先日の小松島グランピングで、認定講師まあいさんの引き締まった美ボディに、かなりの衝撃を受けたからでもある。
(どうしてこの方は、こんなに自由自在にグラマラスになったり、スレンダーになったりできるのだろうか・・・??→この時も)
おじさんと別れたって言ってた。ケンタッキーの。
まあいさんのこの写真を貼って、美女ノートに励もうと思う。
ちょうど11月に入り、ノートが切り替わりました。
きっかり2ヶ月間、聖域ノートを使い終えました。
トモエリバーのこのノート、320ページもあるので、いっぱい書き込んでも2ヶ月間お供してくれました♡
帝国ホテルの朝食に添えられたバラとぴったり♡
そして今月から、きっとまた2ヶ月くらい一緒に過ごすノートも、色違いの聖域ノートにしました。
なんだか、今年後半、自分が作ったノートと過ごしたい気分なのかな。
左は試作中のフェイクプリントポーチ♡
聖域ノートのトモエリバータイプ、現在ソールドアウトですが、年始に再販予定です!
(すみません、少し延びました〜汗)
オリジナルの、このノートを制作して販売開始したのは昨年ですが、たくさんの方に使っていただき、本当に嬉しく思っています♡ありがとうございます!
2年前に作ったモレスキンカスタムエディションも、インスタなどで見かけるととーっても嬉しいです♡使ってくださりありがとうございます!!
モレスキンを作った時も、聖域ノートを作った時も、いつも感じることなのだけど、
ものづくりの完成直後って、
自分は使う気、無くすんですよね…
もっとハッキリ言ってしまうと、
手帳を作った時も、本を出版した時も、
自分で開く気がしない
そして、
半年経ったくらいに、ようやく愛で始める(使い始める)
という現象が起こります。
なので今、愛でる時がようやく来ている。笑
これはものづくりのジレンマだと思う。
心血注いで作ったものこそ、こういう現象が起こると思う。
だって、ずーっっと一緒だったんだもの。
毎日毎日、逐一、細かく、プロセスを見てきたんだもの。
寒くなると人肌が恋しくなるので、よくちびっ子たちを抱っこしています。
私は子供たちを抱っこすると「ひとつになりたい・・・!!」という欲がムラムラと湧きあがります。
今朝、その欲がまたムラムラと湧いたので
「どうして離れちゃったの〜〜〜〜。ラナも銀も、小夏も小春もママのお腹の中にいたのに。どうして離れて行っちゃったの〜〜〜〜」
と冗談で言ったら
「生まれたから〜」
と当たり前に言われました。
うーむ、これも出産のジレンマ。
生むというのは、生まれ出ること。
自分から放れること。
離れること。離すこと。
いつもそう。
生み出すまで。
生まれたものは、わたしの手の中にあるものではない。
握りしめるものでもない。
子供も。モノも。
「私のもの」ではない。
それぞれが、命を持って、行く先で世界を作っているのを見ると、とってもとっても幸せな気持ちになるのです。
それは生み出した幸せ。
離れた幸せ。
離す幸せ。
完全にもう、私のものではないことの喜び。
なんていうか、生んだ直後はお世話に追われて、それが生まれた意味とか、味わいとか、感じてる時じゃない、みたいな感じ。
書籍などでも、販売やサイン書き、セミナー開催などの「お世話」でいっぱいで自分が味わう場合じゃない、みたいな。笑
しばらく経ってから、じんわりと味わったり繋がったりする時がやってくるのです。
たまに、「私の製品!」「私が作ったもの!!」というような、「自分が認められたいから作っている」みたいな製品を見かけることがあって、モヤッとすることがあります。なんでそう感じるかというと、そういう人は「ものづくりそのもの」は好きじゃないんだと思うから。
だから、いい製品にならないし、売れないんです。
そんなものを作ることに対して、モヤッとします。
本当にこれを自分が欲しいと思った?
客観的に見て、これ買う?
だんだん怒りが湧くほど、モヤモヤします。笑
もちろん、それは私の好みです。
作るなら、完全に「作り手」から離れて、それ自体が命を持つようなものを作りたい。
できれば「作り手」を超えるほどに。
ものづくりの本質ってそういう、一見真逆に見えるジレンマの中にある。
だから私は、「ものづくり」が大好きなのだ。
その痛い、苦しい、気持ちが、結局好き。
その痛い、苦しい、気持ちが、結局は快感。
私はドSかな、と思います。笑
本当に出産と似ている。
女性性はこの矛盾(ジレンマ)を、そしてそれこそが繁栄だと知っているのですよね!
聖域と繋がるノート、再販もしますが、またとっても可愛い新作も出ます!!
楽しみにしていてくださいね♡♡
もう用意した?
12月からスタートですよ♡
冬もノートを楽しもう♡
人生がワープする【設定変更】を学べる書籍はこちら