こんばんは。

帰ってきて、
本日は前職場の同期と、
高校の頃の同級生と会ってきました。



久しぶりの再会。
久しぶりのランカから帰ってきた報告話。
久しぶりの、バカ話での盛り上がり。




ランカに行って、
帰ってきて、
少しずつ自分のことを認められるようになってきて。



それから会った人たち。



変わった自分も居て、
変わらない自分も居て。


全てが自分で。


ずっといろんなことを考えていた自分。
消えてしまいそうに悩んでいた自分。
新しく発見した自分。
元気を出して、アクティブな自分。




なんだか全てが認められたような、
救われたような気がした。




向こうに行っていた2年間は大きくて。
友達は結婚したり、
子どもが生まれたり、
もうすぐ子どもが生まれそうだったり。


そんな人たちと、2年間離れていたけれど、
また昔と同じように会えることも事実で。


置いて行かれたような気もするけれど、
お互い同じような話ができることも事実で。



あぁ、時の流れは誰にでも平等で。
僕も皆と平等に時を生きることができて。
平等に人生を楽しむ権利がある。


捨てたものじゃないじゃないか。
こんな人生でも。




気のせいかもしれないけれど、
そんなことに満たされて、
帰り道に一人で涙が出そうになった。





いろんなことを考える日々を過ごしていますね。。
どうも、お久しぶりです。

日本からの更新は久しぶり。



日本に帰ってきてから1か月ちょっと。
始めは全然自分が日本人に思えない感じがあったけれど、
ようやく自分自身で日本に慣れてきたと思える。


帰ってきてからは、色んな人に会った。
まだまだ会いたい人はたくさんいる。



その中で、

「前と比べてすごく変わった」
「表情もなんか違う」
と言われることが多くて。


実際、行って考えることも視野が広がったし、
自分に少しずつ自信を持てるようになった自覚もある。


けれども、
地元の中学の時からの友達と会うと、
「面白い経験をしてきたのは分かるけど、全然変わらない」
とのこと。


なかなか面白い意見の違い。


おそらく、色んなところで本来の自分が出せるようになったのであって、
中学メンバーは本来の自分で元々いられたのだろうけれど。


そんなことを知って、ちょっと複雑な気分になった。


さてさて、
「変化」とは何を指すのか。



もっといろんなことを感じて、考えていかないとな。
本日は、任地最後の日。
あと2週間で日本への帰国。

昨日は活動関係者がパーティーを開いてくれて、
夜はホームステイ先の親戚の家に挨拶をして周り、
今さらながら強く実感する。


色々とストレスもあったり、
不満もあったけれど、

「来て良かったな」

と感じている自分。



好きか嫌いかで聞かれたら、

「好き」

と言える自分。



良い人たちに囲まれていたから、
情が移ったと言われればそれまでかもしれない。



でも、俺は、
情が移るってことがネガティブイメージなコトバでは無いと思うから、
それでいいと思う。



さて、
荷物を片付けないと。
ちょっと、今、

Facebookの方で、

http://matome.naver.jp/odai/2140075172738866001

この記事に対して、

「全部の実習先がそうではないし、
 改善策も出さないで文句を言うのはただの愚痴であり、
 問題提起でもない自己満足だ!」

みたいにコメントしてる人がいて(直接つながってないけど)、
それに いいね! を押してる知り合いが何人か居た。






まぁ、まとめ記事に対して真面目にコメントするのも無意味だと思うけれど、


僕が知る限り、この記事は嘘はついていない。
現状を知って欲しいっていう情報の拡散がなぜいけないのか?
インターネットって愚痴ってはいけない場所なのですか?


この記事の出典元の人や、まとめをしている人が、
改善索を練らなければいけない理由が分からない。
改善に対して行動するような立場でない可能性の方が高いのに。


結局、
こういう記事に対して否定的な立場をとる人は、
弱い側に立ったことの無い人なんだよな。


自分は実習を乗り切った。
その事実があるから、
それに対して文句を言う人を、
「上から目線で」否定する。


何か意見を言いたければ行動しろ、
行動をしなければ意見を言う資格は無いと、
正論かのように言論を封殺する。





無責任な発言は嫌いだけど、
自分が正しいと思って妄信的になる人も苦手。


この人みたいな発言に賛同する人って、
圧倒的に理不尽な扱いを受けたり、
精神科に通うほどに追い詰められたこと無いんだろうなぁ。



そんな人の方が、
弱い立場の患者さんの気持ちに近づけないだろうし、
PT・OTに向いてない可能性があるんじゃないかって言いたいわ。



まぁ、強い人も、弱い人も、
それぞれ出来ることが違うから、
ホントはお互いを理解し合えばいいんだろうけどね。
こんにちは。
昨日は久しぶりにスリランカの夕日を楽しみました。

首都に行ってから、
任地までの約6時間の移動。

列車に乗って、
この景色を見ることはあと何回なんだろう、
列車はもう最後かもしれないな。


そんなことを考えながら、
スリランカの文句をたくさん言うけれど、
好きか嫌いかで言ったら好きだし、
ちょっとだけ寂しい気もしてる自分が居た。





そうして、
昔から好きだった曲を聴く。

好きだった曲を聴くと、
その時に感じていた、

みじめさ

哀しみ

自責

悩み、

そして、未来への希望が思い出される。




A Song Forを聴いて、
小さくて弱くて脆くて自分が居て、それでもその場には留まらない意志を思い出した。


Replaceを聴いて、
過去の自分・現在の自分・未来の自分、全てが諦めずに歩き続けて欲しくて、
そして、「いつもの笑顔」でいられるように生きたいと、生きて欲しいと願い、
自分も、周囲も、笑顔でいられるような生き方をしたいと感じたことを思い出した。


Secretを聴いて、
無力なりに足掻き、自分の滑稽な姿は周囲からどう映るのだろう?
そして、未来の自分からはどう映るのだろう?と考え、
未来の自分が嘲りではなくて、温かい目で見てもらえるように、
そんな未来の自分が存在できるように努力をしようと感じたことを思い出した。


teensを聴いて、
これ以上無いくらいの人間としての否定をされて惨めな思いの中で、
それでも人を信じて寄りかかるということを学んだことを思い出した。




そう、
自分も、周りも、
楽(ラク)に生きて欲しいのではなくて、
苦しいことも希望も、楽(たの)しんで生きて欲しいんだ。
そして、そんな生き方を表現したような笑顔を見たいんだ。




これまでの道のりを思い出して、
このスリランカでの生活を思い出す。

そして、
10年以上前に描いていた未来図を思い出す。


未来がどんな生活になるのか想像もできなかったけれど、
その時に想像していた笑顔に近づいている気はする。
だから、きっと、僕は努力してきたと言ってもいいのだろう。





あっ、これがもしかして自分を認めるってことなのかな?

自分の存在を許すことができて、
自分の存在を認めることができたら、
きっと、それは素晴らしいこと。

過去の自分には想像できなかったけれども、
「こうなりたい」という抽象的な目標にしていたこと。



白黒の世界に生きていたずっと昔の自分、
21歳の時に自分を見つめ直して、色がついた世界を知った。
これからは、もっと彩られた世界を見ることができるのだろうか。



こんな思いを、忘れずにいたいな。






こんばんは。

最近は、足の傷が治らず、
けっこうひどい目に遭ってました。




さて、
最近の精神的な落ち込みはとりあえずピークを超えました。

原因はある程度分かったので、
あとはどうやって、
「自分の思い込み」を緩和するか。
「そうじゃないよ」と納得させるかでしたが・・・・



この間、
友人の家にて、
お酒も飲まずに深夜まで話し続けた。

この友人もけっこうネガティブなのですが、
その友人に対して、
「そう考えるのはどうしてだろう?」と考えながら、
違う考え方を色々話していて、
「俺の周りの人も俺に対して同じようなこと思ってるんだよな」
とずっと感じていた。



自己否定の感情論の矛盾をついて、
必要性の無い自分への攻撃が、
周りからどう見えるのかを喋ったり。

人にかける言葉が、
そのまま自分に突き刺さる。



なんだか自分自身が滑稽な感じもしたけれど、
僕にはすごく重要なタイミングの、
重要な出来事だったんだと思った。




その直後から、
最近酷かった、
人と「仕事について」喋る時の過緊張が緩和され始めた。

不自然で不必要な自責の念が弱くなり、
少しずつ現状の不満を環境のせいだと思えるようにもなった。



自分を責めて喜ぶのは、
僕の敵だけ。

そういう人は、今までに数人しか会ってないし、
なんでそういう人たちを喜ばせないといけないんだ。




生きていくためには、
「狡さ」も必要。

それは人を陥れるためではなく、
自分を守り、
自分の周りの人を守り、
自分がこれから出会う人を守るため。



僕を否定する人を喜ばせるのではなく、
僕を肯定してくれる人に喜んでもらいたい。

そう生きられるようになったら、
また一つ、進めるのかな。
また一つ、自分を認めることにつながるのかな。



なんて、
こんなことを思っても、
明日になったらまたネガティブになるかもしれないけれど。


この気持ちを思い出せるように、
この文字をここに残そう。
どうもこんばんわ。

本日から、上原ひろみにハマりまくってます。
こんな刺激的な演奏する日本人女性がいたことにビックリ。

歌の無い音楽を聴いて涙が出たのは初めて。
世の中、新しいことを知るのはとても面白いなと
かなり元気が出ました。





さて、題名は心理系の専門用語です。
とある動物実験で、
苦痛から逃れる術が無いと思った時に動物は逃れる努力をしなくなる
そんな現象を指します。

そして、人間はあらゆる苦痛に対して、
「どうせ何をやっても無駄である」と無気力になりやすいらしい。





ここ1か月くらい、
精神的な落ち込みが激しくて、
本当にこのままどうにかなってしまうのではないかと思うくらい。

ちょっとこのままではマズイことになりそうと危機感を感じ、
不意にこのコトバを思い出した。



あぁ、まさしくこれは今の僕のことだ。
これで鬱の方向に入り込みそうだったんだ。



すぐにそう感じた。



細かいことを書きだすとものすごく長くなるので割愛するけど、
簡単に言えば、

今の自分が陥っている状況にはかなり不満があり、
何をやっても大したことができないと考えてしまって、
何もできない自分が「役立たず」であり、「無能」であると、
自分自信に対して言い聞かせ続けてきたってこと。
この1年半くらい。


それでも、自分が見つけ出した「自分ができること」があったから、
バランスを崩すこともなく今まで来られた。
しかし、
それもつい一か月ほど前に周囲の事情によって挫折してしまった。


これにより陥った逃げ場の無い理論構成によって、
四六時中、
自分自身を苛み続けてしまった。
10年以上目標にしてきた場所で何をしているんだろう・・・
と。



セラピストとして確立したアイデンティティが、
セラピストとしてなかなか役に立てない環境では無力になり、
数年ぶりに鬱になりそうなレベルでバランスを崩してしまった。




ギリギリで気付けて良かった。
これからまた努力をしなくてはならないけれど、
なんとなく根っこの部分に気づけたから良かった。



今日、この日記を書くと思った時、
ものすごく暗い気持ちだったけど、
今は上原ひろみの曲を聴きながら、
そんなに辛くない気持ちで書けている。

明日の精神状態はどうなるか分からないけれど、
この状態を抜けるために頑張ろうと今は思えている。


ほんの数十分で気持ちが軽くなるなんて生まれて初めて。


芸術って、不思議なものだなぁ。
こんばんは。

先日、誕生日を迎えました。

20代最後から30歳を迎えるときは、
精神的にけっこう最悪。



そんなある日の深夜、
友人がある曲を紹介してくれました。

洋楽なのですが、PINKという歌手の
○○ perfect(事情により伏せます)という曲。

洋楽は英語の意味を取るのが大変なのですが、
曲を聴き、その後でその意味を考えながら、
久しぶりにものすごい量の涙が出ました。


気を使ってくれた気持ちが温かくてココロが痛くって、
気を使ってくれて申し訳なくて放っておいて欲しくて、
そして、この曲を選んでくれたことに対して感謝して。







ここ最近落ち込みながらすごく考える。


自分のことが大嫌いで、
それでも生きるために人の役に立ちたくてここを目標にしていた12年前。

心身ともにボロボロになりながら留年して、
それでも自分の道を貫くことにした、
このブログを始めた9年前。

この海外へ来るために試験に対して色々と努力をした3年前。

そして、ここへ来た2年前。



1年前には、衝動的に死にたいと思うことが無くなった変化を感じた。
では2年経つ直前となり、今はどうなのか?



自分を好きになれた?
いや、今でも好きとは言えないや。


自分を認めることができた?
いや、まだ自分を認めることはできないや。


自分を許すことはできた?
・・・・・・・・・
あれ、
自分の存在を許すことはできているかもしれない。
こんな僕でも笑っていいんだと、笑う権利くらいはあるんだと、
自分に胸を張って言える気がする。


まだまだ自虐的で、
卑屈で、
どうしようもないことはたくさんあるけれど、
僕は自分の存在を許しているかもしれない。





生まれて生きていること自体が罪であると思い込んで生きてきた。
今は、そんな罪の重さを感じない。
この2年間は、そんな罪を自分自身が贖うための贖罪だったのかもしれない。

そう思えただけでも、
この2年間は意味があったのかな。

逆に、
通算12年かけてこの程度しか前に進めない小さい人間だってことも分かったけど。





まだまだ、
今のこの状況は、毎日が落ち込むことの連続。
自分自身で貶して落ち込む。

それでも、
時間はかかるけれども、
少しずつは前に進める人間なんだってことは分かったかも。



30歳に入っての抱負は、
「落ち込む時間がもったいない」って、
自分自身に言い続けていくことにしようかな。
ここ最近で最悪の精神状態。


もうどうしていいか分からない。

眠れば治るの?

抜け出せる気配がない。



確かに、自分の行動が招いた状態。

周囲は気を遣ってくれるのに、

どんどん劣等感に悩まされ、

気を遣ってくれること自体がものすごく辛い。



俺のことなんて放っておいてくれれば、

いっそラクなのに。

全てを諦められるのに。







まぁ、たまたまイヤなことが重なっているから、

こんな風に悩むのがしょうがないと思っている部分もある。




でも、自分の醜い面を直視させられているような、

どうしようもない感情の波に流される。






僕はどこへ行けばいいんだろう。



とりあえず、

なんだか休みたい。







失礼しました。

ただ吐き出したかっただけです。
こんばんは。

最近はちょっと色々とあってココロが磨り減っているようで、
なんだか自信がなくて人と話したくなくて、
喋れば喋るほどに摩耗していく。
そんな時は交感神経が優位になるようで、
脈拍が早く、夜も眠りが浅くなる。

ちょくちょくこういう状態になるんだけど、
今日は日本人の友人の膝を治療して、
1時間ほど他愛のない会話をして、
少し落ち着いた。




喋ると疲れる状態なのに、
喋って落ち着くって変な話だよね。

いや、治療をしたってのが大きいのかな?





自分の中で、
唯一信じているもの。
それが、リハビリと治療の技術。



僕はそれを実感できると、安心できる。
それだけに依存していると言っても良い。



じゃあ、他の部分で信じているものはあるか?


こうなると、肯定できるものが無い。

自分の容姿、
自分の性格、
自分の頭、
自分の能力、

全てにおいて肯定できない。
僕には何も無い。

まぁ、数年前までは全否定していたことが、
「肯定できない」
という表現になっただけでもマシな方だけれど。





自信を持てないと辛くて怖くて不安で、
人の目に触れていたくなくなる。
喋るのも怖くなる。

そのままで居るのもキツイから、
何かで自信を持てるようになりたい。
でも、自信をもってできることが無い。


そんな悪循環を断ち切れる唯一のものが、
「治療」。
治療をして、その場で誰かの身体が良くなって、
笑顔が見れると満たされる。
誉められたいわけじゃなくて、
ただ、自分のことを自分で認めることができる。
こんな自分でも生きている意味があると感じられる。

偏り過ぎた思考。




客観的に、甘い目で自分を見ると、
意外と捨てたものでは無いような部分もあるんだけど、
そのまま甘い目で見続けていられない。

これは自分に厳しいということなのか。




自分に厳しくすると、
卑屈になる自分がいる。

卑屈になって、何にも自信が持てなくて、
また自分がイヤになって。

自分がイヤになるから、
より高い理想を持って頑張ろうとして、
また自分を厳しい目で見て。


治療はこの悪循環を切れる。
自信を持つということが、
愚かな僕の思考の悪循環を断ち切れる。

じゃあ、もっと他の部分で自信を持てれば、
もっと気楽に生きられるのでしょうか。






でも、自信を持つってどういうことだろう?
「これには自信があります」と僕が言えるものは、
一体なんなのだろう。
どうすれば、そういうものが持てるのだろう。


他の人はどうしてるのかな。