哲学系ダイアリー -17ページ目

哲学系ダイアリー

哲学関連の勉強日記です。

ライプニッツの考える宇宙、世界、物質観は次のように喩えられます。
植物が一面に生えている庭や、魚がいっぱい入っている池のようなものだと。
その植物の枝や、その動物の肢体や、その水の滴ひとつひとつさえ庭であり池であります。
その庭の土や空気、その池の水は、植物自体、魚自体ではありませんが、やはり植物や魚を含んでいます。

宇宙も同じで、未耕のところ不毛のところ生命のないところはありません。
混沌もなければ混雑もないのです。

71 (略)凡ての物体は河のように永遠な流動を続けているものでその部分部分は絶えずそこに入ったりそこから出たりしているのである(277頁)。

73 その結果として又、全身的発生も厳密な意味に於ける完全な死即ち精神の分離も決して無いことになる。我々が発生と名づけていることは展開及び増大でありと名づけていることは包蔵及び減少である(278頁、強調原著)。

以前に勉強したプラトンにも通じるところがありますね。

自然の有機体は、決して混沌や腐敗からは生じません。
種子によって生じますよね。
だから、有機的な身体は受精以前から存在していたはずだし、精神もそこにあったはずだ、と考えるのです。

動物が自然的に生じないならば、自然的に滅びることもないのです。
全身的発生がないだけでなく、全身的潰滅も厳密な意味での死もないのです。

77 そこで精神(不滅な宇宙の鏡)が不滅であるばかりでなく、動物そのものもその機構は屡(しばしば)部分的に死滅して有機的な殻を脱いだり著(あらわし)たりするにも拘らずやはり不滅であるということができる(281頁、括弧内原著、振り仮名筆者)。

ここから彼は、精神と有機的身体との結合を説明するのです。

79 精神は目的原因の法則に従い欲求、目的及び手段によって作用し、物体(身体)は実現原因の法則即ち運動の法則に従って作用する。而もこの二つの世界即ち実現原因の世界と目的原因の世界とは互に調和している(282頁)。

物体は物体で作用し、精神は精神で作用するのですが、両方とも互に作用を及ぼし合うのです。
神の観念の中には、可能性としては、無限に多くの宇宙があります。
しかし実在できるのは、この宇宙ただ一つです。
そして神がこの宇宙を選んだことにも、理由がなければなりません。

それは何でしょう。
それは、可能性のあるもののうち、最も完全性の高いものが実在するからです。

55 これが最善なるものの実在の原因であって、神は智慧によって最善なるものを知り、善意によって之を選び、勢力によって之を生ずる(268頁)。

単純な実体は無限に多くありますから、その数だけ異なった宇宙があることになります。
しかしそれは、各単子の異なった視点から見た、唯一の宇宙の様々な眺望に他ならないのです。

さて、すべての物質は連結しているので、すべての運動は、離れた物体にも距離に応じて効果を及ぼします。
ある物体に触れている物体に触れている物体に…というふうにして感じるのです。
その結果、この交通はどんなに遠いところへも達するといいます。
したがって、すべてを見るものは、あらゆる所でいま起っていることだけでなく、今までに起こったことやこれから起ることまでも各々の物体の中に読み取ることができ、時間的にも空間的にも遠く隔たっていることを現在の中に見ることができる、というのです。

だから単子は、それぞれが全宇宙を表現しているといえるのです。

63 (略)そうしてこの物体は「あらゆる物質が充実空間の中で結合していること」によって宇宙全体を表出しているものであるから、精神は「特に自分に属している物体を表現すること」によって同時に宇宙全体を表現する(273頁)。
さて、この「神」という実体が、すべての理由であると考えられます。

40 この最高の実体は唯一、普遍的、且つ必然的なもので、それに依存しないものは他に一つもなく、それ自身が可能的存在の単純な帰結であるから、制限を持つことは不可能であって、できるだけ多くの事象性を含んでいる筈だと考えてもいい(250頁)。

だから神は、絶対的に完全だということになるのです。
そして無限なのです。

この神こそが、原始的で単純な実体であり、単子というものは、そこから生まれてくる創造物なのです。
この単子は有限な創造物なので、もちろん制限を受けます。

48 神の中には、凡てのものの源泉となる勢力と、観念の細部を蔵する知識と、「最善」の原理に従って変化もしくは生産を起す意志とがある。この三つは創造された単子に於ける主体即ち基礎と表象能力と欲求能力とに応ずるものである。(略)(262頁、強調原著)

そうしたものは神においては無限で完全なのですが、単子においてはその「模倣」があるだけです。
ですから当然、不完全なのです。