昨日は偶々休暇だった父が左差し

と書いたが果たしてそうだったんだろうか。

 

書いた翌日になって記憶が蘇ったけれど

76年って思い出したくない出来事

心の奥底に封印したトラウマが

雪崩の如く押し寄せた年。

恥ずかしながら

9月6日スタンプの問いの答えのごく一部。

 

父は日曜日にキャッチボールに根気強く

付き合ってくれた。

と言っても私は左手にグラブをはめた状態で

ボールを捕ることが出来なかったので

柔らかいゴムボールを素手で捕る練習から。

随分長いこと努力して、素手では捕ることは

出来るようにはなったが、

グラブをはめて自由自在にボールを捕ることは

ついに出来なかった。

 

そんな自分だけど、努力かなわず

クラス対抗のソフトボール大会には

男女含めてただ一人

出場させてもらえなかった。

普段の授業には普通に参加していたから

危険回避ではなく、勝つため

せめて一打席、フォアボールくらいは

って意気込んでたのに。

勉強では出来ない子に

散々付き合わされていたんだけどね。

 

その一方で、走り方もオカシク

一番遅かった自分が区の陸上大会

100メートル走には出場するように

仕組まれた。

韋駄天揃いの大会

当然30メートルくらい離されて

断然ビリだったわけだが

悔しくて涙も出なかった。

夕日の中、はるか先を

駆け抜ける他の児童の姿を

一生忘れることはない。

夕日に向かって走って感動するのは

森田健作だけ。

 

これは親も把握していて

私自身随分荒れて

ショックで傍から分かるほど

より身体が曲がってしまったような?

 

見かねた父が休暇を取って

耐え抜き頑張ったご褒美として

大好きなタイガース戦のチケットを

調達してくれた

これが真相だったような気がする。

 

この他にも両親には

絶対言えなかったことが沢山。

堪えた中の一つは理科の実験。

男女向かい合って講堂に並ぶ。

50人ほどのクラスだったから

25組くらいズラ~ッと。

そこで、順番に男がバットの細い方

女子がバットの太い方をもってひねりあう。

力の弱い女子でも勝てる実験。

ところが

私の順番の時だけ、突如入れ替えられた。

「○○は逆の方が良いな」と

教師が笑いながら。

私が太い方、女子が細い方。

この時点で動揺、居場所がなかったわけだが

更にあろうことか軽くひねられてしまった。

当たり前だが、そんなの私一人だけ。

 

これにはプライドをひどく傷つけられた。

それ以前から意地になってボールを握ったり

握力を自力で鍛えたが

方法が悪かったんだろう

全然強くはならなかった。

皆が嫌がる牛乳瓶のケース運びも

一手に引き受けていたが

これも握力上昇効果はなかった。

体力と持久力は付いて

皆が音を上げるような状況でも

平気にはなったけど

コンプレックス解消には繋がらなかった。

 

自分は怠け者ではなく

運動に対して努力は人一倍していたし

周囲もそれは理解していたはず。

なのに何故こんな事をされたんだろう。

教師は脱サラのアラサー男性

日テレの青春ドラマど真ん中世代。

授業中にタバコを吸う

平気で屁をこく

型破りで人気があった。

9歳の時、20代半ばの

女性教師の執拗なイジメで

ぶっ壊れた自分を何とかしようと

良かれと思ってショック療法をしたのだと

解釈するように努めてはきたが

私にはキツ過ぎた。

 

まぁこんなのはまだ書ける範囲

序の口だったんだけども。

556+83=639

つまり『心の闇』に対しては他人は「無策」

自分で乗り越える以外ない。

やっぱタイガース(田淵)は

自分自身という思い込み

それで救われた部分は大きかった。

 

私は東京=巨人や王とは真逆の価値観

勝敗に拘泥しない、道徳的おしつけの一切ない

田淵とタイガースに憧れ、救われた。

一方で21世紀に入り

学級どころかプロなのに

足を引っ張り続けながら

出場記録更新を続ける姿そのものに

人並み以上に反発・絶望し、

記録取りも球場通いも一切止めた

大きな理由ではあるね。

 

ただ556の83があろうとなかろうと

この感覚に欠ける世の風潮には疑問。

データの内容を吟味せず

マスコミの評価を鵜呑みにする

ひいてはデータネツゾーにまで

寛大すぎる最大の要因と見る。