題名は奥華子さんの最近大好きな歌です。

とても特徴的な歌。
奥華子さんらしいです。


ぐちゃぐちゃしたココロの中を、
直球で表現したもの。

サビの盛り上がるところで、
半音下げる作りが本当に、っぽいって感じる。
この作りが、この歌の全てを語ってると思える。


迷い、辛さ。
このネガティブな感じを表現してくれる、
共感できるのは、本当にこの人だけな気がする。


ぜひ、聞いてみて欲しいですね。
あー、荒れてる。

何がこんなに荒れる理由なんだろう。




毎日、何かしらの予定が入る。

仕事の方はそれほど順調ではないけれど、
それでも非常勤のバイトでそれなりに評価はされている。

人と会ったり、喋ったり。

自分の時間を大切にしてみたり。




それなのに、

なぜか叫びたくなるくらいに情緒が不安定。




自分のことを好きになるために努力してきたのに、

後悔の無いように行動して、自分を奮い立たせてきたのに。




哀しいくらいに自分が救われていない気がする。

自分の努力はこの方向で良かったの?

自分の今までの道はこれで良かったの?





そんなことは自分で決めること。

分かってるんだ。




ただ、ただ、

誰かに認めて欲しいのかな。




僕は間違ってないのだと。

そのままでいいのだと。




それなりに努力をしてきたハズなのに。

哀しいほどに、

自分を認めることができない。



こんな存在に、

生きる価値があるのだろうか。




きっと、

僕のことを知ってくれている人は、

生きる価値があると言ってくれるだろう。

こんな風に思う僕を、

叱ってくれるのだろう。




それが分かっているから、

自分を奮い立たせてきたけれど・・・・




信じることができないのか。

そうではないと思いたいけれど。




過去の僕が人を信用できないでいる。

過去の僕を、まだまだ乗り越えることができないでいる。





なによりも、

それが自分自身の不幸なのだろう。
なんだかお久しぶり。


最近、また自分の悪いクセが出てる。

誰かに、何かを期待してしまっている。



期待するだけ、人は傷つくと過去の俺は気付いた。

期待することを辞めただけ、人生がつまらなくなると過去の俺は気付いた。



どちらのバランスが良いかなんて、俺には分からない。

けれども、

臆病な俺は、

期待することが怖い。

傷つくのが怖い。

傷つけるのが怖い。



だから、俺は選んで、

人に期待をすることを辞めたハズなのに。

自分の足元を見つめることを重視したハズだったのに。







はぁ、

そのことに気づいていても、

まだ俺は何かを期待する。




自分の浅ましさ、

強欲さに辟易するけれど。




こんな自分を、

昔みたいに「死んでしまえ」と切り捨てることもなくなった。




これが、

俺の選んだ成長というものなのだろうか。




分かんないや。
今日はひたすらこの曲をリピートして聞いている。

https://www.youtube.com/watch?v=lX0MWEKhRPc

Raujika  で  Cry More

なんだろ、全然落ち込んでいるわけではなくて、
比較的充実しているのに、
なんだかココロの奥で叫んでいる何かがある。


何か、という抽象的なものではなくて、
僕はそれがなんなのかを知っている。
とても悲しくて、泣き叫んでいる感覚。


寂しくて、
誰かに気づいて欲しくて、
その先にある未来を切望している。



昔の俺だったら、
その感情だけでどんどん深くまで落ちて行ったのだろう。




今の俺は、
この落ちていく感情を深くに押し込めることができている。


ある程度自分を修飾できないと、
今の自分を奮い立たせて仕事をしていくことなんてできないからね。




でも、
今、
書いてて気づいた。




一人称が、「僕」ではなくて、「俺」を使った。

ここのブログに書くときに、
俺を使ったのは久しぶりな気がする。

実は使い分けてるんだよね。




このままではきっと行くことはできないけど、

今はこれでもいいかな。



きっと、

またどこかでバランスを崩すんだろうな。
最近は自分の仕事として、
顔を前面に出したり、
意見をアウトプットしたりしている。



自分にとっては非常に苦手な行為をどんどん続けなければならない。


それでも、やるしかない。


負担を負担と感じないために、
自分自身の意識改革も同時並行で行っている。



とにかく、
アウトプットすることは恥ずかしくないことなのだと。
前面にでていくことは、必ずしもマイナスではないのだと。



一度、がむしゃらにも目立ってみようと思って、
ユーチューバーになってみようかと思う時もあったけど(笑)。

でも、短編小説は一回書いてみて投稿してみたな。



恥ずかしくない!
誰かに否定されても、肯定してくれる誰かが俺にはいるんだ!


そう信じて、自分の苦手なことをどんどん繰り返す。





そうすることで、
また新しい世界が見えてくるかもしれないね。
最近なんだか弱気だったり、

卑屈だったり、

なんだかイヤな自分になっている。



一人ではいられない。

けれども、誰かと会うとその後ですごく落ち込む。



ちゃんとした一人暮らしを始めて、

かなり慣れたつもりなのに、

今は一人でいるとどんどん落ち込む。



ある意味では、

これが自分なのだと感じれているのかもしれない。




人と会いたいのに、

人と会ったり連絡を取ったり、

それすらも負荷になる。




自分のことを強いと思ったことなんて無いけれど、

ここまで弱いとは思ってなかったな。



タイミングの問題もあるのかな。




奥華子の月光をひたすら聞き続けている。





空っぽのみじめな自分。




本当は、きっと、

空っぽじゃないんだろう。

いろんな大事なものがあるとは思ってる。




けれど、

空っぽだと

感じてしまっている自分がいる。




空虚な気持ちがすごく強い。




この空虚感を埋めるものがなんなのか。




分かってしまった。




これ以上無く、




痛感してしまって、




認めたくない自分がいる。





そんな自分を、


壊してしまいたくなっている衝動もある。





認めたくない。

そうならないために、今まで生きてきたのに。

努力をしてきたのに。






自分の影が、

今は敵のように感じる。



ずっと、

自分が生み出して、

ついてきた存在なのにね。




さて、


これからどうしようかな。
今、
自分のココロをもう一度見直してみて、





自分のココロの貧しさがより鮮明になった。





それと同時に、



そんな自分と関わってくれている人や、
自分の周囲の環境に対して、



深く深く深い、

感謝のココロがあふれ出てきて、

勝手に涙が出てきた。




あぁ、

この暗く寒い場所が、

居心地がいい。












まだまだ、

僕の貧しいココロは変わらないんだ。



いや、

貧しいココロである と、

思っていないといけないんだ。





そうしないと、

ココロが壊れてしまう。





30年間で育んできたココロは、

簡単には新しい場所には行けないんだ。





扉の向こうの世界の、

慣れていない光は、

刺激が強すぎて無理をしていたんだね。





通りで、

ここまでココロとカラダが一致しない日々になってるわけだ。。。





でも、

新しい扉を認識したこと自体が重要なこと。

扉が見えているなら、

少しずつ慣らそうか。





きっと、傲慢なのが人間で、

傷つけて傷つけられることでしか見られない世界もあるんだろう。

人との距離がもっと変化する。





人生を楽しむための、

チャレンジ精神はまだまだココロの中にあるんだから。
自分らしいってどういうことだろうか。


今まで僕は自分のことを好きになる努力をしてきた。
そして、人のことを考えて、そのために悩み続け、
そんなことを毎日繰り返していくことが自分らしいのではないかと思えた。


けれども、
そんな自分らしさを求めて歩き続けると、
どこかで疲れてしまって、
そんな自分を分かってもらいたい。
少し休みたいという感情に流される。


当然だよ、
それが人間だから。
そんな自己正当化を小狡く行う。


そして、
頭で分かっているけれど、
自分の感情と、
誰か人のためを思っての行動に、
矛盾が生じてくると、
何を選んでいいのか分からなくなる。




自己正当化による傲慢




これは何よりも、
過去の自分が憎んできたものではなかったのか?



過去のスーパーバイザーであったり、
出会ってきて、
僕のことを否定した人間は皆、
自分の正義に酔っていた。


今、この世界で、
人を傷つけることができる人は、
ほとんどが自分が正義であると
正当化して行動している。


そんな人たちを毛嫌いしてきた、
自分もそんな傲慢の入り口に立っているような気がした。





こうならないように生きたかったのに。





もしかしたら、
僕は自分を好きになるという目標を掲げた場合、
そんな世界に足を踏み入れなければならないのかな?


そして、
それを認めた場合、
僕は今まで必死で努力して培ってきた、
僕のパーソナリティを失うという、
哀しい出来事になってしまうのかもしれない。



自分を許せなくなったらきっと僕は生きられない。
その思いを常に抱き、歩く力としてきた僕は、
どこかに居なくなってしまうのかもしれない。





あぁ。

今文章を書いていて、

今までの自分と何が違うのかが分かった気がする。




僕は、

何かを人に

期待し始めている。




今まで最低の自己評価だった僕は、

少しずつ自己評価を少し高くし始めて、

無謀にも人を信じ始めた。




人を信じることを学び、

人と関わり、頼ることを覚えた僕は、

次に人に期待をし始めた。




今までの自分らしさにそぐわない、

人に期待をするという行為。

そんな行為を自己正当化し始めている傲慢な僕に対して、

僕自身が拒絶をして、

人が僕を拒絶することを恐れている。

そんなのは、お前じゃない。





始めから期待なんてしなければ、

大きく揺れ動くことなんて無かったのに。

僕のことが人に分かってもらえるなんて思わなかったのに。




この扉を、

新しい世界の扉を、

僕は今、閉じてしまいたくなっているんだ。

ラクになるために。



でも、それは後戻りをするということ。




新しい道が見えたら、

それに向き合うのがお前だろう?





僕のココロは、

今、

進むべきか退くべきか。

どっちなんだろう・・・・
先日、
昔所属していたNGOを見に行った。
学校を卒業してから、8年間全く関わることのなかった場所。

たまたま、
その時のメンバーと会う予定があり、
その日にイベントがあるというので見に行った。



外国の文化背景を持つ子どもをサポートする団体。



前所属していた時よりもかなり規模が縮小されてきたけど、
今もそこで働いている学生がいて、
参加している子どもがいる。

ある程度運営に関わっていた人間としては、
続いていることが嬉しい。




中には、
参加していた子どもが大人になっていて遊びに来ていて、
昔僕らが見ていた子どもが今大学生になっているという話を聞いたりもできた。




あぁ、これが積み重ねるということなのだろう。
これが、草の根のボランティア活動というものなのだろう。




スリランカに行っていた時には実感できなかった、
年月を経て初めて自分たちの行動が実になるというものを見れた。



夜に、昔のメンバーと会う時に、
昔その団体で勉強していて、
今は大学生であるという人も一緒に参加した。


学生も、子どもも、
年齢や文化背景なども関わりなく話し合えて、
一人一人の人間として関わることができる。





時は流れる。



昔、
自分達が行った行動は無駄ではなかったと実感できる。



その頃の僕には何も力がなかった。

ただただ苦しくて、

大嫌いな自分が生きるための力を欲していて、

自分を誤魔化すように生きる意味はあるのだと言い聞かせるように、

何か人のためにできることを探していた。

自分が生きる言い訳を造っていた。




そんな苦し紛れのような行動であったとしても、
誰かの人生のプラスとなっていたり、
今の誰かのプラスのなっていたり、
繋がっていたということを知ることができた。



誰も知ることのできない苦しみは、

未来の自分が笑い飛ばすことでしか救われないと思っていた記憶は、

この10年という年月が、

認めてくれた。

それに気づいた時に、涙が込み上げてきた。




また一つ、

新しい景色を知ることができた。




だから、

きっと、

過去の自分は間違ってなかったんだろう。
ここ最近、
自分の弱さが実に身近に感じる。



元々強い人間ではないことは分かってる。



それでも、
今までの努力もあったし、
少しはマシになったのかなとは思っていた。



なのに、



どうして、



まだまだこんなに脆いのだろう。




それでも、
僕のココロは、
硬いことが自慢なのではなくて、



何度でも崩れて、
そこから這い上がることができる点であると信じたい。




次の道に進むために。