王貞治さんが

78年オールスター第三戦で

ライトを守ったことは以前

近本選手のサイクルヒット 

でも触れました。

 

アップよろしかったら クリック してねねー

 

  実は王貞治選手は、それ以外でも 3試合、計4試合ライトの守備 に就いています。

  最初は70年第2戦、大阪球場の試合です。おそらく地元へのサービスも兼ねて、遠井吾郎選手(阪神)がスタメン5番ファースト、王選手は3番ライトでした。

  翌広島での第3戦で、あの堅物の川上哲治さんも「抱腹絶倒した」伝説となるランニングホームラン(遠井選手は超鈍足で有名)が生まれたわけですが、この時は遠井選手が代打から右翼の守備に入っています。

 

 ところでこの第2戦は江夏豊投手の先発、3イニングで8つの三振を奪っているのですが、最後は5連続奪三振でした。翌年初戦の西宮球場で有名な9連続奪三振、第3戦も含めると年またぎですが15連続奪三振という途轍もない記録を打ち立てているのです。15連続三振した打者、有藤、長池、池辺、張本、野村(70年)、有藤、基、長池、江藤、土井、東田、阪本、岡村、加藤秀(71年)、江藤(71年3戦)拍手 71年は2試合5イニングパーフェクトで13奪三振ですから、この記録が破られることは絶対にないでしょう。

 

 面白いのは71年の13奪三振、阪急、ロッテ、近鉄、東映(大下剛史)、西鉄の5球団から奪っているのですが、南海だけがいないこと。実は16人目、記録を阻止したのは野村克也さん、江夏さんの談によると 「野村さんはバットをうんと短く持って、絶対に当てようとしてるのが見え見えでした。僕は吹き出しそうでしたよ。野村というのは、こんなおっさんかと思った。三振を取られまいと必死だったんでしょうね」 とのこと。

 もう一人三振しなかったのは次打者の高橋博選手(南海)でしたから、彼も監督の姿を見てきっと必死で三振を避けたんだろうなぁ、と想像すると頬が緩んできます(見たわけではないので断言できませんけど^^;)

 

 田淵捕手のミットの位置を見れば分かりますが、高めのクソボールを振らされています。打者は史上初の両リーグ首位打者江藤慎一さん。76年オールスターの山口高志さんも同じようなボールで空振りを取っていました。

 

 

 さて、王右翼手の話に戻ります「^^;

  2,3回目は77年です。第1戦、第3戦、ともに途中からライトの守備に就いています。

 77年オールスターは特殊事情を考慮する必要があります。この年は「ファン投票で選ばれた選手はスタメンで起用しなければならない」という縛りがありました。そういった中、セリーグファン投票で選ばれたのは、セカンドの中村勝広選手(阪神)を除けば全て巨人軍の選手だったのです。高田繁、柳田真宏両選手が負傷で辞退しましたが、ピッチャーを除けばスタメンに巨人の選手が5人並んでいたわけです。セカンドの中村選手は1打席だけ、いかにも儀礼的に使いましたよって扱いで、代打シピンを送られていましたw

 

 王選手が途中からライトに就いたのは、1戦目が代打ブリーデンがそのままファーストに、3戦目が代打大杉勝男選手がファーストの守備に就いたためです。両者ともリーグを代表するスラッガーでしたから、おそらくファン投票縛りさえなければ長嶋茂雄監督の好みからして、78年3戦目のようにスタメンからライト王選手があったような気がします。

 

 ちなみに王貞治選手の公式戦出場は2831試合、ライト(外野)守備に就いたのはたったの2試合、いずれも77年長嶋茂雄監督のときです。  755号世界タイ記録、756号世界新記録を達成直後、ライトスタンドのファンにお礼を兼ねて右翼の守備に就きました。両試合とも守備機会はゼロ、あくまでサービスでした。本格的なスタメンライトは70年と78年のオールスターのみ(これも川上、長嶋監督だからこそ出来たサービスですね^^)、ともに5イニングずつで途中から本来のファーストに戻っています。王選手が右翼の守備に就いたのは、オールスター4ゲームで18イニング、公式戦2ゲームで2イニング、計20イニングの大サービスで、目撃できた人はラッキーなのかも知れません。

 

    

 

          

  ナボナはお菓子のホームラン王です。朗読の達人

 

OH さだはる で書いた

判じ絵風似顔絵です

オレンジは「YGマーク」と「た」

を模しています^^;