母のことを振り返って思い出したこと。
ド~でも良い私的メモ。
自分の数字好きになったルーツ
カレンダーを最初、果たしてどこで見たのか。
そのときの光景が突如蘇った。
母は当時としては経歴が珍しかったらしく
重宝された人、需要が多かったらしく
幼い私を知人に預け働きに出ていた。
特に私の教育に熱心というわけではなかった。
物心はついていて幼稚園に上がる前だから
3歳になるかどうかの頃。
私は知人宅で歩行器に入れられていた。
万が一があってはならぬという
配慮だったのだと思う。
預けられたお宅は優しい人ばかりで
良い思い出以外ない。
今では歩行器に否定的な見解も多いらしく
使うのは一歳半くらいまでらしいが
私はそれをとうに過ぎても入っていたわけだ。
歩行器で行動が制限されているので
エネルギーを持て余したのだと思う。
テレビは常に付いていた。
チロリアンのCMとか宇津救命丸とか
宇津井健のザ・ガードマンの再放送とか
(共通する文字があったので読みもそれで覚えた)
はっきり覚えているが、一方的に流されてくる
テレビの情報よりも私は近くに貼ってあった
カレンダーに関心を抱き
あれこれ思いに耽るのが
大変楽しかったのだと思う。
当時もう誕生日という概念はあったので
それを聞き出し見ている内に法則を見つけ出し
計算を勝手に始めたわけだ。
大人たちがやたら驚くので
余計に夢中になったのだ。
高校まで数字は無双
大学では敢えて数学を専攻しなかったが
そこでも数字を使うことは多く無双。
幼少時の環境がそうさせたのだと思う。
反面漠然と感じ苦労した数々の不自由も
それで背負うことになったのかも知れない。
人生は面白い。
ひょっとしたら
歩き方がおかしくなったのかも知れないが
もしその環境がなかったら
私の数字好きはなかったのかも知れない。
失うモノもあって大きく得るものもある。
不自由を嘆くよりも
個性を伸ばすことの方が大事だよね。
簡単には解決できないことを嘆くよりも
出来ることから突破口を見出した方が
人生は有意義に過ごせるのだろう。
それをテッテイしたとは言い切れず
矛盾だらけの葛藤を抱えたまま
中途半端に終わっちゃった自分が
こんなことを書くのは
気が引けるのだけれども^^;
社会全般においてもそれが言えると思うな。
しつこいですが
不自由を排除しようと目くじらを立てると
却って不幸になりますよ。
あるレベルで諦めて
同居に切り替えるのは大事です。