僕は今までどれだけの人を傷つけたのだろうか。



元々、
人の事は観察するクセがあり、
相手が何を思っているのか、
何を感じているのかは常に思考してきた。



そのせいで自分自身が被害妄想のようなものに
取りつかれることも多かったけど・・



極力、人を傷つけないように生きてきたと思う。



なぜなら、
そうしてしまったら、自分が許せなくなるから。




けれど、



あくまで人の痛みは自分が想像できるものでしか無かったのだろう。



僕は、
人間らしい感情を持っていない部分があるから、
自分が経験したことの無い痛みは想像ができない。


そんな欠陥品だと自分でもわかっていたんだけど。



最近、初めて経験する痛みを知った。
今までは、それが痛みであるとは思わなかったのに。



もしかしたら、
自分は誰かにそんな痛みを与えていたのではないか。



それは、きっと、

過去の自分が自分自身に定義した、

「自分自身が許せなくなること」

に該当する出来事なのだろう。



今は過去の自分とは違うから、
それを罪であり、
断罪しなければという衝動には襲われないけれど。



人間になるって難しいな。
苦しいな。



でも、やっぱり新しい世界は、

興味深いと感じてしまうよ。
生まれて初めて、



昼間からお酒を飲む。
一人で。




お酒は好きだ。
時々は一人で飲む。一杯くらいなら、毎晩のように飲むこともある。
けれども、酔うほどにお酒を飲むことは無い。




なんだか、
最近は感情と理性の乖離がひどくて。



何もストレスとなっているわけではないけれど、
理性があまりにも優位に立っているような気がしてた。



誰かとお酒を飲んだりする。
誰かとお酒無しで会話をしたりする。




そのたびに、
自分は誰かから見られている。

自分自身が、誰かから見られている。





そんな枷から外れられなかった。





それで、
今、
枷の無い状態で、
お酒を飲んだ。




アニメを見ているんだけど、
内容とは関係なしに、
いつの間にか涙が出てくる。



自分でなんなのか全く分からない涙が出た。

だんだん、自分の感情が尖っているのが分かった。

ピーキーな自分の感情が手に取るように分かった。





「年齢相応に見えない、落ち着きすぎている」
きっと、そう思われる行動・感情・会話をしてきた。


人がいる前ではね。





でも、人がいない前で少し酔い始めた自分はなんなのか。

勝手に涙が出るし、勝手に笑いがこみあげてくる。

どんどん、色々な哀しみが浮かび上がってくる。

・・・あぁ、感情が出るってこういうことなのか。




僕は紛れも無く生きている。
それは分かる。
きっと、人間としては外れていない道を歩いている。




そんなことが建前で、
生物的な、直情的で短絡的な感情が裏側で渦巻いている。




そして、それはきっと人前には出てこない。



誰か、人の前では。





自分にしか分からないこと。
それを感じられることはとても素晴らしいことなのではないか?





自分の肌の一つ下側では、
自分にしか感じられない世界がある。





よく分からないけれど、
人がアルコールであったり、薬であったり、
何かに逃げてしまう気持ちが分かった気がする。



理性があることは、社会の中で生きること。


でも、
その中に、

とても弱くて哀しくて可哀相な自分がある。

それに触れられることはとても素晴らしくもあり、

惨めで、だけれど逃げ込みたくなる自分がある。



この世界を知っている人はどれだけいるのだろうか。





あぁ、こんな文章はなかなか描けないと思うけれど。




こんな感情と理性が同居している状態にはあまりなれないからなぁ。






たぶん、人間的には危うい世界だ。
理性と感情が同居している状態を認識できるなんて、
多分、ココロが壊れかねない世界だ。



だけど、きっと、

僕には必要なのかもしれない。





僕は、

誰かがどんな弱い人間であっても、

それを認めたい。

そして、その人と手を取り合える自分でありたい。





僕は人の笑顔を見るのが大好きだ。それに繋がる行動が大好きだ。
だけど、もしかしたらそんな感情がその行動の原点なのかもしれない。






あふれ出る感情のままに、
こんな文章を書いてみたけど。




数時間後には恥ずかしいと思うのか、
書いて良かったと思うのか。



まぁ、文章を書いている時点で理性が働いてるんだけどね。




こんな文章も楽しいや。

誰も理解できやしないけれどもね。





だけど、生きてるんだな、僕は。
昔から僕は物欲があまり無かった。
これは今でも自分の人格形成に深く根付いている気がする。



求めても手に入らなかったからなのかな、
いや、そもそも、そういうワガママを言った記憶がない。



欲しいものはいつだって諦めたほうがラクだ。

手に入るかもしれないと期待したり、
頑張ればなんとかなるんじゃないかと思ったり。

そんな気持ちは、いつだって打ち砕かれた。


だから、物とかに執着するのはやめていた。


そして、いつしか人にも。




今までの人生で、
欲しいと思って手に入れたものは、
自分の知識とか技術だとか、
目に見えないものだけな気がする。



友達とかは、気が付けば居てくれた。
どこかで求めていたのかもしれないけれど、
期待していなかったつもりなのに、
気が付けば、色んな友達が居てくれる。



いつだって、
期待していない方が良いことが起こる。
考えていないほうが、何かが近くに来てくれる。


そしてそんなことを繰り返してきたら、
僕は何かを求めてはいけないのではないかと感じてしまっていた。





人は未来を夢見て、
期待して、
ずっと先の想像をするから、
今が苦しくなる。
今が悲しくなる。
けれど、そのぶん楽しいことも増えるのだろう。


始めから、何も期待しないで、
目の前のことだけを見て、
自分の視界の範囲に何かがたまたま来たら、
その時だけ喜ぶようにする。
そうすれば、疲れたりしない。
無駄に傷ついたりしない。


その方がラクだよね。
ラク・・・なんだけどね。




なんか違うんだよなぁ・・・・





僕の、
他人のことなんて一切顧みなくなった状態のココロの底からのワガママって、
一体なんなんだろうな。
昔から大好きなマンガがある。
少女マンガなんだけど、
引っ越してきてから、久しぶりに読みだした。

内容はだいたい頭に入ってるんだけど、
読んでいくうちにどんどん涙が出てきた。
こんなに泣いたのはいつ以来だろう。




自分自身のココロの痛み。

ここに吐き出してきて、
今はもう克服した部分もたくさんあるハズ。
だけど、まだ克服していない部分もたくさんあって。



マンガを読んで、
読んでいたころではなくて、
自分が過去に見ていた世界を鮮明に思い出してしまう。



全てがモノクロに見えていた世界。
自分自身の痛みなんて、何も感じていなかった世界。
自分の中のカイという存在と向き合い、傷つけ合い、助けられていた世界。


どんなにもがいて助けを求めても、
救われることは無くて、
自分のココロから湧き出してくるドロドロの真っ暗な沼のようなものに、
どんどん身もココロも絡み取られていく。
生きるということがどれだけ絶望に彩られたものであろうと、
それでも生きるという選択をした。


忘れていたような気がしていたけれど、
まだまだ鮮明に、近くに感じられたあの頃の記憶。


とても辛い記憶だけれど、
それが僕が僕である証であり、
今まで努力してきた記録となり、
これから努力をしていく原動力となり、
理想を描いて行けるんだ。



そして、また、
僕はまだ自分が救われる方法を探しているという、
何も変わっていない醜い性根を、
どうしようもなく自覚させられた。



でも、それも悪くない。



僕自身のココロの弱さに向き合うために、
これからも時々、お世話になるんだろうな。
なんだか最近疲れている気がする。
身体的にではなく、精神的に。


忙しいわけでもなく、
のんびりとした生活をしているのだけど。




今日も人と話していて、
自分が思うままのことを話していたハズ。




だけど、
なんだかズレがある。




今の思うままを喋っている筈なのに、
気持ちの中で、
どこかにクエスチョンマークが出てくる。






俺は何に気づいてないんだろう。











自分が満たされるために、
人のことを考えて。



人のことを考えるために、
自分のことを好きになって。




自分のことを好きになるために、
他が為の何かをする。
自分を好きになる理由を作る。





このローテーションができれば良いと思ってた。
理想論の好きな自分には、
それを続けていれば良いと思ってた。







綺麗なもので飾り立てて、
人のためにと役割を演じる。




そんなピエロは、
そのままでココロが満たされるのだろうか。




そのピエロのココロは、
誰が慮ってくれるのだろうか。










そんなものは期待してはいないさ。
それがピエロってものでしょう?






そこに気が付いた時、



自分自身の空洞に気づいた。




自分に中身が無いわけではないと思うけど。
中身があるのに空洞なんだ。





今の僕には、
その空洞を埋められるものが何なのか、
なんとなくわかってしまった。


けれども、
それは認めたくないんだ。






中身のあるピエロ。
そんな矛盾した存在は許されない。






それでも、僕はピエロで居たいんだろうな。
今日は久しぶりに臨床。

自分のお仕事ではなくて、
デイサービスでのアルバイトですが。


4時間のリハビリの提供。
慣れない場所で、短時間でリハビリを回す初めての経験。


昨日から、久しぶりにリハビリに触れられることが楽しみだった。


なんだか、頭がいっぱいいっぱいだったけど、
やっぱ楽しくて、意外と疲れなかった。


お仕事スイッチを入れての臨床は本当に久しぶり。
評価の目は鈍ってるのは実感したけれど、
やっぱり臨床が大好きだなー。
最近の日本を騒がせている問題。
日本人として海外経験者として一応情報は追わせて貰っている。


色んな人の意見があって、
ぶつかり合うことはとても良いことだと思う。


某有名な夫人が出したコメント。
自決しろっていうのは感情が入りすぎだとは思うけれども、
海外経験者としては非常に同感だと感じた。


安全と言われる日本を飛び出ること。
そこで、自分が行うことと、晒される危険。


そんなもの、ちゃんと覚悟して行ってるんだよ。
覚悟しなかったら、
人が生きたり死んだりすることを肌で感じる場所に行く資格はない。



覚悟を決めた人の意志を、
「自分はこう思う」と無責任に自己陶酔気味に、
「助けてあげて」だとか、
「自己責任論を出す人はモラルが無い。冷たい」とか、
「同朋を死んでも良いと言う人間は非国民だ」とか。


俺はそれをただの本人の意志の冒涜だと思う。
命の危険を感じつつも行動することがどういう事なのか。


日本よりも命が軽い国に、
油断をすれば簡単に人は死んでしまうことを経験してきたから、
覚悟を無碍に扱うような発言は少しイラッとしてしまう。



もちろん、
命の重さは自分で決めるものではないことも分かる。

命の重さは、
自分が決めることもあるだろうし、
他人が決めることでもある。

少なくとも、縁がある人たちに取っては大きな問題だよ。
彼自身だけが命の重さを決めていいことではないさ。



それなのに、
同じ立場に立ったこともない、
世界で最も安全と言われる国にいる他人が、


出来事に対して持論を展開して、
全く無関係の人を否定するような発言までするのか。


なぜ本人の意志を知ろうとしない。
なぜ、当事者・関係者の意志を否定する。


彼は何を望んであの仕事をしていたのか。
命を「懸け」て何を得ようとしたのか。





今回の件に関しては、
俺も多少感情的になってしまうからプライベートではこの話はできない。


海外経験者であったこともそうだし、
自分が正しいと陶酔して他者を否定する発言を平気ですることに対しては、
昔のスーパーバイザーを思い出してしまうから。


感情が入り混じって理性的に話をすることができない。




だから、ここに吐き出します。
たった今、ふと友人夫婦の出産報告を聞いた。

このグループは、要所要所で集まってて、
結婚式二次会の司会とかをお互いにやったりしているグループ。


ラインでこのグループに投稿された画像。
赤ん坊の写真が載っていた。


それを見た瞬間に、
「あっ、かわいい」
と独り言が出てきた。






今までだって、こういう画像は見てきた。
実際、赤ん坊にだって会う機会も多かった。



カワイイとは思うけれど、
客観的に、観察してしまうことしかできなくて。
無事に育つといいなとかは思うけれど、

周りのみなさんが言うように、
あーかわいいなぁ、とか
いつまで見てても飽きない、とか
庇護欲というか愛情というか、

本当はさっぱり分からなかった。



そんな自分は生物としての欠陥品のような気がして、
子どもが好きっていう人以外にしか、
そんな自分のことを話したりできなかった。
そういうものだと思っていた。




だから、反射的にカワイイと思ってしまった自分にすごくびっくりしている。
そんな自分に戸惑い、なぜそんな言葉が口をついて出たのか、自問自答する。




なんだか、よく分からないけれど、
涙が出てきた。
でも悪い気はしない。
新しい命に、温かい何かを感じたような気がした。



もしかしたら、
気付いてない変化があるのかな?
自分が想像もしたことの無い変化は怖いし認めたくはないけれど。
これが人間に近づいているということなのか。



周囲の環境の変化とともに、
自分も気づかないうちに少しずつ変わるのかも。


自分を見失わないために、
時々、自分の変化も観測していかないと。
まだ完全ではありませんが、引っ越しが落ち着きました。


今後のことも考えて、
勉強に集中できるような部屋にしたつもりです。


そして、
意外と自炊ができることにビックリ。
スリランカで学んだことがここでも生きるとは。


そのうち、スパイスからカレーも作ってみよう。




考えることは色々とあるけれど、

早く自分の仕事に集中していかなければ。



一つ一つ、
進んでいこう。
さてさて、お久しぶりです。


明後日から、一人暮らしを開始。
実は初めての一人暮らしだったり・・・・


けれど、
もっと勉強に集中して、
自分のことをもっと知る良い機会になるかなと思ってる。


ランカから帰ってきて、
色々と旅行したり、考えてみたり。


やっぱり、昔から思っていた、
介護予防・健康の啓発をやりたい。

それは国民健康保険に守られている中ではできないから、
自分でどこまでやれるのかを試すために開業をする。



世間知らずなので生活も独立も、
初めてだし何もかもが不安。



スリランカ生活も、
これからの生活も、
自分を見つめ直す良い機会だと思って、
より一層、自分を追い込んでみよう。




僕は必要性を感じなければ動けない。
何もできない。


緩いところに居ては、
何も成長できない。


それはここ数年の出来事で痛感した。



2年間で少しだけ人間になれそうな気はしてきたけれど、
まだまだ僕には欠けているものがたくさんある。



だけど欠点だらけでも、
こんな自分に少しは愛着が湧いてきている気はする。



そんな愛着が、
もう少しずつ僕のココロに馴染むように、



歩いて行こう。



そして、進んで行こう。



一人になることで、


この世の中でイヤになることもたくさん見るだろう。



そんな世の中を、自分を、


これからもっと好きになることができるのかねぇ。



さてさて、頑張らねばなー