クライアントの死 | フィラデルフィア ICM 便り

フィラデルフィア ICM 便り

ソーシャルワーカーの見たアメリカ底辺事情

先日、ICMのサポートミーティングがありました。今月から一人のICMの提案で始めたんです。この仕事、ストレスと責任の重圧がおもーく肩に乗ってる演歌のノリの毎日なので、何とかせめて仕事仲間でオフレコなサポートの場を持ようやないかという発案です。


今回は二回目のミーティングで10人ほど集まりました。

話はクライアントの死でした。ひとりのICMのクライアントが今、ICUで瀕死の状態なんです。彼女がプロとしてのICMの顔でクライアントや病院のクリニカルチームと向きあう裏に必死で隠さなくてはいけない死を看取る人間としての辛さや悲しさをオンオン泣きながら話したのです。彼女はICUを出たとたん、泣き出す自分を止められなかったと語りました。


クライアントの死を経験したICMなら皆、経験する悔しさ、悲しみ、それに「本当に全てできる事はやったんやろか。自分がもうちょっと踏み込んだ手段をとったら彼(女)はまだ生きていたんと違うか」という自分を責める感情はどうしたって湧くんですよ。


私も経験してます。一番最近のクライアントの死は今年前半に起きました。心臓麻痺だったんです。どんな医者に会うのも嫌がって、健康診断も薬も何も長年拒否して来た人だったので、彼の健康状態がどうなのかはまさに神のみ知るところで、高血圧が色んな部分を蝕み始めていたのは知る由もない状態だったんです。こんな風に精神病のせいで自分の健康状態に注意が払えなくて大事にいたる人は多いんです。長年の不安定な生活と健康である日突然、クライシスになるんです。最悪は死です。


どれだけ自分がICMとしてするべきことをしてあげられたんだろうかという疑問は、こんな時に考えてしまいます。たとえ、できる介入は全てしてきたのがわかっていてもね。クライアントが何もしたくなければ、どうしようもないのにね。

それ以上に単純に人間として辛い喪失感が伴います。数年間その人の紆余曲折、喜びや悲しみを間近に見て、一緒に歩いてきたのだから当然です。


プロとしてビジネスと個人のラインを引かなくていけない立場ゆえ、そんなソフトサイドの感情・リアクションは封じ込める傾向なので、先のICMのような反動の感情も溢れることもあるんです。彼女のジレンマの苦しさについては皆で経験も交えて色々と話しました。


毎年、フィラデルフィアではホームレスのメモリアルディが12月に催されます。今年は確か1219日だったと思います。この一年間に亡くなったホームレスの方達に祈りをささげるイベントです。今、主催のProject HOME http://www.projecthome.org/ が祈りに加える名前を募っています。私は亡くしたクライアントを入れてもらうつもりです。

12月はそんな季節でもあります。