今日もコピペ作業はつづく・・・ww
すると、「アンナ・カレーニナ」観劇レポの過去記事が目にとまりました。
めちゃ暗いストーリーで、もう観るのは1回きりでいいや!!と思ったほど暗い舞台でしたが、なぜか載せたくなったので貼っておきますww
「アンナ・カレーニナ」レポです。
ル・テアトル銀座 座席番号 1階9列9番
ロシアの文豪・トルストイが1873年に書いた小説が原作。
母国ロシアをはじめ、多くの国々で映画・舞台化されている名作。
ミュージカルは、1992年にブロードウェイで初上演。
日本では今回が初演になります。
物語は、1860年代のロシアが舞台。
帝政ロシア時代ってことで、どうしても「オルフェウスの窓」第3部ロシア編と重ねてしまいます。
ストーリーは、貴族社会で生きるロシア高官カレーニンの妻アンナ・カレーニナと、若き陸軍士官・ヴロンスキーとの不倫・愛・運命を描いたもので、キティ&レイヴィンカップルの話しと同時進行で対照的に展開していきます。
完全にネタバレですので、今からご覧になる方はご注意を!
冒頭のモスクワへの旅の列車のシーンでは、粉雪が降りそそぐ演出と弦楽器の奏でる音楽が相まって、気持ちはぐっと白きロシアへと引き込まれていきます。
ロマノフ王朝時代の悲恋ということで、「オルフェウスの窓」のアレクセイ・ミハイロフやレオニード・ユスーポフ侯の姿が浮かんできてしまう。こちらも悲劇的なストーリーがたくさん絡んでましたからね。
あっ、ご存知ない方は、「ベルばら」でお馴染みの池田理代子先生の歴史的大河漫画ですので機会があったら読んでみて下さい。
私は、レオニードのキャラが一番好きでした。(ぼそっ)
アンナ(一路真輝)とヴロンスキー(井上芳雄)は、モスクワ行きの列車で事故に遭遇した時に出会った。
ヴロンスキーはアンナの美しさに一目で惹かれてしまう。
二度目の出会いは、アンナの兄スティーバ(小市慢太郎)の家でだった。
この頃、ヴロンスキーはアンナの義妹キティ(新谷真弓)と良い仲だったのだが、この再会をきっかけにすっかりアンナに心を奪われてしまった。
キティがヴロンスキーに思いを寄せている時、レイヴィン(葛山信吾)という男が求婚するがキティは断ってしまう。
アンナは、兄のいるモスクワからヴロンスキーから逃げるようにペテルブルクに戻ってきた。
愛息子のアリョーシャ役の子(どちらかわからなかった)はとってもかわいくて、長いセリフはスラスラだし、演技も素晴らしかった。
アリョーシャの歌を歌う一路さんは、ほんとに愛おしそうに歌われていて、アリョーシャに対する愛情に溢れていた。
厳格で体裁を重んじる年の離れた夫カレーニン(山路和弘)と、若くて自分に真っ直ぐに情熱を向けてくるヴロンスキーとの間で心が揺らぎ始めるアンナ。
アンナは夫に、「今夜だけは二人っきりでお夕食をとるわけにはいきませんか?」と言うが、「それが不可能なことぐらいわかっているだろう?」と慌しく外出していく夫。
でも外出する際に、「モスクワはどうだったか?」とか「とにかく、良く帰ってきた」と声をかけたりしてフォローもチラリと覗かせる。
もしかしらアンナはこの時、夫との暖かい時間を持つことによって、揺らぐ気持ちを抑えたかったのではないだろうか?
ヴロンスキーは、ペテルブルグまでアンナを追いかけてくる。
井上くんの軍服姿がカッコ良かった。
背の高い彼に良く似合っていた。
ミュージカルといっても歌が少なくてストレートプレイに近いけど、いくつかソロがあって、井上くんの『僕たちは踊っていた』はとても情熱的で、アンナに対する思いがひしひしと伝わってきた。
今まで一路さんとの共演では、母子の関係、パトロンの関係だったけど、そのイメージを振り払ってくれるほどアンナに実直で情熱的なヴロンスキーで違和感がなかった。
井上くんって、やっぱりプリンスだわ~~。
真面目で貞淑なアンナでも心が揺らいでしまうかも。
ヴロンスキーとは従姉の関係にあるベッツィー役の春風さんは、アンナとヴロンスキーの噂を流す役なんだけど、歌も演技も弾けていて良かった。
「エリザベート」のルドヴィカより光っていた。
ダンスもお上手で、美しく華があった。
カレーニンは妻の不貞にうすうす感じ始めるが、それでも感情を表に出さず、社会的に地位のある男にありがちな、まずは世間体を先に考えている。
『カレーニンのリスト』は、貞節をわきまえろ、世間の評価を気にしろ、母親としての心構え、などなどアンナに対する関白宣言みたいな歌だった。
カレーニンはアンナに、「嫉妬しているのではない。嫉妬というのは卑しい感情だ。」と言いながら、理屈っぽく批判をする。
アンナは世間体しか気にせず冷淡な会話しかできない夫に失望する。
私は最初、こんな夫なら気持ちが冷めても仕方ない。
心に隙間のできたアンナがブロンスキーに気持ちが一気に傾いていくのもわかると思った。
夫との間に溝のできてしまったアンナは、ついにブロンスキーとイタリアへ駆け落ちしてしまう。
葛山レイヴィンと新谷キティのコミカルな恋愛劇には笑わされた。
葛山さんって、あの「真珠夫人」の葛山さんよね~?
ミュージカルは初めてらしいけど、意外と歌がしっかり歌えていたし、三枚目で純朴なレイヴィンになりきっていたと思う。
アンナ、ブロンスキー、カレーニンのどんどん泥沼化する濃密な三角関係と比べ、この二人の場合はかなり喜劇的だった。
もちろん、二つの恋愛を対照的にするための演出なのかもしれないけど、新谷さんのちびまる子みたいなセリフ回しと、声はデカイけどお世辞にも上手いといえない歌に、最初、固まってしまった。
それなのに、井上くんより歌が多いんだよね~。かなり不満!
とても社交界の花には見えなかったし、おバカっぽいし、最初はヴロンスキーと良い仲だったり、レイヴィンに一途に思われたりするようなキャラじゃないよ~。
すごいミスキャストじゃない?と思った。
キティ付きのメイドさんとのコント?は楽しかったけどね。
やっぱお笑い路線だよ、彼女は。
アンナの兄役の小市さんもコミカル路線の小芝居だったけど、舞台を明るくする役割を果たしていた。
二幕に入り、アンナはカレーニンに離婚を迫る。
しかし、「お前のせいで、子供に対する愛情も失せたが、家に置いてやる」と離婚も親権も譲る気はない。
無事、女の子を出産したアンナは、ヴロンスキーとしばし幸せな日々を過ごした。
私が観たソフィー・マルソー主演の映画では流産するんだよね。
時間を持て余す日々のヴロンスキーは、だんだんモスクワへ戻りたいと思うようになる。
アンナは、ヴロンスキーの心が離れていくんじゃないかと不安にさいなまれるようになる。
一方、キティは一度は断ったレイヴィンの良さに気づき、レイヴィンと結婚することになる。
黒板を使ったクイズのようなシーンは最高に可笑しかった。
天然入っためちゃ明るいキャラのキティと朴訥としたレイヴィンの心温まる恋の成就に癒された。
猜疑心の固まりとなったアンナは、ヴロンスキーと気持ちのすれ違いから何かとぶつかり合うようになり、ついにはヴロンスキーの母親を痛烈に批判したことで、ヴロンスキーはアンナのことを疎ましく思った。
もう二人して傷つけ合うばかりだった。
そんな時、キティがアンナのところへ結婚の報告にやってくる。
キティは、かつて恋していたヴロンスキーがアンナの元に走ったことに対し全く嫌な感情を見せず、逆にアンナを心から気遣う言葉を無邪気にかけたので、私のキティへの感情はかなり好転した。
アンナがだんだん暗く深く沈みこんでいく中で、キティの無邪気な明るさにホッとさせられた。
アンナは残してきた息子、セリョージャに一目会いたいとモスクワへ行く。
セリョージャは、死んだ(ことになっている)母のためにお祈りを捧げていた。
セリョージャの誕生日の夜だというのに、父と息子だけの寂しいリビングでの会話。
厳格なだけな父親の元ではセリョージャが可哀想だと思っていたら、「お前はいい子だ」と息子への一言があったので、カレーニンの息子に対する愛情が伝わってきてホッとすると同時に、カレーニンに対する認識が変わった。
山路さん演じるカレーニンは堅物で、アンナに対して心の底では愛情を持っていたのに素直に振舞えない不器用な男だったし、やたら理屈っぽかったけど、ストーリが進むにつれて人格者だなあと思えるようになった。
セリョージャに会いにきたアンナを強く拒みながらも、戻りたいなら戻っていい・・と最後に声をかけたりするんだよね。
これは体裁のためではなく心からそう言ったのである。
しかし、アンナは「無理よ!」と叫んで出て行く。
もうどこにも居場所のなくなったアンナは駅に向かい、『セリョージャ』を歌う。
一路さんの涙を流しながらの魂のこもった熱演に心が揺さぶられ、涙が溢れてきた。
「あなたがどこにいても上から見守っていてあげる」のフレーズに、これから起ころうとしている悲劇が浮き上がってきて苦しくなった。
アンナの激情が、一路さんの渾身の歌から痛いほど伝わってきた。
そしてアンナは、とうとう列車の前に飛び出していった。
「エリザベート」の時は、ルドルフに対して冷たく自分の保身ばかりだったけど、「アンナ」では子供に対する深い愛情が感じられた。
ただ、ブロンスキーとの間にできた娘に対する場面がなくて、セリョージャのことだけを案じて死んでいった気がして、後からちょっと疑問に思った。
ブロンスキーにしても、負った傷があまりに深いためなのか、若いせいなのか、娘に対する気持ちがあまり感じられないんだよねー。
アンナの死後、ヴロンスキーは前線に赴いていくんだけど、一人娘はカレーニンが引き取ることになる。
本当に不器用なカレーニンだったけど、愛情は人一倍もっていたんだよね。
彼なら、セリョージャと共に可愛がってくれると思うし、子供達も何も知らなければ幸せに暮らしていけると思うんだけど・・・。
でもきっと娘が年頃になった時、両親の悲劇を耳にし、自分の存在について深く悩むんだろうなーなんて思ったり・・・・
それにしても一路さんは、プチレポにも書いたけど、精神的に追い詰められていく深い影のある役が似合うよねー。
あまりにも救いようのない悲劇なので、終演後も気持ちが引きずられ、ずーんと重くなった。
もうそばらくは観なくていいかなと思う。
DVD予約もCDも買わなかったしね。
この悲劇のストーリーから、「オルフェウスの窓」に登場してくるユリウスの音楽学校時代の先輩ダーヴィトが語ったセリフが浮かんできました。
そのまま引用しました。
人間と人間とのふれあいというものは
あるいは一種の幻想なのかもしれない
究極ひとつの魂が自分のものでないもうひとつの魂を
完全に理解するなどということはあり得ないのだから
幻滅が苛酷なら
はじめから望まねばよい
傷つくのがつらいなら
はじめから失いたくない物など持たねばよい
愛さねばよい
望まねばよい
感じねばよい
そうだ
今この瞬間の自分の生をさえも
期待しなければよいのだ
けれど……
そうしてゆくえを失った魂は
やがて自分の内なる狂気の世界へしか
解き放たれ得ない
魂を狂気の中へ解き放たずにいるためには
たとえ失望し傷つくとわかっていても
人は愛し希望し感動せずにはいられない
とどのつまり人間の魂というやつは
傷つくようにできているというわけだ……!

































甑島フェリー ニューこしき





















