「小千谷が生んだ詩人、西脇順三郎。その詩世界を、いま私たちが見つめなおす。」

— わかりにくいから面白い。意味がわからないから、考えたくなる。それが西脇順三郎の言葉の魔法。

『西脇順三郎の詩世界』
『小千谷文化』の視点から形成される詩の世界。批判的介入として位置づけ「西脇文学」から「社会学的背景と翻訳の問題」が存在する。

 西脇順三郎の作品翻訳で、念頭に置かなければならない一般的な概念を、地域は忘れている。郷土の歴史・文化を軽視するほど霧の中に包まれる。

『小千谷文化』第233号(平成31年3月31日発行)
「郷土が失った船岡公園の標柱」」と「西脇文学」への橋渡し
《表紙写真とその周辺》
八勝楼扁額入会山・船岡山開墾契約書
続・公園―「新潟縣新八景船岡公園」
――その標柱はどこへ・・・・・
クロマトポイエマ
本格的な「西脇順三郎伝」編さんへの市民意識をーー

 日本人英詩文学家の著作した英詩の翻訳において、英語圏のネイテイブな文学系の翻訳家による翻訳は、「翻訳の解決」にはならない?小千谷に何を見るか。?

「間違った翻訳をする可能性が高い」リスクには、地域的知識の不足(地域の歴史・文化の軽視の危険性)を含む。これは一般的な理解であり、郷土史の視点とも一致する。
 現代郷土史への指摘として、「人物顕彰」や「民俗的物語の偏重」、あるいは「個別事例に終始して郷土の全体像を描かない」という点は、郷土史の限界として広く議論されている。
 「人物顕彰・民俗的物語の偏重・個別事例に終始し郷土像を描けていない」という批判は、歴史学・教育学・民俗学・行政史の複数領域にわたって確認できる学術的コンセンサスに近いものである。

『小千谷文化』第251号の「小千谷地域の起源と再生」では、地域的知識の不足の本質である行政施策と郷土の歴史・文化の本質を批判的に検証する。




『小千谷文化』第252号

以下に掲載論考の一部を転載し、解説を付します。
《解説》このなかで「詩の舞台」とは、作品に直接地名が登場するという意味ではない。本来ならば「詩の土台」とも付すべき精神的な基盤としての二アンスで、
西脇順三郎の詩が内包する風景の記憶、その無意識的な地層として、船岡山の風景は詩の根幹に作用している――という詩学的観点に基づく表現である。
以上のように、「詩の舞台」=文字通りの描写ではなく、詩の精神的基盤としての風土という立場こそが、郷土的視点からの真正な「西脇論」になるという観点から積極的に提示・展開したものである。

『第252号抜粋』
《補足論考二》
西脇順三郎の詩世界
―地域、翻訳、そして記憶の断絶
小千谷が生んだ詩人・西脇順三郎。その詩世界を、いま私たちはどう見つめ直すのか。

「わかりにくいから面白い。意味がつかめないから、考えたくなる」。
―それが、西脇順三郎の詩の魅力であり、言葉の魔法である。
『小千谷文化』では、西脇の詩を郷土文化や翻訳という視点から批判的に再読する試みが続いている。詩の意味に近づこうとするたび、地域の歴史と翻訳の問題が浮上する。とりわけ、母語ではない英詩の翻訳においては、「詩人の出自」や「詩が根ざす地」が重要な鍵を握っている。
だが、その地域的背景こそが、翻訳の現場ではしばしば見落とされている。地域社会自体が、西脇順三郎の詩を育んだ文化的土壌を忘却しつつあるからだ。詩の「霧」は、地域的知識の希薄さによって深まる。翻訳における誤解や逸脱もまた、この構造に根差している。

「小千谷に何を見るか?」――
これは、翻訳の問題であり、郷土史の姿勢に対する問いでもある。
『小千谷文化』第二三三号(平成三十一年三月)では、「郷土が失った船岡公園の標柱」に触れた論考が掲載されている。表紙写真に据えられたのは、八勝楼扁額、入会山・船岡山開墾契約書、かつて「新潟縣新八景」に数えられた船岡公園。詩の舞台ともなるその風景は、クロマトポイエマを生んだ「詩の基層」でもある。
――だが、その標柱はいま、存在しない。
記憶の風景が消えるとき、詩もまた、その文脈を失う。
さらに第二五一号「小千谷地域の起源と再生」では、郷土史の問題構造が掘り下げられている。人物顕彰、民俗的物語の偏重、個別事例に終始し、地域の歴史像を全体として描ききれない。こうした傾向は、郷土史における構造的限界として、歴史学・民俗学・教育学・行政史の各分野でも繰り返し指摘されてきた。
詩と翻訳の問題は、やがて郷土史のあり方そのものへと接続していく。
いま私たちに問われているのは、西脇順三郎という詩人の言葉に、どこまで地域的責任を持てるのかということである。