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JR高円寺駅から1分のところに引っ越しました。フェニックス整体院です、

コロナなどの影響によって、引っ越すことになりました。住所は杉並区高円寺南4-27-7 ラインビルド高円寺205号室です。駅から1分です。電話は5305-5727で今までと変わりません。今後もよろしく

今回の全英オープンは、ゴルフとかに
ほとんど関心のなかった私のような人間にも、

けっこうなインパクトを与えている。

それは「精神力」と呼ばれているものが
どれほどすごいパワーをもっているかということを

改めて思い知らされたからだ。

私はユーチューブにあがっている動画を見ただけなので、
そこから推察できることしか書けないが、

最後のホールは、渋野選手は、簡単に言えば
完全にゾーンに入っていた。

「ゾーンに入る」とはどういうことかの見本のような
動画だった。

ああいう場面では、ほぼすべての人が緊張で体が動かなくなって、
失敗するわけだが、

彼女はあまりにも集中していたので、
失敗するという可能性が、意識から消えていたのはもちろんだが、

無意識の領域からも消えていたではないか。

「ゾーンに入る」というのは、そういう状態を指すのだと思う。

意識的にはもちろんのこと、無意識の中からさえも
失敗するというイメージが消えてしまうこと。

ナポレオンが「私の辞書には不可能という言葉はない」とかいった
というはなしがあるが、

同じようなことを言っている。

つまり世界に「不可能」というものがない状態に生きているから、
失敗とかは存在しないのだ。


世の中には、スピリチュアルとか引き寄せとか、その他諸々の
「思い通りにする」と称する技術があるが、

「私はできる」というアファメーションを唱えるというのが
一般的なやり方だが、

本当にできている人は、「私はできる」とは唱えないはずで、
そういうふうに唱えていること自体が

「私はできない」といっているようなものだ
と私は思っている。


「できる」とか「できない」とかいう世界に
住んでいてはだめで、

「できない」とか「失敗」とかが
存在しない世界に住んでいないとだめなのだ。


渋野選手は最後のホールで、
そういう世界に住んでいた、と私は思っている。

そうなるための方法としては
彼女がやっていたように、いつも笑顔でいるのが

一番簡単な方法ではないか。

幸福だから笑うのだが、
笑うと幸福になる、のも確かなのだ。

笑いたくないときも笑う。

それもできないときは、もう、物理的に、
口角をあげてしまうというのが、

幸福になる、一番簡単な方法かもしれない。


渋野選手の最大の特徴は
泣かないことだ。

優勝しても、泣かない。

ここには、すごく重要なことが隠されている、
と私は思うである。
 

泣くというのは感情だが、

笑うのは感情を超えた幸福感からくるのだ。

「凪のお暇」第4回

一言でいうと、「思ってたのと違う」展開。

多摩川流域にひろがる穏やかな自然の風景の中で
一人の女がゆっくりと再生してゆくドラマかと思っていたら、

「愛の嵐」というか「恋の地獄」というか、
かなり凶暴な物語になってきている。

心が壊れることをメンヘラというならば、
もうメンヘラだらけになってしまった。

一人だけ正気を保っているのは、恋愛コミックをよみふけっている
ネットワークビジネスの女だけだ(笑)。

恋愛コミックでは、恋する二人が結ばれたところで
エンドマークがでるが、

現実の恋愛では、このドラマのように、
結ばれても、エンドマークが出ないだけでなく。

何かが開始する気配もないことがある。

ただ結ばれただけ。

この状態をどう考えればいいのか。

考えてみると、凪の恋愛関係は
高橋一生のときも、そうだったのだ。

結ばれているが、何も開始しないのだ。

客観的に考えれば、この状態は不毛だから、
別れるしかない。

ユーミンの歌ならば、その後は
「(別の男と)ふつーに結婚してゆくの」ということになるが、

時代も違うし、そうもならないことも多い(笑)。

凪も別れたわけだが、引っ越した先の
隣にメンヘラ製造機がいたら、もう最悪である(笑)。

今この最悪の状態なわけだが、高橋一生まで
メンヘラになってしまったのが、意外な展開。

というか、高橋一生の場合は最初から
うっすらとしたサイコパスだった(と私は思っている)ので、

その要素がはっきりと出てきたといったほうがいい。

ネットでは彼のことを「実はいい人」とか「かわいい」とか
言われているそうだが、

そういう甘い認識だから、ああいう人間に騙されるのだ、
といっておこう(笑)(私の個人的な偏見)。

ゴンも危険だが、高橋も危険人物なのだ。

付け加えておけば、高橋の会社に大阪からきたという
女がクローズアップされてきたが、

NHKの「デジタル・タトゥ」に出ていて、
いい味を出していた女優である。
 

「凪のお暇」第3回

相変わらず面白い、というか、面白さのレベルが
1段階上がって、複雑になってきた。

なんで市川実日子が出てきたのか、
私は疑問に思っていたのだが、

今回で黒木華を婚活パーティーに誘っているのを見て、
そういう役柄が必要だったからなのだなと、

疑問が解けたような気がした。
そういう人間がいないと、

「世捨て人」になった黒木が、社会と接点をもつような
設定ができないのである。

そのパーティに前の会社の同僚がいて、
突然いなくなった黒木の消息がわかる、という仕掛け。

うまくできてる。

それはともかく。

この物語、隣人の中村がやっていることは
やり方がソフトなだけで、乱暴狼藉者のやっていることと

同じである。

パリピ仲間に「メンヘラ製造機」と呼ばれている
この「ソフトな乱暴狼藉者」と

高橋一生という「マイルドなサイコパス」との間で
「世捨て人」の黒木がどうやって再生していくのか、

というのがこの話のあらすじだろう(相変わらず、でたらめな断定)。

私が個人的にツボなのは、
「立川駅前で号泣している高橋一生」である(笑)。

そもそも、号泣するという行為自体が
サイコパス的な行為だと、私は思っている。

そこまで感情の起伏が激しいということが、
サイコパスの特徴の一つである。

その感情の渦巻きが、彼自身も傷つけるし、
周りの人間も傷つける。

高橋一生が最高だが、見方を変えれば、
ここまで彼の力を引き出せる役柄がある物語が

これまでなかったのだ、ともいえる。

この物語は見ている者の予想を遥かに上回る意外性が
張り巡らされていて、展開が読めない。

ダントツに面白い。
 

「凪のお暇」第2回

私はこの第2回の録画を続けて2回見てしまった。

この私の行動から、前回「このドラマは最高かもしれない」
などと書いたが、

「最高である」と訂正する。


「偽装不倫」のほうは、彼氏のほうが難病かもしれない的な
展開になってきて、

それじゃあ、せっかくの杏の名演技が台無しになるかもしれないと
私は恐れているのである。


それに比べて「凪のお暇」のほうは

突然、少女の部屋で、高橋一生まで含めて
アパート住人のほぼ全員がトランプを初めた時には

私はあっけにとられて、
「ボロアパート物語」はこう来なくちゃ、と

このドラマが最高であることを
確信したのである(笑)。

「ボロアパート物語」というのは、
プライバシーも何もないという利点(?)をいかして、

隣にイケメンがいて、ハグはするわ、キスはするわ、
トランプをするわの、無政府状態になるものであって、

その混沌の中で、傷ついた女が再生していくのである。
(でたらめな断定)

少女から老女までいるし、シングルマザーも
パリピのイケメンもいる。

一番謎なのはイベント・オーガナイザーのパリピが
なんでこのボロアパートに住んでるのかということだが、

そういうのが住んでいないと物語が始まらないので、
理由などなく、いるものなのである。

ネットワークビジネスの女まで出てきて、
この先、何が起きるのか、まるでわからないが、

殺人事件などなしでも、面白いドラマが作れるということを
証明している久しぶりのドラマである。

 

「凪のお暇」

こんなのが始まることも知らなかったほどだから、
何の前知識もなく見始めたのだが、

テンポが良くて、役者がうまくて、演出がよくて、
製作者が伝えたいことが、ばんばん伝わってくる。

要するに最高に面白い。

もちろん原作と脚本がいいのが前提だろうが。

最高と書いてしまったが、
「偽装不倫」と同じくらいである。


「知らぬが仏」という言葉があるが、
原作を知らないというのは、ドラマを見る上で

かなりのメリットがある。

ネットを見てたら、「偽装不倫」で
原作では、男が韓国人で、旅行は韓国旅行だということで、

ドラマに対する不満の声が満ちている
とか書いてあったが、

何も知らないで見てると、気にならないようなことも
原作を知ってると、気になってしかたないということになる。

「凪のお暇」でも、もしかすると、
そういうこともあるのかもしれないが、

私のような白紙状態で見るものにとっては、
そういうことがないので、

ひたすら面白い。

黒木華と高橋一生というキャストも
これ以上ないという感じである。

あと、私が私の個人的な趣味として
面白いと思っているものは、

黒木が引っ越していった場所の設定。

あの川はたぶん野川だと思うが、
東京の西側の郊外は、ずっと多摩川と野川が流れていて、

これらの川が造りだしている風景が
人間の生活に大きな影響を与えている。

(無意識にだが。)

黒木が身も心も破壊されそうになった
都会との対比で

東京の郊外の野川のある風景が
設定されていて、

そこのアパートには
都心のマンションでは想像できないような人々がいて、

そういう人々と触れあうことで、
少しづつ黒木の心も癒やされていくというのが、

大雑把にいって、このドラマの筋書きだろう。
(あまりにも無茶苦茶な断定(笑))

と、まあ、
今期ドラマは面白いのがありすぎて困るのである。


前回記事への追伸。

前回の記事でケイト・ベッキンセイルのドラマから
学校で護身術を教えるべきだと書いたのだが

もちろん基本的なことを教えろと言っているのであって、
戦闘術とか格闘技を教えろということではない。

スポーツではない、護身術が必要。

誰もが自分の身を守るための最低限の方法を
身につけるべきであって、

学校はそれをやる場所ではないか、と思う。

「いじめをしてはいけません」などと言葉で言っても
教えたことにならないのである。

いじめたら反撃されると思わせなければ
いじめはなくならない。

 

三浦春馬主演の「two weeks」が始まったが、
これも、「ボイス」「サイン」同様に、

韓国版を見ていない人には最高に面白い話だろう。
というか、私は幸いなことに見ていないので、

大いに楽しめている。

しかしながら、私が今一番楽しみなのは
アマゾンビデオで見始めた「ウイドー」というやつだ。

ケイト・ベッキンセイル主演のミステリーもの。

3年前の飛行機の墜落事故で
死んだはずの夫の姿が、

テレビのニュースで写っているのを発見して。
彼を探しに行くという、よくある話だが、

場所が、暴動などが起きているアフリカのコンゴなので、
ジャングルの中などは民兵が支配していて

いわば無政府状態的な場所で、
ギャングみたいなのがうろうろしているところに

女が単身で乗り込んでいくような感じになってる
こういう話が面白くないわけがない。。

ケイト・ベッキンセイルはもちろんのこと、
脇役もうまいのがそろっているから、

臨場感が半端なくて、ドキドキものである。

韓国ドラマに比べると、こういうイギリスドラマは
変な言い方になるが、面白すぎないところがいいかもしれない。

韓国ドラマは、あまりにも瞬間瞬間を面白くするために、
まさにジェットコースターで、こちらが考える暇がないが、

「ウイドー」などは、もう少しじっくりと見ていられて、
味わいが深くなる。

ケイト・ベッキンセイルがジャングルに入っていって、
あまりにも危険だろうとこちらは思っているのだが、

ギャングみたいなのに乱暴されそうになると、
突然、彼女が反撃して、銃を奪い取って、殺してしまう。

それで一緒にいた男たちが目を丸くして、

人を殺したことがあるのか、と尋ねると、
彼女の答えは

「私は、以前、イギリス陸軍の砲兵大隊所属の大尉だった。
仕事は後方支援の事務だったが、訓練は男と同じことをした」

というのである、

それまで、そんな雰囲気は皆無だったから、
視聴者も唖然である。

ドラマとは離れるが、

かねてから、学校では護身術を教えるべきだ、特に女子には
と思っていたが、こういうのを見せられると、

その感が一層深くなる。

まあ、それはそれとして、
こういう感じで、どうなるのか、まるでわからないドラマなので、

大いに楽しみである。
 

「ボイス」が始まったが、
残念ながら、私はこのドラマはアマゾンビデオで

韓国版で見てしまっているので、
人間、知っていることでは驚かないようにできているから、

どんなに緊迫したシーンでも、
うん、うん、そうそう、などと相槌を打ちながら見ているので、

ほとんど心を動かされないという
残念な事態になっている。

困ったものである。


その点では「サイン」は韓国版があったことも知らなかったので、
実に面白い。

ただし、主役が大森南朋と飯豊まりえだし、
この種の暗いドラマは一般受けはしないだろうから、

視聴率は上がらないだろうなと思っていたら、
暫定1位だというので、びっくりした。

不可解なことがあるものだ。
 

私は大森も飯豊も好きなので、うれしい事態なのだが、
何が受けているのだろうか。
 

「偽装不倫」

今期ドラマがやっと始まったというのに、
石原さとみがただうるさいだけのとか、

上野樹里はいい味出してるのだが、
テンポがのろすぎて眠くなってくる監察医ものとか

なんだかなあのものが続いていて、
困ったものだなと思っていたところだが、

やっと面白いものが現れてホッとしている。

杏は最高の女優の一人だから、彼女が出ているのなら
面白いものになるに決まっていると思っていたが、

そのとおりだった。

全部が面白くて、
一瞬たりとも飽きることがないドラマだったが、

それにしても、「偽装不倫」とは。

こんなタイトルつけるだけでも、原作者の才能には恐れ入った。

こんな難しい役柄を簡単に演じている杏を見ていると、
長谷川なんとかさんとは偉い違いなのだが、

まあそれは置いといて、

面白いドラマを見ていると、こちらの頭が活性化してきて、
しろいろなことが思い浮かんでくる。

このドラマは、「嘘」についての
今まで考えたこともないようなことが、浮かんできたのだった。

偽装する、つまり嘘をつくのは、
普通は自分が有利になるためにやることで、

結婚していないのに結婚しているという嘘は
普通はつかない。

しかし、このドラマのように、
とっさに結婚しているという嘘をつくケースもありうる。

ひとつは、その時の見栄というのもあるが、
もうひとつは、モテるか持てないか、ということで

自分の心が煩わされないようするための
防御服としての嘘。

モテようという下心で気持ちが煩わせられるのに疲れた人間の
それから開放されるための嘘だった。

ところが、「求めない」という気持ちを打ち出した途端に、
相手が「求めてくる」という展開になってしまった。

これが人生の不思議なところである。

多くの人は求めている人間からは求められないで、
好かれようが嫌われようが関係ないと思っている人間に求められる

ということを経験していることと思うが、
このドラマはそういう人間の「心のあや」がモチーフになっている。


話は少し変わるが、
考えてみると、

前期ドラマで一番おもしろかった(かもしれない)
「ラジエーションハウス」の主人公も

医師免許をもっているのに、持っていないという偽装をしていた
「偽装技師」の話だった。

普通なら不利になる偽装をしている人間という点では
似たシチュエーションのドラマとも言える。

つまり嘘には、自分に不利な嘘をつくことで、
これまで見えなかった構図が見えてくるという

面白い効果があるらしい。

これは体の一部を紐をかけるなどして
動きづらくすることで、他の部分が活性化されるという

ヒモトレ的なことにも通じるんじゃないかと思ったりして、
私は妄想モードに入っているのである。

ドラマを見るのは、こういうふうに頭を活性化させるという
効果を狙っているという面もないわけじゃない。

まあ、そんなこといわなくても、このドラマは楽しい。

NHKの「ミストレス」

いろいろな国でリメークされている作品と聞いていたので
期待していたのだが、とにかくテンポがのろくて、

リメーク前の本物(?)のドラマを
スローモーションにして再生しているのではないか

そんな錯覚を覚えるほど
間延びしたドラマだった。

物語は面白いというか、面白すぎるくらいなのに、
盛り上がらないのである。

4人の女がいつも和気藹々と女子会をしているドラマ。

何よりいけないのは、
主役のはずの長谷川京子というのが、

何が起きても、表情が変わらないので、
起きていることが、よくわからないという

ありえないドラマだったのだ。


表情が変わらない役者? 
そんなものがいるのかと思われるだろうが、

それがいるから、恐ろしいのである(笑)

抑制された高度な演技なのかも、と思おうとしたが、
やはり単なる大根なのではないか。

起きていることは地獄絵図みたいな凄惨な話なのに、

いつも、
何事もなかったように振る舞っている。

当人が苦悩しているように思えないので
見ている方も、いっこうに苦悩できない。

私は他国でのリメーク版というのを一つも見ていないので、
なんともいえないが、

こんな表情が変わらない役者が主役では出ていないと思う。

付け加えておけば、長谷川京子以外の役者は
いいのである。

特に玄理と大政絢はよかった。
彼女らが出ていたから、私は見続けたのである。



同じくNHK 「デジタル・タトゥー」

もう終わってしまったドラマだが、
面白かった。

高橋克実も瀬戸康史もよかったし、
唐田えりかという新人女優も面白い存在感だった。

主役がちゃんとしていたので、面白いのだが、
まあこれが普通だろう。

長谷川京子が異例中の異例だと思う。

こういうことが二度とないように祈る(笑)。

 

山里と蒼井優との結婚との結婚には驚いた。
寝床の中で、スマホを開いたときに、スマートニュースの速報で見たのだが、

自分の目が読んでいる文字が信じられなくて、
何度か読み返したのだが、「わが目を疑う」とか

「寝耳に水」とか言う表現は
こういうときに使うのかと思ったのだった。

私は10年近く前に、このブログで
「モテることの意味不明さについて」という記事を書いているのだが、

その中で、モテるというのは不特定多数の人間に
チヤホヤされることをいうのならば、

モテる必要はない、
なぜなら、人は、結婚する相手の一人に

求められればいいのだから、
と書いたのだが、

今回の山里の結婚は
まさにその言葉を地でいっているような展開だったので、

こういうこともあるんだと驚きながらも
「我が意を得た」という気持ちもあったのだった。

彼らの話を聞いていると、
好きとか嫌いとか言うのを超えているというか、

「相手のことが分かっている」、「相手に分かられている」という
信頼の関係のほうが感じられたのは、私だけだろうか。


「獣になれない私たち」というドラマについて書いているときに、
私の頭にあったのは、まさにこういう問題だったのだが、

こういうことはドラマでやってても、
嘘くさくなってしまうので、あのドラマはあまり共感を得られなかったらしいが、

今回の山里・蒼井優の結婚は
好き嫌いという恋愛を飛び越えた関係がありうることを示したのではないかと

私は思ったりする。

つまり、野木亜紀子が書いても信じられなかった話を
山里・蒼井優がリアルで実践してしまったと

考えてもいいかもしれないのである。

つまりは「事実は小説よりも奇なり」という言葉の意味を
再確認させる事件だったのではないかとも思う。

まあ、妄想はこのへんでやめておくことにする。