので今回は割愛します^^;
 
ここで、宇宙のお話
物理ではなく数学的概念のお話。
宇宙は1つではなくって
10の500乗個あると考える。
universe は uni=1つのverse宇宙だが
multiverse マルチ=複数という概念。
 
今の宇宙はその1つに過ぎず
たまたま知的生命体が観察するからこそ
いわば箱を開けてみるからこそ
E=mc^2 とか様々な物理公式に則った
我々の認識する宇宙がある。
 
ここで今我々の住む宇宙そのものを
シュレディンガーの猫の箱のように
1つの箱に入っていると考えてみる。
 
箱の外には10の500乗個の宇宙がある。
その宇宙に知的生命体がいるか否かは
全く分からない。
藻のような生命体なら間違いなくいるが
知的生命体はウイルスを含む
あらゆる物体の干渉と、その組み合わせ
による奇跡的進化の繰り返しの末の
産物に他ならないから
存在する確率は極めて低いと考えられる。
10の500乗という数字を以てしてもだ。
(比較対象として極めて乱暴ではあるが
私の32×32の白黒ドット絵
ドットの打ち方はおよそ10の309乗通り
2^1024≑10^309
10^500には及ばぬが
ほとんどが真っ黒か真っ白あるいは
点がポツポツまばらにあるだけで
大宇宙に匹敵するほどの数の人の顔は生成し得ない。

ある程度パターン化された単純な人の顔ですらそう

知的生命の誕生条件はそれより遙かにキツい

だろう事は何となくイメージできそうな気がする)

 
が、可能性はゼロではない。
仮に知的生命体がいて、我々の宇宙
箱の中を考察していると仮定した場合
どのようになるのだろうか。
我々が想像も付かない
無限の発想をしてるかもよ 
 
曖昧ワケワカンネこと書いたけれど
俯瞰することも大事。
断言の殆どは所詮不完全かも知れぬ
知的生命体の仮説に過ぎない
「全てが分かったぜぃ!」
と拙速に判断するのではなく
謙虚に「ワケワカンネ」
判断を保留するのも科学であり
肝要ではないだろうか。
 
ドット絵(32×32)
ドットをもっと細かくする、あるいはドット数がこのままでも
色を複数使えばもっと似るのだろうが
ある程度制限がある中でそこそこ似せるのが
パズル要素もあって面白い。
と、まずはヘタッピの言い訳からw
 
 ダンカン さん
『街』で
「シュレディンガーの手」
の主人公を演じた。
 
ダンカン、元は立川談かん
あの談志師匠が持て余して
ビートたけしさんに譲渡した
ウイルスとは言わぬまでもいわくつき。
 
たけしさんによる最初の命名はなんと
ふんころがし であり
数年はその芸名でTVに出ていた。
このセンスもワケワカンネwであったが
臨機応変に改名(元に戻したと言うべきか)
して現在に至ったわけだ。
 
権威による指示も時には見直すが吉
最初が奏功するとは限らぬ好例かもかもよ