幾太郎が医学部受験指導を始めて18年が経過して、医学部に進学した教え子は116人になりました。
いろいろな生徒がいました。
読者の方にいろいろとご参考にしていただけるように、プライバシーの観点から若干フェイクもいれながら、特集していきたいと思います。
彼は本当に想い出深い生徒である。
お父様は医師、親戚にも医師が多く、お姉さんも医学部生、医師名門一家の御長男様であった。
一浪生の彼は、かなり頭脳は切れ味があり、勉強に関しては他の生徒よりも進めるのが速かったことは間違いない。
しかし、残念なこと。泥臭くやっていくことが苦手だった。真面目な雰囲気ではあるものの、コツコツ地道なものは、どうしても後回しになってしまう。
優秀だから補えてしまうことも多いんだよね。数学でもセオリー通りの解法ではなくても、自己流でも全然やれてしまう。
自己流はある程度であれば、むしろ良いことだと私は感じているのだが、度を超えてしまうと、副作用が発生する。セオリーを知った上で、更に積み上げていくような分野では、なかなか進歩が見られない。
それでも彼は優秀なので、能力だけで医学部に合格できるのではないかと、私も他の先生も考えていたのだが。
もう一つ、彼には致命的な欠点があった。それは面接が下手なこと。
医学部入試の面接は、医師としての適性を見極めるものなので、決して甘くはない。しかし、ちゃんと訓練を積んでおけば、面接が苦手でも何とかなるものだ。
しかし、彼は練習しないのだよね。「医学部入試は、学科が重要で、面接は参考程度だよね」
このように軽く見ていた彼は、一浪は幾つかの医学部で一次合格をするものの、面接ですべてはじかれた。
二浪目も苦労したのだよね。同じ大学の前期・後期試験を2年連続4回受けて、すべて二次試験で不合格という大記録も達成した。
結局彼は二浪の末、上位の医学部に進学していった。これでめでたしなのではあるが。
彼とは大学三年生のときに予備校で再会した。春休みに実家に帰省しているときに、来てくれた。そのときに話していて、いろいろと驚いたのだよね。
彼は、大学で成長を遂げていた。かつて感じた、変なプライドや偏屈さ、時々見せる自身のなさといったネガティブな要素はすっかりと洗い流され、さわやかで柔らかなナイスガイになっていた。育ちの良く優秀で謙虚な医学部生の姿がそこにあった。
やっぱり受験生当時の彼には、様々なストレスがあったのだろう。苦しみを経てあるべき姿に戻っていった。私達が関わっている医学部受験生は、みんなこんな感じに何か重圧を受けている姿なのだろうね。
それを考えながら、フォローに当たってあげないとね。
いくた
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