「やられる前に、やり返せ!」
その声が心の中で鳴り響いて止まらないときがある。
誰かに何かを言われたとき。
踏み込まれたと感じたとき。
正当な怒りのはずなのに、頭の中で何度もその場面を反芻しては、怒りが膨らんでいく。
私は最近、そんな経験をした。
そしてその怒りの奥に、本当に大切な感情が隠れていたことに気づいた。
最近、職場で強烈にイライラすることがあった。
正直、「なんでこんなことも分かんないの?」「何考えてるの?」と、怒りが止まらなかった。
だけど、その怒りの奥にあったものに気づいたとき、私は涙が出そうになった。
私の職場では、今、事業の拡大がどんどん進んでいる。
でもその一方で、土台が全然整っていない。
人がどんどん辞めていき、基盤は穴だらけ。
そんな中で、さらに建物を上に積み上げていこうとするような話が出てきた。
私は思った。
それ、もう無理だよ。
そして言葉にした。
「もう無理です。これ以上は対応できません。」
複雑になっていく数字と格闘している中で、私ははっきりと自分の限界を伝えた。
昔の私なら、絶対に黙っていた。
でも今の私はちがった。
ちゃんと、自分を守るために声を出せた。
それは、本当に誇らしいことだった。
私はよくやったと思ったし、自分の力で自分を守れたことが嬉しかった。
でも、その夜、眠ってからだった。
明け方四時頃に目が覚めて、
昨日、私が伝えた「もう無理です」という言葉が、頭の中で何度も反芻し始めた。
「あれでよかったのかな」
「ちゃんと伝わったのかな」
「いや、でもやっぱりあれしかなかったよね」
そうやって考えがぐるぐる回るうちに、
だんだんと、「なんでそんなことが分からないんだろう」という怒りが湧き上がってきた。
そして気づけば、全身がムカムカしていた。
静かな明け方の部屋の中で、私の頭の中だけが騒がしくなっていた。
あ、これ。
またイカネズミだ。
イカネズミは、私が名づけた心の中のキャラクターだ。
イカのように墨を吐いて防御し、ネズミのように警戒心が強く、敏感で攻撃的。
私が「やられる前にやれ」というモードに入ったとき、暴れ出す存在。
彼はいつもこう囁いてくる。
「舐められてるぞ」
「あいつらが悪い。やり返せ」
「黙るな。黙ったら、またやられるぞ」
そしてその裏には、もっと切羽詰まったような声があった。
「戦わなきゃ」
「あいつらをねじ伏せなきゃ」
「やられる前に、私がやらなきゃ、私が潰される」
その声は、怒りに見せかけた必死の恐怖だった。
誰にも守ってもらえなかった過去の私が、
これ以上傷つかないために、とにかく相手を封じようとしていた。
でもその声のさらに奥で、もっと小さな声がずっと震えていた。
「戦いたくない」
「怖いの」
「私を戦わせないで。守ってほしいだけだった」
それは、私の中のインナーチャイルドの声だった。
ずっと言えなかった、小さな本音。
イカネズミは、悪者ではない。
でも、まず私はその存在に対して、はっきりと怒りを使う必要があった。
私はそのとき、心の中で彼に言った。
「もうやめて」
「あなたは私の子ども時代を守ろうとしたのかもしれない。
でも、同時に、あなたは私の人生を壊し続けてもいた」
「子ども時代は壊された。それはもう戻らない。
でも、大人になってからの人生は、私のもの。
私の今の人生を、もうあなたには壊させない」
これは、私にとって初めて自分の内側に向けて怒りを使った瞬間だった。
これまで私は、
誰かが私の境界線を越えてきても、「私が我慢すればいい」と思ってきた。
でも、そうじゃない。
本当に自分を守るには、怒りを封印するんじゃなくて、正しく使うことが必要だった。
それは他人にぶつける怒りじゃなくて、
私の中で暴れ続ける古いプログラム——イカネズミに向けて、
「もういい」と伝えるための怒りだった。
そうして初めて、私は自分の内側に“自立”の土台を築くことができた気がする。
「人がムカつく」「他人が許せない」と感じるとき、
その奥には、
本当は怖かった
本当は悲しかった
本当は守ってほしかった
そんな声が隠れていることがある。
怒りは大切な感情。
でも、その怒りの奥にある声に気づけたとき、
私は少しずつ、怒りに飲み込まれずに生きる力を取り戻していける気がしている。
ただ、私にとって怒りは恐怖でもあった。
これまで、怒りをそのまま他人にぶつけてしまって、
大切な人間関係を壊してきた経験がある。
そのたびに後悔して、
「私が悪かったのかもしれない」「私は人を傷つけてしまう人間なんだ」と思って、
どんどん自分を責めて、怒りそのものを封じてきた。
だから私は、長い間、怒りをどう扱っていいのか、本当に分からなかった。
でも今は、少しずつ分かってきた気がする。
怒りをぶつけるんじゃなくて、
怒りを境界線を引く力として使うこと。
怒りを、自分の内側の暴走に「もうやめて」と言うために使うこと。
それが、私にとっての「怒りを生きなおす」ということなんだと思う。
怒りを回復のために使う。
癒しのための正しい怒り
ソフィア
