時限爆弾を抱えた日常と、さざ波の朝:回復の対比
数日前、私はまた「それ」に襲われた。
何の前触れもなく、突然の不安、恐怖、孤独。
身体が震え、心が暴れ、全身が「やばい、やばい、やばい」と叫んでいた。
頭では理解していた。「これはフラッシュバック」だって。
でも、身体はそれどころじゃない。
もう終わったはずの記憶が、今この瞬間に再現されているかのように感じてしまう。
これが、CPTSDのフラッシュバック。
それはまるで、日常の中に埋め込まれた「時限爆弾」だ。
私たちサバイバーは、
日々を普通に過ごしているように見えても、
内側では、いつスイッチが入るか分からない不安を抱えながら生きている。
外からは見えない。けれど、確かに存在する緊張の回路。
でも――今日の朝、私は違った。
いつもなら、「起きたくない」「めんどくさい」「また一日が始まる」
そんな感覚が体のどこかに重くのしかかっていた。
でも今朝は違った。
「起きてもいいかもしれない」
そう思えたのだ。
ベッドの中はまだ心地よくて、
子宮のあたりにずっしりとした重さはあったけど、
それを感じながら、「もう少しこの心地よさを味わっていたいな」と思えた。
逃げたくて寝ているのではなく、
今の身体とともに“ここにいる”感覚。
それは、私にとって革命的だった。
津波のような昨日。さざ波のような今日。
「波がなくなる」のではない。
むしろ、波が“ある”ことに気づけるようになる。
「これはフラッシュバック」
「これは大丈夫な朝」
その違いに気づけるようになってきたこと。
それ自体が、回復なんだと思う。
数日前の私は、
過去の記憶に身体ごと飲み込まれ、誰かにすがりたくてたまらなかった。
でも今日は、
誰にも連絡せずに、
静かに目を覚まし、
身体に手を当てて、「おはよう」と自分に言えた。
フラッシュバックは、ゼロにならなくてもいい。
むしろ、それが来ても私はもう、
「戻ってこられる」ことを知っている。
そしてそれが、
時限爆弾を抱えながら生きてきた私にとっての、
さざ波の朝の証なのだ。
ソフィア