この話での矢萩さんの答えは、いろいろな意味で刺さった。
僕は、本人が主体的にやりたいと言っているのなら、その経験には絶対的に意味があると思っています。つまり、自己決定して、それに対して結果が出るということ自体が、成長するために大いに意味があるということです。これは結果が合格であっても、不合格であってでもです。
そうなんですよね。
私もそう思ってはいるのですが・・・。立場として・・・必達仕事人としては、そんなことはいっていられません。
とにかく合格を売るのが、私達の使命ですから。
偏差値35は本当につらいでしょう。親子共に。
おそらく授業内容はほとんど分からないでしょうし、長時間ただひたすらに念仏を聞く気持ちは想像以上のストレスだと思います。それでも塾を辞めようとしないのは、ある意味凄いですよね。
私自身は、優秀な生徒にはあんまり興味ないのですよ。
NTTに余裕で合格できるような生徒は、私が教えなくてもいいじゃないですか。
QT医学部に余裕で合格できる生徒は、自分で勉強すればいいじゃないですか。
私が進んでいく道筋は、そういうものではなく・・・苦難の中に光明を見出すような、格闘の中に活路を見出すような。
そういう受験は、経験則は必要となりますよね。進学という意味での進路だけではなく、人生のゆく道という意味での進路を見つけてあげないといけないこともあります。
今までの実績は、そういうもののために活かしていきたいと思っています。
ただ、時々は優秀な生徒を適当に指導して、合格実績という名の、どうでもいい勲章をもらっておかないといけないのですけどね。見栄えするために。
いくた
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