長女がお友達と行きたいと言うので、

十和田市現代美術館まで乗せて行きました。

 

https://towadaartcenter.com/

 

 

 

 

 

八戸から車で1時間ちょっと。

 

2008年の開館以来5回ほど来ていますが、今回は長女達と別行動。初めて一人でのんびりできる、とちょっと楽しみにしていました。
 
 

 

 

びっくりしたのが、作品の写真撮影OKになってたこと!!

(これまでは外の広場にある作品だけOKだった。)

 

いつから??嬉しい♡

もう現代では、美術館の写真NGにしてちゃダメだと思う。

 

なので「映えスポット」としても人気がまた出てるようです。

アートはそうじゃなきゃ!と思う。

日常に溶け込む時の違和感とか不思議さとか異世界感、みたいなのが、とても楽しいもの。

 

 

日本の美術館もどんどん撮影OKのところが増えてきて嬉しいな。

閉ざさないで、それぞれの源表現を私たちの日常に溶け込ませて欲しい♡

 

 

 

入るといつも巨大なおばさんが迎えてくれます。

「スタンディングウーマン」いつ見ても「おおっ」となる。

 

 

 
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すごい肉感。圧迫されるような質量感。今にも動き出しそう。
じーーーっと息を殺してしまう。いたずらして叱られてるような気分になる。
 
 
 
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なのに、とっても皮膚は薄くてしっとり吸い付きそう。
爪も、薄め。優しそうな手。
 
きっと抱きついたらボムンッと柔らかい。
動いてギュッとしてくれそう。
 
私はこのおばさんがとてもお気に入り♡
 
 
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おばさんに会えたので、今回のお目当ては
コレクションに新たに加えられてから、まだ見たことがなかった2作品。
 
 
これすっごく「わぁぁ・・・」と思った。
 
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朽ちかけた船に赤い糸を四方八方に散らして張り巡らせた作品。
面じゃなく、糸の線だけでできているのに、無数の面が重なっているように見えるんです。
 
障子のように透けた、膜のようなものがモヤ〜〜っと何層にも重なっているように感じる。ただの線なのに。どこからでもつながる無数のトンネルのように見える。
 
 
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手のひらを太陽に透かしてみれば〜
真っ赤に流れる僕の血潮〜
 
という歌が頭で流れました。笑
 
 
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私は作品を見てからパンフレットを見るのが好きなのですが、
 
これは「水の記憶」という作品で水やモヤのように掴めない、捉えられないものを表現しているそうです。
 
絶対に五感で捉えられないものだからこそ、こうして表現するのですよね〜。
 
 
 
ノートブックも同じで
 
「私」という、形なく物質ではないものを捉えるために、言葉にしていく。
 

本質は、「感じとるもの」なんだもの。

 

それはずーっと絶対に見えるものや聞こえるものにならない。

 

それを研ぎ澄ます為に、本質の余白部分を見えるもの、聞こえるものとして表現していく。

 

 

 

 

立体の空間の中、線で面みたいなものを感じる感覚がとても印象に残りました。

 

 

 

 

 

もう一つ、こちら。

 

 

きれーーーーい♡♡

ぽこぽこ、シュワシュワ、弾ける泡のよう!

 

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良く見ると中にリアルで生々しい毛が見える。

本物の剥製にガラス玉のようなものをくっつけているようです。

 

パンフレットを見ると「PixCell」というシリーズの彫刻作品だそう。

常に携帯やパソコンなどを通して物体を見ている情報社会の現状を表現しているんだそう。

 

 

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へー!

スマホやPCってこういうイメージなのね。

 

透明な光の粒で見ているのか。

 

こうしてみると、どんなものでも綺麗に見えそうな気がしてくる。

それが戦争だとしてもお花だとしても排泄物だとしても大自然の風景だとしても、私たちと接する部分はどんなものでも「透明な粒」という事実。

 

それに、元々の全体が見えにくい。

ひと粒の見る場所によっても元の物が大きく見えたり歪んで見えたり、

 

綺麗に虹色に見えたり、急にベットリ汚らしく見えたりする。

 

 

なんか、全体が隠されてしまうようで、

どんなものも、透明のクリアなひと粒でしかないのかも・・・

 

「幻」と「リアル」の境目をとても意識させられた作品でした。

 

 

 

 

決して広くない展示室に監視員がずっと一人立っているので、

もっと見ていたかったけれど、なんか見辛くて、出てしまいました。

 

 

はぁぁ。こういう場面、私はとても苦手。

知らない人と狭い部屋で二人っきり、という場面など。

 

 

 

 

 

 

 
外にもアートなオブジェが多数あるのですが
この付近に住んでいる人はどんな気持ちなんだろう、といつも思います。

 

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お化けがいたり

 

 

 

 

 

馬がいたり

 

 

アリがいたり

 

 

 

 
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ブツブツワールドがあったり。

 

 
 
 

 

私は、草間彌生のブツブツ作品が好きではありません。

とても、好きじゃない。

 

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あと、奈良美智作品も好きじゃありません。
とても好きじゃない。
 
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けれど、「芸術作品」って個人的な「好き嫌い」とは全く無関係のところにあると思っています。
 
「認める」というのは「好きな人が多い」とか「ファンがたくさんいる」ということじゃないと思う。
 
好きでキャーキャー言っても
嫌いでブーブー言っても
 
その作品を面白がっている、楽しんでいるという点において同じ。
 
認識する=認める、だと思う。
 
 
 
認められている人って、認識させる天才なんだと思う。
意識させる天才というか。
 
 
私は「きれいなもの」が個人的に好きだけど、「作品の発表」となったら、それはまた別だと思う。
 
私もブログに綺麗な言葉しか書かないわけじゃないし。
そうなんだと思う。
 
 
だから、好き嫌いとは無関係のところに、表現や発表はあると思うのです。
 
 
 
 
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輪廻転生を表現した無数の人形の集まり。千羽鶴のように見えるこの作品も好き♡
きれいだから。
 
 
 
 

 

 

 

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