月曜日の朝、ルーティーンの語学放送を聴いた後、土日曜に集金した町内会費等の集計をした。


町内会を退会する人が多くなり、隣の班と合併したため、集金に行く家の人たちとはあまり面識がない。


それでも、古くから住んでいる人たちは、班長を複数回経験し、集金作業の煩わしさを承知しているので、お釣りがいらないように準備してくれるし、ご苦労様ですと労いの声をかけてくれる。


一方、新しく家を建てた人は、そんな気遣いはしてくれないし、任意の赤十字活動や社会福祉協議会には未加入になるパターンが多い。


その後、久しぶりに佐布里池まで足を伸ばした。

これから蒸し暑くなってくると、日中往復60分の散歩がキツくなってくる。










モンゴルの騎馬民族にロマンを持っている司馬遼太郎の心情を探ってみたくて、この本を借りた。


司馬は、子どもの頃から、中華思想の漢民族から匈奴や羯というような奇態な文字をかぶせられた民族を夢想するのが好きだったようで、『街道をゆく』編集部から、1973年に日本と国交を樹立したばかりのモンゴルへの街道の話が出たときに、ただちに引き受けた。


当時、ウランバートルへは、新潟からハバロフスクまで行った後、イルクーツクへ飛んで、モンゴル領事館でビザを発行してもらってから、ようやく行けた。


立ち寄ったソ連の都市で、大黒屋光太夫やノモンハンといった歴史を思い起こす。


モンゴルに入国してからは、当時の都市・建物へのソ連の影響を感じながら、その建設に強制労働させられた日本人捕虜に想いを馳せたり、モンゴルの広大な草原やモンゴル人の気質について語る。


当時この紀行を読んでいたとしても、モンゴルのイメージは湧かなかったかもしれない。


しかし、来日しているモンゴル人に直に触れることができ、大量の映像情報が得られる現在は、あたかも現地に行ったことがあるように情景を思い浮かべながら楽しむことがことができる。


また、先日NHKのBSで放送していた、2021年に開港した新チンギスハン国際空港への「弾丸!空港とんぼ返りツアー」はタイムリーだった。











『街道をゆく』の「モンゴル紀行」を読みたくて、司馬遼太郎全集第47巻を借りた。



「モンゴル紀行」の前に、「韓のくに紀行」が収められていたので、まずこれから読んだ。


司馬が戦時中、関東軍へ送られるとき、そして終戦の直前に朝鮮経由で本国に帰るときに、貨車の窓から眺めみただけの韓国。


司馬のこの国への関心は、ウラル・アルタイ語族を話していた民族の末裔である韓国と日本(倭)の歴史的に深い関係に根ざしている。


1971年、司馬は釜山へ飛び、かつての加羅、新羅、百済を旅して、遠い昔の倭の痕跡に思いを巡らせる。


20年ほど前から韓国の歴史ドラマを何本も観てきたので、地名も歴史的出来事の関係も既知のものとして受け取れ、一緒に旅をしている感覚にとらわれた。


しかし、当時司馬が見て感じた韓国南部の田舎の風景や人情は、半世紀経った今、大きく様変わりしていることだろう。



<2024年10月 釜山・晋州旅行>