幾太郎が医学部受験指導を始めて18年が経過して、医学部に進学した教え子は116人になりました。
いろいろな生徒がいました。
読者の方にいろいろとご参考にしていただけるように、プライバシーの観点から若干フェイクもいれながら、特集していきたいと思います。
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あの入試を振りかえるとき、私はいつもつらい想いになる。私が完全に負けた入試。
もう何年になるだろう。彼が高校卒業してすぐに、予備校の春期講習で会った。数学は最初からよく出来ている生徒だった。全体的な学力はまだ追いついていなかったようで、開講以降でのクラス分けは下のクラスからの船出であった。その年の下位クラスの担当は私であったが、彼はその中では圧倒的に優秀で、成績を伸ばしていった。
夏期の模試では偏差値65となり、上位クラスへと移動していったので、私の担当は終了した。
「まあ、彼は合格するのだな」と私は思ったのだけれども。
ところがそうはいかなかった。彼は秋口から予備校に姿を見せなくなった。地元の秋祭りの幹事をしていたということだ。
祭りに参加したかったわけではない。受験のプレッシャーに耐えられずに逃げ腰になっただけ。
彼は中学受験に失敗して公立中学に入学して、高校受験も第一志望に不合格で、医学部入試に不合格で、浪人している。負けるのが怖い気持ちはよく分かるけど。逃げてしまっては、勝てるものも勝てなくなる。
一浪目は惨敗で終えた。
二浪目の初めの講師会議で私は講師全員に話した。
「彼は自信がないだけだから、全員で盛り立てていけば大丈夫です」
二浪目は私の担当ではなかったが、一浪目と同じような形で、同じように破れ去った。
三浪目、再度私が担当になった。ここでチャンスが訪れる。予備校内に彼女が出来たのだ。普通ならば予備校内恋愛は予後不良を生む可能性が高い。しかし、彼の場合にはメンタルが弱いのが問題なのだから。彼女がいる限り予備校に来なくなってしまうことはないだろう。彼女は一浪で学力的には低いものだったが、うまく二人合わせて合格させられれば・・・、という算段になる。
うまく進んでいたよ。やっぱり秋口になると彼は休みがちにはなったものの、完全に来なくなるわけではない。一浪目・二浪目のときのように、秋祭りに行ってしまうこともない。
そして10月、予備校内で受験に向けての最重要とされる模試が行われる。その前日に彼女を喫茶店に呼び出して協力を要請した。
「明日の模試、彼にどうしても受験してもらいたいので、そのように伝えてくれないか」
模試の日は、私は授業がなかったのだが、予備校のスタッフに電話をした。「彼は受験しているでしょうか?」
スタッフは答えた。「残念ながら欠席です」
結局その年、彼は合格できず、もともとの学力は遠く及ばなかった彼女は、関東の医学部に合格して進学していった。
合格のお祝いに、三人で競馬場に行って、焼肉を食べに行って、そこで彼女に言っておいた。
「来年は関東の上位校に彼を送り込んでみせる」
そして、四浪となった彼。私は彼を一人で勉強させることは難しいとみて、彼を中心に同じような学力の生徒をチームとして三人組”マスターリーグ”を作った。その三人は全員連帯責任として、協力して、監視しあって、上がっていけるようにした。”三人全員のため”にやっている、と彼等には言っておいたが、本音としては一人だけのために作ったチームだ。
マスターリーグには、私は常に厳しく注意した。そのときの厳しさを知っている予備校のスタッフは、
”幾太郎先生はいつも優しそうだが、怒らせると怖い”と言っている。
そんな形で、彼との最後の勝負を迎える。秋口、秋祭りの時期。マスターリーグの支えがあれば、越えられると思ったのだが・・・。ダメだった。負けた。彼は予備校に来なくなった。
そして、秋祭りが終わったあと、何事もなかったかのように、彼は予備校に帰ってきた。私は彼に告げた。
「私の教室には、医学部にどうしても入りたい熱意のある生徒しか置くことはできない。あなたのようにやる気のない生徒はこの教室にいてはならない。出ていきなさい」
これも最後の勝負だったのだ。受験まで残り2カ月。ここから死に物狂いで追い込めば、彼の才能であれば十分あり得ると思っていた。ここで心を入れ替えて、勝負してくれたら・・・と思って厳しく言ったのだが。結局彼は立ち上げることはなかった。
四浪の結果、彼は現役時代にも滑り止めとして合格していた大学に進学する。
彼女も一年間、彼を待っていてくれたのだが・・・。その後は、関東で優しい彼氏をみつけて楽しくやっていた。
彼女はもう卒業して、研修医として関東でがんばっている。
彼はどうしているのか、分からない。
私はいつもこの受験を思い出すと、つらい気持ちになる。
どうすればうまくいったのであろうか。どうするのが、私の正解だったのだろうか。
たぶん、正解はなかった。でも正解したかったな。
いくた