前回の記事では、「遺伝か環境か」「才能か努力か」といった二項対立ではなく、それらのかけ算のようなものを考えた方がいいんじゃないか、そして中学受験の場合には子どもの発達段階の個人差(成熟度)というファクターが重要なのでは、という私見を書きました![]()
発達段階の個人差(成熟度)は地頭とどうやって見分けたらいいのかという声もいただいたので、今日はそれについて思うところを書こうと思います。素人の独り言ですので、考えの違う方は適当にスルーして下さい![]()

さて、表題の発達段階の個人差(成熟度)はどこに表われるかですが、個人的には楽しく読める本と書く文章に表われると考えています![]()
まずは楽しく読める本について。本を楽しく読めるには、内容を把握でき、感情移入でき、自分の経験や関心と結びつけられることが必要ですが、これらは精神的な成熟度と強く相関すると私は思います。したがって、どんな本を楽しいと感じるかに成熟度(≒精神年齢)が表われると考えます。
成熟度が高まってくると、登場人物の気持ちの変化を追うことができ、行動の理由を考えられ、書いていない部分を想像できるようになってきます。そうして読み方の正解が一つでないような、読後に余韻が残るような、要するに抽象度の高いものに面白さを感じられるようになってきます。なお、これは語彙が難しいとか漢字が多いとかページ数が多いといった学力的な軸とは別の軸です。
続いて、書く文章の方ですが、成熟度が高まってくると、話題が整理され、時系列が安定し、考えの根拠が書かれ、読み手を意識した表現ができるようになってきます。これは国語力の差というより、自分を外から見る力(メタ認知)の発達段階の違いが大きいように思います。(他人と比べず)本人比で見ると、10~12歳くらいの年齢では、半年や1年経つと書く文章もずいぶんと変わってくるものです![]()
成熟がまだ追いついていない段階では、抽象理解、自己管理、メタ認知といったことは難しいですね。無理をせず、嫌になってしまわない本人なりのペースで頑張りながら成熟を待つしかないのかなと思っています。
ただ、何事も考え方次第ですね。私は以前よりも中学受験の「プロセス」そのものにも価値を感じるようになってきており、幼かったとしても、それならそれなりのペースで取り組む中学受験でも十分に価値があると考えています![]()
まだ書きたいことがあるので、後日もう1回くらい続きを書くと思います![]()
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