確かになんで福沢だけ続投だったのか僕も疑問に思いました。
ってか、文科系の人が多くないですかね?
次は北里柴三郎が入るようですが・・・。
まあ女性一枠を固定にするのは賛成ですが、このままだと比率が1:2なわけで。
ってか、立憲君主国なんですから、一枠は皇族でいいんじゃないのかなあ??
天皇に限ったって女性天皇は過去に数人いるわけですから、時には比率が逆転することだってあるわけで男女平等になりそうな気が。
同じ高知市内ですが、料金等の問題から今晩は宿を変えます。
まだ午前中ですので荷物を預けてから、幸い自転車を借りられましたのでそれで西に向かいます。
坂本龍馬の生地です。
歩道を挟んだ向かいにはベンチがありました。
饅頭屋の家です。
無料のボランティアガイドがマンツーマンで相手してくれました。
お龍かと思ったら乙女ねえやんとのツーショットでした。
まあ龍馬の生地は乙女の生地でもあるわけで。
お龍さんは関係無いですね。
結構長居してしまいました。
お世話になったボランティアは伊藤さんです。
大変勉強になりました。
ありがとうございました。
いつまでもお元気で。
川沿いを東に向かって後藤象二郎の生地。
下の名前が出てきませんが、青木何某という優香の旦那という羨ましい男が演じてましたね。
これも名前が出てきませんが、義理の伯父の吉田東洋を演じた役者さんと共に、存在感がありました。
ちょっと北に行ったところにある板垣退助の生地です。
国会議事堂に銅像がある3人の中の1人だけあって、後藤よりは立派な感じでしょうかw。
これだけ近いと鹿児島のときを思い出しましたが、後藤も板垣もそれなりの家格だったようですから。
龍馬は人に影響を与える人物ではありましたが、西郷の様に人の上に立つと言うか、担がれるような人間ではなかったと思います。
と言うか、仮にそうなっても龍馬は嫌だと言って投げだしたんじゃないかな。
タイプの問題でどっちがどうのというのではないですけど。
そのタイプで言うと、この人はどうだったんでしょうね?
山内一豊です。
まあどこまで本当なのか知りませんが、家康に城を差し出すという他人の案を自分の案として進言したしたたかさとか、奥さんの内助の功に助けられた凡庸な将なのか。
それはともかく、銅像はなかなか立派でございました。
ちなみに僕は「やまのうちかずとよ」と習ったはずでそう記憶しているのですが、現代では「やまうちかつとよ」が正しいと言うか主流なんだとか。
難しいものです。
国宝と刻んだ文字が見えたので天守が望める写真を撮ったんですが、
近づいてみたらこんなオチ。
でも前述の伊藤さんに教わったところによると戦火を免れた天守は意外に少ないようで、この高知城もその一つ。
ちなみに九州は全滅だとか。
にっくきアメリカってなところでしょうか。
城内に入るとまずは板垣退助が。
どこを向いているんでしょうね。
その若干上には一豊の妻・千代と恐らくその出世の基となった馬が。
城攻めは不発に終わりました・・・。
衛兵も暢気なものですw。
天守から下ってくると、何かの撮影が。