ヨガクラスを開催してくれていて、私は可能な限り参加しています。
昨夜は「ヨガ談義」も開催されていて始終夢中になって聞いていました〜!!
ヨガは設定変更にもとっても通じていて、
勝ち負けでヨガをやってる時もあったけど、設定変更の目線で改めてみたら
ヨガが全然違うものに見えた、とお二人ともおっしゃっていました。
私、ヨガの最後に必ずあるシャバアーサナが結構苦手だったんです。
屍のポーズとか
死体のポーズとか
亡骸のポーズとか言われるやつ。
それが、飽きちゃう。
ソワソワしちゃう。
すぐ起きて動きたくなっちゃう。笑
けれど最近、シャバアーサナ中に「ズルズル」としたものを感じるようになり、
本当にただのリラックスとか、寝るだけのポーズじゃなくて、まさに「死」というご褒美というか、
シャバアーサナのために、キッツイポーズするんだな、
私たちは本当に「死」という最高のご褒美のために生きるんだな、と体を通して感じるようになりました。
力を抜く、というのは「ゆるゆる」という感覚というより「ズルズル」という感覚が近い・・・と思いました。
力を抜く時、同時に肉体の重さを感じる
なんていうか震災の時の「液状化」みたいな、ズルズルの感じ。
私、死体が好きなんです。
オンラインサロン では何度か話してますが、死体を見るのが好きなんです。
いつからだろう、多分中学生くらいから。
文字だけ見ると、とってもシュールで心配されそうなので
ブログに書いた事なかったんですが、たくさん本も持っています。
好きっていうか興味、というか
目を逸らせない魅力がそこにある。
でも、その魅力は何なのかな?
分からなかった。
こないだ、青木ヶ原樹海に行って、ちょっと言葉になりそうだったので書きたいなと思って。
私の好きな死体写真家の方が、青木ヶ原樹海で、撮影をしてるんですけど
それも、とっても魅力的。
二極の世界で言われるような「美しさ」「香しさ」とは対局の「臭」「醜」が充満しているんだけど、この世界が私たちの世界の本質だと感じて、(存在するから写真に写るわけだし)二極を包み込んだその袋自体がものすごく美しい、と感じる。
綺麗、可愛い、という美しさではなく
圧倒的な畏怖の美しさ。
それは、生と、死、そして大地に還るまでの
その間
そのプロセス
が、はっきり写し出されているからだ。
そこがこの世界の最高の「糧」なのに、そこがタブーとされていて、隠されているから、だからこうして見せてくれる事に魅力を感じるのだと分かった。
しっかり見たいんだ。
二極や、勝ち負けの美醜がごちゃ混ぜになり、物質的にも対等になるその間を。
その腐敗を。
世の中でタブー視されているものって大体がそう。
曖昧ではっきりしなくてグチャグチャで
お金が何かに変わる瞬間や
何かがお金に変わる瞬間も、
男女間のセックスも、
胎内の細胞の変化も、
★設定変更は本当に宇宙レベルで人生がワープするよ♡