これまでいくつかの
逆転3ランを取り上げました。
もうひとつ……
☆ 79年6月2日 江川卓初登板試合
観戦試合で、最も忘れることの
出来ないシーンの1つです
あの試合は社会問題ともなった入団の経緯もあって、とにかく異様な雰囲気の中始まりました。江川投手が重圧をはねのけ好投、スタントンの右中間最前列の一発のみに封じ込められ、劣勢で迎えた7回表の出来事でした。
私にとってはバース以上の存在感だったかもしれない、
マイクの愛称で親しまれたM.ラインバック
外野席ファンからの声援に
最初に派手に答えたのもマイク。
1塁へのヘッドスライディング、ラッキーゾーンよじ登りの元祖(キャッチしたのは見たことないw)、とにかく見ていて楽しいプレーヤーでした。
9回裏2ダウンから、3番ラインバックが気迫のヘッドスライディングでつなぎ、4番田淵のサヨナラヒットを呼んだこともありました。ただしヒーローインタビューで、アナウンサーがわざわざラインバックのプレーに水を向けたのに「全く関係なかった」と素で答えた田淵さんw
砂嵐状態の千葉テレビでの視聴でしたが、あの頃は面白かったなぁ
☆ マイク と ヘッドスライディング
ラインバックの不慮の事故死から3年後の92年、マイクとヘッドスライディングが奇跡を起こしかけることとなる
命日の5月20日、亀山は桑田からバックスクリーン右横に先制 3ラン、この日オフだったマイク仲田は次の登板で無四球1失点完投勝利。暗黒期に射した一条の光、両名ともこの92年がキャリアハイとなってしまった。
あの年は開幕2戦目神宮球場での試合、代走亀山の本塁突入が契機になったような気がする。完全にセーフだったのが審判の判断でアウトにされた。それに憤慨していた亀山を中村勝広監督が4戦目の東京ドームで抜擢、以降まるであのときの怒りをぶつけるようなヘッドスライディングで大ブレークするわけだから野球は面白い。
とにかく華がある新庄の擡頭、とりわけ左打者は全くなす術がなかった前半のタムジイ、ルーキー久慈の躍動感、どう打っても内野ゴロにしかならぬスクリュー弓長、終盤淡々と打者を翻弄した糸井重里御子柴、フォーク・スライダー切れのいいストレート何でも空振りございリアル微笑三太郎の湯舟、まるで砲丸を投げていたようなカットボールの開祖中込、試合前にいつも並んでランニングしていたオマリー&パッキーの名コンビ、そしてマイク仲田の突如開花……枚挙にいとまないが観戦していて最も楽しい1年だったのは間違いない。
☆★ 偉大なる岡林洋一投手
前置きが長かったが本題です。
9.11長時間の抗議も相まって
史上最長となった試合
八木の幻サヨナラガ~と未だによく言われるが、
それだけは私は絶対同意できない。
シーズンを通しマイクのピッチングこそ引けを取らなかったが、チーム力としては明らかにスワローズが断然上であった。
そして何よりも忘れてはならぬのは、大きな壁となって立ちはだかった素晴らしい投手がいたことだ。件の試合7回からリリーフ登板し以降15回まで9イニングを零封し続けた
岡林洋一投手である。
彼の大奮闘を讃えることが出来ず、八木の幻サヨナラを嘆き続けたことこそが野球の神様につばを吐く行為で、その後の長き暗黒時代を招き寄せたと言っても過言ではないだろう。
亀山の誤審は大躍進のエネルギーにしたが、八木の幻はそうならなかったのは、明らかに力不足。
抑もミスジャッジですらない
単なるアピールプレー
しかもタイガースにとってはどう考えても大幅なプラス要因であったはずなのに、それをあたかもV逸の原因であるかのようにいつまでも語り継ぐ周囲は情けなかった。
マスコミの低レベル、それを鵜呑みに振り回される周囲、いつの世でも全く同じ構図。
断言しても良いが八木の飛球がサヨナラになっていたら、もっと早い段階でスワローズの優勝は決まっていた。
なぜか。
あの試合3連戦の初戦は引き分け、負けではないのだ。当時引き分けは再試合だったので再試合で勝てば良かっただけ。
それともう一つ大事なこと。金曜日にHRが幻になったため、6イニングも余計に放ることになった岡林投手、何と一日おいて日曜日にもリリーフ登板している。明らかに疲労が残っていた。
この試合広澤克巳のトンネルでタイガースがサヨナラしているが、もし初戦八木のがサヨナラとして、岡林のリリーフが3イニングで終わっていた場合どうだっただろう。おそらく3戦目は無失点で、タイガースが負けていた可能性の方が高い。
その場合2勝1敗、2勝1引き分けとどちらが良いか、よ~く考えてみよう。
客観的分析が出来ず、常に己ではなく他者に敗因を求める。このケースの場合「審判ガ~」だ。
未だにこの出来事を「優勝逃し」の主要因と騒ぐマスコミと、そう思い込んだ周囲。このチームがいつまで経っても強くならない根本はここにある。
岡林はあの試合の後、先発にリリーフにまさにフル回転、以降30年間あんな投手は現れていない。日本シリーズの投球イニングは何と30イニング、58年の神様仏様稲尾様の47イニングには及ばないものの、現在ではあり得ない突出した数字である。伊藤智仁投手と比べ取り上げられることが少ないが、彼もオーバーワークがたたって短命に終わった大投手の一人である。
伊藤智仁のスライダーの様に語り継がれる球種があるわけではない。が、江川卓を思わせるメカニズムから放たれるストレートは、見た目以上に質が高く、空振りが奪えた。加えて92年の彼は何よりタフであった。これぞエース。
八木の飛球を未だに嘆くのは
最も醜悪な歴史修正主義
それよりも偉大な投手の大奮闘を思い出そうぜ!
編集後記
19年に書いた記事です。
昨日記事「ひとそれぞれ」の
コメ欄がキッカケですが
ほんのちょっと加筆再掲しています。
監督就任前ですが
92年に対する岡田さんの振り返りコメ
あるいは当時の選手たちのコメ
見るたびに残念で悲しい思いを
抱いていました。
21年確実に優勝ムードだった夏
スポーツ雑誌NUMBERでタイガース特集。
そこでも未だ30年前のこの出来事が
当時のV逸の要因の如く書かれていました。
一流雑誌でさえこの為体、唖然呆然。
もういい加減にしていただきたい。
21年のV逸、
スワローズにうっちゃりを食らったのは
ハッキリ言うて これの呪いでしょうw
身から出たさび
野球の神様に対するお~んを
決して忘れちゃならないよ。
#マスコミを疑え
#野球本を疑おう