「覚醒したい」

この言葉を、私はずっと胸の奥で温めてきた。


スピリチュアルの世界では、“目を覚まして生きる”とか、“現実を自分で創る”とか、よく言われる。

だけど、現実の私は、そんなにキラキラしていなかった。

離婚を経験し、経済的にも精神的にもギリギリで、

「どうして私ばっかり」と思う日が何度もあった。

夢どころか、毎日生き抜くことで精一杯。

「覚醒」なんて、別世界の話のように感じていた。


でも、昨日の夜——

私は何かが変わる瞬間に立ち会った気がした。


友人に誘われて、ある女性たちの集まりに顔を出した。

正直、気が重かった。

白人の女性が多い場に行くと、文化的な壁や無意識の偏見を感じてしまうことが多くて、

どこかで「私はここにいていいのかな」って思ってしまう。


だけど、昨日は違った。

そこにいたクリスティンという女性も、最近離婚を経験していて、

しかも親権問題(custody battle)でようやく決着がついたばかりだという。


私は思い切って、自分が今感じている不安や、

これからリーガルバトルになるかもしれない怖さを話してみた。


すると、彼女は言った。


「わかるよ。私も全く同じ気持ちだったから。」


たったそれだけの言葉だったけど、

涙が出そうになった。

ずっと一人で戦ってる気がしていたから。

どこかで、「こんな話、誰にも理解されない」と思っていたから。


私たちはその夜、クラフトを作りながら、

離婚後の生活、娘との関係、法廷での孤独、

そういったことを静かに分かち合った。


そして帰る間際に、私たちは3人でハグをした。

「また遊ぼうね」と言って別れたけど、

その言葉が、ただの社交辞令じゃない気がした。


覚醒って、

特別なスピリチュアル能力が開いて、

超人的に何かを叶えられるようになることじゃない。

人から注目されたり、常に光を放っていられることでもない。


むしろ、私にとっての「覚醒」は、

ずっと信じ込んできた“私はダメな存在”という深い呪縛から、

ほんの少し自由になれる瞬間なのかもしれない。


私はずっと思ってきた。

私は分かってもらえない存在。

私は生まれてはいけなかったんじゃないか。

何を感じても、言ってはいけない。

私はただ、我慢することでしか生きられない。


誰かの言葉に傷ついても、

誰かに無視されても、

それでも笑って許せる人でいなきゃいけないって。

それが、私が「存在してもいいための条件」だと思っていた。


だから、人とつながることが本当に怖かった。

優しそうに見える人にも、「どうせ最後は裏切られる」って、どこかで思ってた。


でも昨日、

怖さを抱えたままつながって、

話して、

「わかるよ」と言ってもらったとき——

私は、ひとつの古い信じ込みから抜け出せた気がした。


だから私は思った。

昨日の夜は、ただの“いい日”じゃなかった。

私という存在が、もう一段深く根を張った、ターニングポイントだった。


私が何者かになるのではなく、

ずっと隠していた“ほんとうの私”に光を当てて、

「ここにいていい」と自分に言えた夜。




Sofia