『~なぜ小千谷市政は素直な地域史を子供たちに語れないのか~冷静に見直すべき郷土の歴史記述』の論的根拠

【目崎徳衛氏の亡霊と史学論の関わり】

今も史学者に負の影響を与える国文学者目崎徳衛氏の小千谷小学校論は教育史学論へ影を落す。

『小千谷小学校「学校日誌」を読む-郷学と小学校のあいだで-.[書物・出版と社会変容,(6),(2009),93-107] 八鍬友広』
(やくわともひろ)・当時教育史学会理事・新潟大学人文社会教育科学系教授。2012年〜東北大学大学院教育学研究科教授。
小千谷学校の成立過程については、『小千谷市史』、『小千谷小学校史』の孫引きによる。史料的裏付けのない根拠のない歴史学の記述は学問として許されない。教育史学の方法論が問われるべき内容である。

渋沢栄一の論考で有名な松本和明元長岡大学教授・現京都産業大学教授は、かつて長岡大学時代に『小千谷市史』の出典・裏付け史料の根拠を示していない記述に対して、疑問を付け加えた上の引用で論考している。
(「新潟県小千谷地域における機械工業の生成と発展 長岡大学教授 松本和明」では『小千谷市史』は“史料の出典が明示されておらず、各項の執筆者が明記されていないという問題点が存在する。”と前書きした。)
小千谷学校の成立過程が論考の根拠として無くなれば八鍬友広氏の学校日誌論はすべてが崩れる。八鍬友広氏は『小千谷市史』、『小千谷小学校史』の裏付けとなる古文書などの記録を分析したのだろうか。論考内に言及がないことは、孫引きで資料の信用性も検証せず調査も行わず論考の根拠としたといえる。

明治元年(1868)9月戊辰戦争が終結し、旧会津藩領に、明治政府は各民政局を設置し統治したが、民政局はすぐに廃止となる。小千谷学校は民政局立小千谷学校となり民政局廃止ともに私塾となったという。さらに八鍬友広は「やがて学制によって近代的な小学校へと、再編されていった。」と記述する。そして“民政局立学校”との記述があるが根拠を示してない。