ミケランジェリの孫弟子♦♫♦・*:..。♦♫♦*゚ピアノ日記 -8ページ目

ミケランジェリの孫弟子♦♫♦・*:..。♦♫♦*゚ピアノ日記

ミケランジェリの内弟子だった先生からミケランジェリ本人の言葉や、練習方法を聞く事が出来ます。それをもとに、更に研究を続けているところです。レッスンでの貴重な話や、ミケランジェリ独特の練習方法などを書いて行こうと思っています。

相変わらず自作の歌を歌っていた私でも、学校の勉強は学校で真面目にしていたので、親から『はやく勉強しなさいー❗️』と言われた事はなかった。中学2年の夏までは…。

中学3年には修学旅行があるが、そのための練習というような❓中学2年の7月には毎年2泊3日の宿泊学習という行事があった。

毎年時期もほとんど同じだ。私はあまり好きではない行事だ。
私が中学2年の夏は7月1日から3日までの予定だった。ただ、正式に決定して私達に伝えられるのは約1ヶ月くらい前だったかと思う。
そんな行事を前に、ピアノを習っている友達から、『ねぇ~お願いお願い❗️ピアノコンサートのチケット買ってー❗️』っと、すがるように頼まれた。当時私が通っていた中学にはピアノを習っている生徒が学年に数人しかいなく、彼女は貴重な存在だったが、いつも合唱コンクールの伴奏を強制的にさせられる犠牲者でもあった。彼女はその事を卒業後も愚痴っていたほどだ。
私は彼女がなぜコンサートのチケット売りなどをしているのか?当時はあまり深く考えてなかったが、今は痛いほどよくわかる。
あまりに必死だったので、私は私の母、妹の3人で行く事にして彼女にチケット代を支払った。彼女はそれだけでとても安心した様子だった。
コンサートの日時を後からよく見ると、1981年7月2日土曜日午後2時開演、となっている…。これでは宿泊学習と重なるではないか❗️っということで、私は一度は友達に行けないのだからお金を返してもらえないか❓と言って見たが…。彼女の答えはビックリする内容だった。『そんな事わかってるって、とにかく、ノルマクリアしないと先生にもう会えないかも知れないし…。別に行かなくても今回はいいからさ❗️』っと。
こう言う話も今では驚かなくなった自分が何と無く悲しいような、なんともいえない気持ちだ。

ところが、私の人生を変えるようなニュースは突然普通に入って来た。
宿泊学習の日程変更のお知らせだった。
毎年2泊3日だったのが今年は1週間前になって1泊2日に変更された。
しかも、宿泊施設の都合で、6月30日からになってしまった。
出発の1週間前の変更は私の人生を大きく変えることになった。
当然私達はコンサートへ行く事になり、友達の家族、私の家族、みんなでまるでデパートへ行く感覚ではしゃいでいた。
そして、なぜか、その日演奏するピアニストの名前を私達の誰もが知らなかった。不思議な事だが、そんな事に誰も興味を示さなかった。もちろん、私も。
会場へ入ってチケットの席番号を探すと、なんと後ろには席がなく、つまり一番後ろって訳だ。遥か遠くにステージが見える。
そこに今まで見たことがない位長~いグランドピアノが静かに1台、周りの喧騒とは違う次元の世界で佇んでいた。
それを見て、私はため息をついた。
“なんて美しい…”

2度目のベルが鳴り、周りは呼吸すら許さないという静けさと不思議な緊張感に支配された。
コツコツ…。まだピアニストが見えないうちに靴の音がコンサートホールに響く。
ドキドキ、ドキドキ。

ピアニストのメガネが一瞬キラっと光ったかと思うと大きな拍手と共に姿を現した。
小柄で丸顔にメガネをかけたかなり若い男性だ。
名前はまだ知らなかったが、彼がピアノの前に座るとまた痛いほどの静寂が支配する。
わずか、1、2秒の静寂…。

あの長いグランドピアノが静寂を破ってドーン💥っと凄い低音を世界中に響かせた。
その音が鳴った瞬間…。
私は恋に落ちた。全身が震えて息苦しい❗️

後で確認したら、1曲目は、ショパンの舟歌だった。私はすぐにピアニストに会いに行った。
なぜ行ったのかも覚えていない。
ピアニストは前年度にポーランドで行われた第10回ショパン国際ピアノコンクールの優勝者だという事も後から知った。
このピアニストに会ったときの印象などを、次は書いてみようか?どうか。