努力することを褒めるならば、勉強の成果はどんどんあがります。これは本当にそうなのですよね。
結果を褒めるのではなく、その過程を褒めることができたならば、勉強に楽しさを見出せるからです。
努力できる素地さえあれば、努力を仕方を工夫するだけで、成果は後から付いてくることでしょう。そういった方法論は、私達指導陣は個々に合った方法をいくつでも提案できるので、すぐに成果を付けることはできるのです。アドバイザーがいなくても、自主的な工夫でよい方向も見つかるかもしれません。それはすべて努力ができる前提での話です。
でもなかなか定量的ではないものを評価することは難しいのですよね。テストのスコアが良かったということであれば、褒めることは簡単なのですが。十分な努力なのか努力不足なのかは、定量的な指標がないですから。2時間の勉強は、2時間も勉強しているのか、2時間しか勉強していないのか、それは人により場合によりじゃないですか。
テストの結果が出たら、その結果が良くても悪くても、努力過程の評価をするべきだと思っています。
スコアが30点であったのならば、努力して30点取れたことをまず評価することにしています。どんな努力が得点に結びついたのか。最大限に褒めてあげて、30点分の努力を更に伸ばすことで、もっとスコアも取れることを感じさせてあげること。
スコアが80点であったのならば、努力して到達できたことを子供は雄弁に語ってくることでしょう。それを褒めてあげることは簡単です。ただ、80点取れたことだけではなく、十分な努力ができたことを高く評価してあげたいと思うのです。
もちろんそのときに"次は90点取ろう"とか、野暮なことは言いません。そんなことを言えば、自分の努力が霞んで見えてしまうから。
”子供は褒められたくて勉強する”という考え方で私は全然OKだと思っています。それが続いていくと徐々に、褒められなくても満足できてしまう人間が育成されていきますから。
”お母さんに褒められたくて勉強する”という考え方で全然OKだと思っています。結果に関わらず無条件に努力を評価してくれる人がいるから、子供は安心して努力できますし、自立心の高い人間に成長できると思います。
褒められたいだけの大人は、子供の頃に褒められなかったのでしょう。
いくた