昨日の夕方、娘が「アリちゃんに会いたい」と言いました。

アリちゃんは娘の親友であり、そのママであるタリちゃんは、私の大切な親友でもあります。


私もなんだか、誰かに会いたいな、つながりたいな、と思っていた日でした。

だから娘の気持ちがすごくよく分かって、タリちゃんに連絡を取りました。


すると返ってきたメッセージには、こう書いてありました。


「今バースデーパーティーにいるから今日は会えない、ごめんなさい」


その瞬間、胸の奥に、静かだけど鋭い痛みが走りました。

「謝らなくていいよ」と返したけれど、私の内側では、何かがそっと崩れていくような感覚がありました。


“ああ、また私は誘われていないんだ”


アリちゃんは今、誰かと楽しい時間を過ごしている。

私はその輪の外にいる。

私には声がかからない。

私はいつも、こうして一人だ。

寂しい。孤独。…死にたい。


頭の中では、そんな言葉が次々に浮かんできました。

これはエモーショナル・フラッシュバックだと、私はすぐに気づきました。


この感覚は、たぶん今の出来事だけじゃない。

もっと深い場所から、過去の記憶が呼び起こされている。


──私は、母に何度も何度も、招かれない経験を、そして「一人にされる経験」を、繰り返し味わわされてきたんです。


というか、ずっと一人にされていた。

私の母は、バクチ──パチンコ──にのめり込んでいて、その欲に負けて、私を置いて何時間も家を出て行ってしまう人でした。


「寂しい」とも言えないくらい小さな頃。

たぶん2〜3歳、もっと小さな、赤ちゃんだった頃から。


気づいたときには、私はいつも一人だった。

それが“当たり前”になっていたけど、本当はずっと、怖かった。

誰も来てくれない。誰も抱きしめてくれない。

私のために戻ってきてくれる人はいない。


あの時の私は、心の奥でずっと叫んでいた。


「ここにいて」
「私を忘れないで」
「私をひとりにしないで」


その記憶が、大人になった今でも、こうして小さな出来事の中で蘇ってくるんです。


でも昨日は、その波に完全には飲み込まれませんでした。

心の中に嵐が吹き始めたとき、私は深呼吸して、自分の中の小さな私に声をかけました。


「ここは安全だよ」

「私がそばにいるよ」

「あなたは悪くないよ」

「あなたはここにいていい」


何度も何度も繰り返しているうちに、嵐は少しずつおさまり、私は“そこまで深く沈まなかった”と感じられるようになりました。


昔だったら、誰かにすがって、なんとかしてこの感情を消そうとしていたかもしれない。

でも昨日の私は、ただ見守ることを選べた。

それは私にとって、とても大きなことでした。


「私はここにいていい」

そう思えるようになるには、まだ時間がかかるかもしれない。

でも、そう思える“瞬間”は確実に増えてきています。


たとえ誰かに誘われなくても、たとえ輪の中にいなくても、

私はちゃんと、ここに存在している。

私は、いていい。


昨日の私がそれを思い出させてくれたことに、感謝したいと思います。


Sofia








昨日娘とミニチュアスイーツを作りました♪楽しかった☺️