きな子が虹の橋へ旅立ちました | 仙台ペキ小屋

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仙台で夫と暮らす日々。
ペキニーズのきな子は
2023.7.16に虹の橋へ…
ルミナールB乳ガンのつぶやきも。


きな子が2023.7.16
突然私たちのそばから
虹の橋へ旅立ってしまいました。


(少し長くなります↓)



7月15日
夜ごはんも普通に食べ
いつものようにテレビで楽天の試合をみて
ダンナときな子の3人でいつもの日常を過ごしていました。
みんなでまったりとしていた19時頃…
急にきな子がずっと上を向くようになりました。呼吸も普通だし、最初は「あら?ぺったん子(先代犬)でも帰ってきた?」なんて言っていたのですが、そのうち呼吸が荒くなり出しました。

上を向き始めた頃



21時頃、夜間救急病院が開くのを待って電話をし、10時頃宮城野区にある救急病院に到着。
舌が白いということで、酸素つきのICUに入れていただき、レントゲンや血液検査をしてもらいました。
10日ほど前に咳をしていたので、かかりつけ医でもレントゲンを撮って、せき止めと抗生剤を出していただき症状は落ち着いていたとお話ししたところ、かかりつけ医の見立てと同じく「肺にも心臓にもこれといった原因はみあたらないんですよ…」とのこと。

とりあえずICUと投薬で症状も落ち着いてきたのでお会計をし、帰宅しようとしました。が、車に乗せるとフラフラとした感じで、またすぐ呼吸が荒くなってきました。
またすぐに病院へ戻り診ていただくと、やはりまた舌の色が悪くなっているとのことでICUに入ることになりました。
その時点で夜中の1時。
別の点滴をしたいのですが、もしかしたら薬で何か起こると怖いので、一旦お預かりさせてくださいというお話しになり、病院が閉まる朝8時までの入院が決まりました。

翌?朝、お迎えに行くと
ICUの中でのきな子は元気でした。
が、帰ろうとICUから出して車に乗せると、また呼吸が荒くなりました。
再度病院へ戻り、とりあえずおうちに帰れるようにと、きな子のバッグにビニール袋を被せ、酸素を繋いで簡易酸素室を作っていただきようやく帰路につきました。

運転中、色々なことを考えていました。
このまま日曜日に開いている病院を探して直行するか…?
もしかしたら家に着いたら安心して落ち着くかもしれない…?
家まで酸素が持たなかったらどうしよう…

でも時間はまだ8時過ぎ。
日曜にやっている病院どころか、まだ朝が早くて行けるところはありません。
車を停めて電話したり探している間にも酸素はどんどんなくなります。先生がおっしゃっていたボンベの使用時間は確か1時間ちょっと…

そんなことを考えながら運転していましたが、家まであと10分くらいのところで、また急にきな子の呼吸が荒くなり出しました。
酸素の出力を上げるとさらに使用時間は短くなります。
とりあえず家に急ごう!と思い、駐車場からもダッシュできな子と酸素を抱えて家に着きました。
家に着くなりきな子はバッグから出せと大騒ぎしました。呼吸が辛いはずなのにあまりにもがんばるので、私も覚悟を決めました。
酸素にも限りがあるし、もしこれでダメだったとしても、少なくともきな子は大好きなお家で安心して最期が迎えられる。お家では好きにさせてあげたい…そう思い、バッグから出しました。

そこからはもう、酸素チューブをあてながら苦しむきな子の背中をさすってあげることしかできませんでした。

ものすごい声でひとしきり鳴き、意識がもうろうとして噛むような素振りをして、ウンチもして…
ただただ声をかけ続けながら体をさすっていましたが、そのうちピクリとも動かなくなってしまいました。

最後にきな子がよろけながらたどり着いた場所は、いつも私の姿を眺めておこぼれを待っていたキッチン。
いつもまんまるなお目目で私をじーっと見てくれていた場所で、きな子は最期の時を迎えました。


前日夜に様子がおかしい?と思った時から
たったの14時間でした。
なんでこんなに駆け足でいってしまったのか、自分がそうさせてしまったのかと、今でもそんなことを考えます。













13才と4か月
この間、きな子を通じて全国にたくさんのペキ友さんができました。
そして私たちはきな子に沢山の笑顔と癒しと、様々なことを乗り越える元気をもらいました。
きな子
ほんとうにありがとう。大好きだよ。


最後になりましたが
いままできな子を可愛がってくださった皆様、どうもありがとうございました。