かれこれ1年前にフィリピンで山登りをしていて思ったのだけど、やっぱり人間30にもなると何にもしないとてきめんに体がなまってくるみたいである。これくらいなら簡単に、と思ってる行程でも本当に足が疲れて、最後は頭がくらくらしてきて、途中でベンチで寝て休んだりしたこともあった。ほんど、2時間くらいの山登りだったのにね。


その時、アメリカに来てからトレーニングをさぼってたなあということを痛感したんだけどなにぶん学校が始まると忙しくてついつい先送りにしてしまう。妻もこれを機会に一緒にジムに、、、という性格じゃないので、家族と過ごす時間を考えるとますますトレーニングから足が遠のいていた。


それで、6月に湖沿いのアパートに引っ越したこの機に、毎朝ジョギングしよう!と思い立ち、最近は朝早く起きて湖沿いのジョギング用の小道を30分ほど走っている。外のコンクリートの道を走るとひざに負担がきて痛くなることが多いので無理はできないのだけど。本当は、屋内のジムでやったほうが長時間走れるのだけど、うちのアパートのジムはとても立派なもので、その分住人に対しても無料じゃないのである。


カップル二人で一年間1,000ドルというのは、まあ日本のスポーツクラブの相場からしたらそんなに高くないかもしれないけど、学生にはやっぱり厳しいものがある。うーん。そのジムは自分の住んでいるハイドパークという地区では一番ハイグレードなものらしく、昨年はオバマ大統領もよく来ていた(当時はまだ候補)というくらいだから、まあ自分なんかが使うにはまだ100年早いということだろう。ちなみにオバマ大統領の家というのもうちから徒歩10分くらいのところにあります。もう住んでないんだけれど、ちゃんと警察が警備していて分かります。


寒くて走れなくなるまで、なんとかサボらずに続けよう。















シカゴに来てから3年目に入るのだが、妻が妊娠してもう7ヶ月になろうとしている。

色々と考えた結果出産も日本に帰らずにこっちですることにしたので、予定日の9月が楽しみだ。

ちなみに今の診断では女の子の予定。


予定日が近づくにつれて検診の頻度も多くなり(こちらでは全部パートナー同伴なので、ぼくも毎回都合をつけて定期健診に行っている)、二人とも気持ちが盛り上がってきたのだが、問題は名前をどうするか、だ。


名前というのは別に特に変なものでなければまあ不自由はないし、原理的には適当につけたってよさそうなものだけど、その適当につけるにしてもあまりにも候補が膨大にあるので結局なんらかの原理原則というか「こういう理由があってつけました」的なものがないと決断ができない。ぼくもこういうことについては割りと優柔不断だと思うけど、妻は輪に掛けてそうなのでますます決めるのに時間がかかってしまう。


そんな中、最近の娯楽は名前のつけ方の本を読むことだ。

たまごクラブが出しているほとんど辞書みたいな厚さの本で、赤ちゃんの名前のつけ方についてはほぼなんでも載っているといっても過言ではないのだが、面白いのは他人の付けた名前と、そのエピソードを読むこと。


たとえば舞華(まいか)という名前を女の子につけた夫婦のエピソードで、そうか、「まいか」っていうのもあるんだなと思って読んでいたところ、なんと名前の由来は二人が行った新婚旅行先がジャマイカだったから!というもので本人たちはすごく真面目だしいい名前なんだけど、すごくおかしくて笑えた。


あとは、沖夏(おきなつ)という名前をつけた夫婦が、名前の由来として、以前飼っていた猫ですごくかわいがっていた猫の名前が「おきな」だったので「おきな2(ツー)」ということで「おきなつ」という名前を子供につけてしまったというのもあって、これもおかしかった。子供が成長して自分の名前の由来を聞いたときどう思うのか。。。まあそんなの、どうも思わないのかな。


まあ人の話はさておき、自分たちがどうするかなのだけど、ここでアメリカで出産するに当たってもう一つ決めなくてはならないことがある。それはミドルネームをどうするか、という問題である。


ミドルネームというのはつけてもつけなくてもどっちでもよく、日本の戸籍には登録されないのでほとんど趣味の問題みたいだけど、実はこれが名づけの方向性に大きな影響を与えるのだ。もしミドルネームにアメリカっぽい名前をつければ、ファーストネームはばりばり日本っぽい名前(アメリカではなかなか正しく読んでもらえない)でも困らないことになる。「秋本カトリーヌ麗子」とかってして日本(麗子)とアメリカ(カトリーヌ?!)で使い分けるのである。ちなみにこれはあくまでも例です。


一方、ミドルネームをつけないなら、アメリカでの生活を考えるとこっちでも呼びやすい名前を考えなくてはならに。そうすると結構候補は絞られる。アメリカでも通じ、日本でもまあまあ、、、となると、女の子の名前では、「エマ→Emma」「エミ→Amy」「エミリ→Emily」「サラ→Sarah」とかに限られてくる。まあもっと探せばあるかもしれないけど、とにかくとても少ない。


そんなこんなで考えるうちに、我々二人の間では、こうしようというのが一応できてきたので、また今度報告します。









先々月、妹と母親が家に遊びに来たときに日本の小説を色々持ってきて、とリクエストしたのだけど、本当に色々と持ってきてもらい、しばらくずっと楽しめた。


子供のころから親が持っていた海外の小説に親しみ、中学生でトルストイ、モーパッサン、チェーホフなんかを呼んでいた自分としては日本の小説は夏目漱石と村上春樹以外全く読んだことがなかったのだけど、たまに持ってきてもらうととても面白い。さすがに2年以上アメリカにいると英語の本を読むのはさほど苦にならないけど、やっぱりリラックスしたいときには日本語の本だ。こっちでは日本語の本は日本で買うのの3割り増しくらいだからほとんど買わず、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」も英語で読んだんだけど、日本語でも難解な本は英語だと更に意味不明になるので日本語で読めるのは本当にうれしい。


今日はその書評をいくつか。


村上春樹「アフターダーク」


今回10冊くらいあったなかではこれが一番面白かった。映画っぽい視点で描かれる一晩の物語はかっこいい文章と印象的なシーン、魅力的な登場人物とどれをとっても最高。文体が優れている本(ストーリーの面白さに頼らない)はほんと何度でも読めるし、飽きない。字を追うだけで自然に画像が目に浮かんでくるのがすごい。


天童荒太「悼む人」


この人の本は初めて読んだけど、考えされられるストーリー。人の死をテーマに据えたむちゃくちゃ暗い話だけど

生と死の関わり方について一つの考え方を提供している。とても丁寧な語り口で話す登場人物たちはなんだか現実離れしてる気がするけど、しっかりした世界観に基づいて書かれているので、一度入り込んでいくとはまる本。


東野圭吾「流星の絆」


ほんと、テレビドラマをそのまま本に書き起こしたような内容で、非常にテンポよく、リズムよく、楽しく話が進んでいく。基本的には推理小説っぽく、意外なストーリー展開が命の話なんだけど、最後まで飽きずに一気に読める。2度読み返す気は全然しないけど、娯楽作品としてとてもよくできている。


教科書じゃない本を沢山読めるのは本当に幸せだ。持ってる数少ない小説はどれも3回は読んでしまっているので、重いのに沢山本を持ってきてくれた母と妹に感謝したい。