『PAPER MATCH COLLECTION 』
YOSH KASHIWABARA /リブロポート(絶版)
昨日Twitterで切手やポストカードなど、"紙もの"すべての存在が愛しい…とつぶやきました。
本も含め"紙もの"の儚さ強さ、
"紙もの"すべてが愛しき存在なのです。
『植草甚一主義』/美術出版社/1977年(絶版)で、マッチ・レッテルのコレクションの随筆を思いだし、読み返しました。
「悲しいパチンコ屋のマッチ・レベル」
昭和23年頃の新聞の三面記事に、パチンコに夢中になっていた人の悲劇の記事にふれ、(昭和27年頃まで)パチンコ屋のマッチ・レッテルを貼ったノートブックの写真とともに思い出を綴った随筆です。
当時、パチンコ屋に入りびたっていた植草甚一氏は、マッチ・レッテルを集めてみようと思いました。
~こんなに下手糞な図案はないし、誰だって中身がなくなったら棄ててしまうだろう。そう思ったのがヒントだった。普通のコレクターとはまるで違ったスタートのしかたで始まっている。
というのもコレクターにはずいぶんバカが多いし、誰にだって集められるものを、いちばん余計に集めてよろこんでいるのだ。
けれどパチンコ屋のマッチ・レッテルはそうは行う。
最後の1個まで棄てられてしまうのがパチンコ屋のマッチ箱だった。
"コレクターはずいぶんバカが多いし~"の行は、思わず吹き出してしまいました。
膨大な様々なコレクションをしていた植草甚一氏の自嘲気味なお言葉。
我をかえりみて、うなずきます。
昭和27年以降、マッチ箱が置かれなくなり、
~どのパチンコ屋でもバーの帰りに、いっぱい機嫌でやっていたっけ、
付き合ったり付き合ってくれた飲み仲間の顔が浮かんでくる。…と、回想する植草甚一氏。
わたしも絵本を見ると、どの絵本もお店を営んでいたときの思い出があり、おしゃべりしたお客様の顔が思い浮かびます。
マッチ・レッテルの"こんなに下手糞な図案"の写真を見ていると、もの悲しい気持ちになってきました。
パチンコで身を持ち崩した人の記事のことや、戦後の昭和21年にパチンコが出現し、熱気をはらみ隆盛した様を語る文章と相まって、"下手糞な図案"がもの悲しく写りました。
一方、デザイナーのヨシ・カシワバラ氏のペーパーマッチ・コレクションは、明るく楽しい…カラフルで陽気さに溢れています。
幼い頃にロサンゼルスに移住。
1957年、アメリカ消費文化の黄金時代。
次々と生まれる新商品、そして広告。
ウインクしてマッチを渡すウエートレス…カシワバラ氏はペーパーマッチを集めだしました。
【Comics】
新しいものに限らず、20―30年代の古いものも集め、時代の特色を表し、広告文化の流れも享受できるハンディーなコレクトアイテムとしてコレクション。
【Comics】
【Peeping 】
【Restaurants】
【Animals 】
【Animals】
【Peeping 】
【Christmas 】
【Christmas 】
その昔何気なく、喫茶店やバーのマッチを集め、使わずに取って置いたことを思いだします。
今や禁煙🚭の時代、お店のマッチはショップカードに変わりました。
Twitterで外国の古いマッチ・ラベルが投稿されていると、ついつい見惚れてしまいます。
文化や歴史を感じ、可愛いものやお洒落デザイン、お国柄の質実剛健なデザインなど様々で、実に面白いのです。
マッチという棄てられちゃう系のアイテムに、どうも郷愁や儚さと文化を感じます。
どんなコレクションも"数は力なり"。
そのアイテムを、コツコツと集めた時間や労力が垣間見れるコレクション。誰に何と言われようと、自分の好きなものを集める……いいじゃないですか、ねぇ。
誰かが必ず認めてくれますから。