これは、離婚したあとに起こった“新たな暴力”の記録です。
大声も、手も、直接的な罵倒もありません。
それはもっと静かで、じわじわと私という存在を透明にしていくような、静かな侵害でした。
あるとき私は知りました。
私の知らないところで、私の子どもに関する学校の連絡に“私ではない誰か”が加わっていたということを。
その人物は、元夫の恋人でした。
家族でもなく、法的な関係もない第三者です。
彼女は、まるで「もう一人の保護者」のように振る舞い、
担任の先生とやりとりをし、子どもの生活に深く関与していました。
私の同意も、私の存在も、一切無視されたままで。
私は何度も元夫に「やめてほしい」と伝えました。
「私は母親なのだから、教育の連絡に私以外の人を関わらせないでほしい」と。
けれども、その声は聞き入れられませんでした。
むしろ私は、「感情的すぎる」「問題を大きくしている」と言われてしまいました。
そして、そこには明確な人種バイアスがありました。
私はアジア系の移民女性です。
怒りを表現すると、**「ヒステリック」「抑えが効かない」**といったステレオタイプでラベリングされました。
彼は、わざと怒りを引き出すような振る舞いをし、
私が怒ると、「ほら、お前はそういう女だろ」と言わんばかりに責め立てる。
感情のトリガーを引き、そして“感情的な女”と位置づける、典型的なガスライティングです。
私は、母親です。
それなのに、自分の子どもに関わる重要な場面から、
“誰にも気づかれない形で”排除されていったのです。
これは、私にとって深い精神的暴力でした。
離婚後もなお続く、同意なき支配。
母親としての立場を薄め、外部の人間にすり替えていくという、
非常に巧妙で静かな方法で、私の存在は無力化されようとしていました。
私は、アメリカで移民の母親です。
英語は完璧ではないし、文化的な背景も違います。
だからこそ、こうした問題に声を上げたとき、
「過敏になりすぎている」とか、「伝え方の問題」だとされることがとても多いのです。
でも、私の言葉が伝わらなかったのではなく、最初から“聞く相手として扱われていなかった”のだと気づきました。
私の声は、軽く扱われました。
“非ネイティブ”“移民”“アジア人女性”――
この複数の条件が重なると、
社会の中で、存在を透明にされやすくなるのだと実感しています。
だから私は今、こうして書きます。
この経験を、記録として残します。
そして声を届けます。
これは、個人的な怒りだけの話ではありません。
境界を侵され、同意なく役割をすり替えられたすべての母親たちへ。
あなたが間違っていたのではありません。
間違っていたのは、
あなたの役割を奪い、
あなたの存在を軽視し、
その上で「お前の感情が悪い」とすり替えてきた人たちのほうです。
あなたの声は、消えていない。
見えないふりをされたその痛みを、
今度はあなた自身の手で言葉にしていい。
あなたの存在を証明するのは、
あなたの声であり、あなたの記録です。
私たちには、記録する権利がある。
声を取り戻す権利がある。
そして、消されたふりをされた母親たちに、“もう黙らない”という力がある。
今ある団体と繋がって、
法的準備に入っています。
このことの件については学校にも公式にドキュメントしてもらうように進めています。
またブログ書きますね。
ソフィア