私はずっと、人と関わらないように生きてきた。
というか、本当は関わりたかったのに、できなかった。
なぜなら、私は嫌われる存在なんじゃないか、
私なんて、存在しちゃいけないんじゃないか、
心の奥底で、ずっとそう信じていたから。
人と関わろうとすればするほど、
「やっぱりあなたはダメだよ」と言わんばかりに、
人間関係の中から、それを見せつけられるような出来事が起きた。
それが、ただただ苦しくて。
だから私は、自分の力で生きていけるように、
一人でも大丈夫な状況を作ろうと、ずっとがんばってきた。
孤立じゃない。自分を守るための“孤高”だった。
でも、それにも限界が来たんだよね。
この1〜2年で、ふと、こう思うようになった。
——「私は、いつまでこのまま一人で生きていくんだろう?」って。
今はまだ体が動くからいい。
でも、もし病気になったら?入院したら?
お見舞いに来てくれる人もいない。
ご飯を持ってきてくれる人もいない。
退院のとき、迎えに来てくれる人もいないかもしれない。
そんなふうに、一人で年を取って、足腰が弱って、
誰にも頼れない自分の姿を想像したとき、
ただただ、恐怖だった。
でもね、動き出そうとした本当の理由は、恐怖だけじゃない。
もっと深いところで、私は気づいてたんだと思う。
「私、本当は人と繋がりたい」って。
「もっと人生を分かち合いたい。もっと心を開いて、自分の人生を豊かにしたい」って。
そう、これは“防衛”じゃなくて、“願い”だった。
誰かとちゃんと笑い合いたい、助け合いたい、触れ合いたい。
その“本当の望み”を、私はようやく認めることができた。
だから、少しずつでも、人と関わろうと思った。
それが、私の「今」の旅路。
ここで、ひとつ伝えておきたいことがある。
私のように、虐待やネグレクトの経験を持つ人が、大人になってから人を避けるようになるのは、まったく自然で当たり前のことなんです。
だって私たちは、人生で最初に出会うべき「安全な人間関係」の中で、
裏切られたり、傷つけられたり、無視されたりしてきた。
「人=怖い」「人=信じてはいけない」という学習が、
子ども時代から体に染み込んでしまっている。
だから、大人になっても人と距離を置いてしまう。
自分から関わらなくなってしまう。
でもそれは、“わがまま”なんかじゃない。
ただ「もう傷つきたくない」って、心と体が正しく防御してきただけなんだ。
孤独を感じやすくなるのも、人に近づくと怒りや恐怖が湧き上がるのも、
それは私たちの中にある「未処理の痛み」がちゃんと反応している証拠なんだと思う。
でも、人と繋がろうとすればするほど、
過去のトラウマがトリガーになって、
怒りが噴き出してきたり、体が爆発しそうになったりする。
そのエネルギーが、相手にぶつかりそうになって、
「やっぱり人間関係、やりたくないな」って思ってしまう日もある。
それでも、私はやり直している。
私は、44歳から友達を作りはじめた。
今、少しずつだけど、友達が増えてきている。
一人、二人、三人、四人、五人。
信じられない。前の私なら考えられなかった。
この投稿が、もし誰かの希望になれば嬉しいです。
「44歳からでも、友達は作れる」
そう伝えたくて、今ここに書いています。
ずっと孤独で苦しんできた誰かが、
この文章を読んで、
「あ、私ももう一度やり直せるかもしれない」って思ってくれたら。
それだけで、私は書いた意味があると思うのです。
ソフィア