自分があの時感じたものがなんだったのか?
それを自分で理解するために「表現」をする。
 
 

 
わからないから。
目に見えないし音にも聞こえない「それ」がなんなのか。
 
 
自分自身がわからないから、出してみるんだ。
出すことによって、分かるのだ。
 
表現活動とは、外側に向ける「ドヤ活」ではない。
ひたすら自分自身に対して繰り返される、追求だ。
 
 
 
 
 
 
文字にして表現する人
 
 
絵に描いて表現する人
 
 
音にして表現する人
 
 
体全体で表現する人
 
 
 
自分自身の奥にある「何か」がなんなのか
自分自身で理解をしようと、無我夢中で外に出した時「作品」となる
 
もしそれが他の誰かにもその人の奥に共鳴を与えるならば「傑作」となる。
 
 
 
 
 
ノートも同じ。書いてると分かるよね?
 
自分自身の理解のために、文字にして表現するんだってこと。
私たちのずっと奥にある煌めきがなんなのか。
それを少しでも掴みたいから。知りたいから。
 
自分が書いたことで、自分が理解する。
 
 
 
先日行った松方コレクションでムンクの一枚の絵に釘付けになりました。
 
「吸血鬼」と言うタイトルのこの絵。
 
 
 
女の人の赤い髪が血にも見える。
男の顔は青く、死んでるのかな?
でも抵抗する様子もなく、女性が押さえつけている感覚もない。
 
ただ、吸わせてあげていると言う感じに見えた。
 
「優しい・・・」と言う感覚をこの絵に覚えました。
 
どうぞ吸ってください、と差し出しているような。
もしくは、むしろ女性の方が、男性を癒しているような。
 
 
 
この絵が忘れられなくて、最近図書館でムンクの大型画集をよく見ていた。
 
そこで初めて出会ったこの絵。
 
「マドンナ」
 
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同じ女の人なんだけど、
左の版画には胎児と精虫に取り囲まれていて、油彩の方は肉厚で官能的。
 
左は後ろの影に囚われているように見ようと思えば見える。胸のあたりの不吉な影は、見えない存在に鷲掴みにされている感じにも見える。
 
 
右は、自由にのびのびと愛に浸っているように見ようと思えば見える。
 
 
左は、目が窪み、後ろの影に囚われているようにも見ようと思えば見える。
きっと、この胎児も、普通に見たら「不気味」なんだろう。
 
 
でも、可愛い。この絵を見た瞬間、
 
ハッ
まめちゃんがいる!
可愛い
 
と思った。
 
 
先日死産したまめちゃんにそっくりだ。
 
 
でも、「一般的には不気味に見るだろうな」とは思うけれど、
この絵を見て「そう見ない人たちもいるだろうな」と思った。
 
 
だから傑作なんだ。
 
この絵の虜になりました。
 
 
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ノートにも並べて貼った。この絵は並べてみていたい。
 
 
この表現に、本質一歩手前、
触れるか触れないかのギリギリのところで抵抗している感覚を受けた。
 
それはこれが「分離」の表現に感じるからなのか
表と裏の世界、に感じるからなのか…
 
 
そんな風に画集を見ているうちに
ムンクはこの「吸血鬼」「マドンナ」そして有名な「叫び」ほか数点の作品群を
「生命のフリーズ」と後から名付けていたことを知った。
 
 
「私はそれらの作品を一緒に並べた時、各々の絵が相互に関連を持っていることに気がついた。一緒に集められると、全ての作品を通してある響きが鳴り渡り、一つづつ置かれていた時とはまるで異なったものに見えた。それは交響曲のようなものだった。そしてこれが、私がフリーズの描き方を発見した方法であった」
 
 
 
そうか。ムンクは自分でも、自分の内側で感じたものがわからないから、これらの絵を描いたんだ。
そして、描くたびに自分・・・いや、自分じゃないもの、「源」を知っていくんだ。
 
そして、その源にどんどん近寄り、いざ、その「使い手」をはっきりと知った時
そこで我を張り続けて「抵抗」するか、
もう我をなくして源に「お任せ」しちゃうか、が
「円熟・繁栄していくかどうか」の分かれ道になるのかな、と思った。
 
 
モネとかシャガールのように
晩年まで豊かな絵を描き続ける芸術家もいる一方で
 
若い頃しかいい絵を描けない芸術家もいる。
それは音楽でも同じだ。
 
 
日本の音楽シーンでも、「一発屋」と呼ばれるミュージシャンもたくさんいる。
売れるための曲を作れるか作れないか、とかそう言うんじゃなくて。
 
外側のそう言う折り合いもあるかもしれないけれど
圧倒的に自分とのコミュニケーション(これを「戦い」と呼ぶ人もいるけど)
 
なんのために表現するのか
つまり「自分はなんなのか」
ここに尽きるのだと思う。
 
 
 
源に近づけば近づくほど、本当の自分は「私」ではない。
「私」以外の誰かに乗っ取られている!そう感じる時
もしくは「私」を打開しようと戦う時、こう言う「叫び」のようなものを感じるのかもしれない。
 
 
 
 
 
松方コレクションでは、ゴッホの「アルルの寝室」がメインの一つとして展示されてい た。
 
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ムンクもゴッホも、精神病院に何度も入院した。ゴッホは自分で耳を切り落とし、最後はピストル自殺した。
 
自分自身でも分からない内側にあるものを、分かりたくて表現し、さらにそれを世間に「狂気」だとか「異常」だとか受け入れられなかったら、
 
ますます自分は狂っているんじゃないかと思うよね。
 
 
ゴッホには何が聞こえてしまったのだろう。
それはきっと「異常」なものではなく
自分の中の本当の声や光だったと思うんだ。
 
ムンクとゴッホにノートブック伝えたい、と一瞬思った・・・
 
 
 
そしてそれはやっぱり本当に「源」「魂」の表現だったからこそ
傑作になり、こうして世界中の人の胸に何かを思い出させるんだろうな。
 
 
 
 
と言う話を、母としていた時に
母が突然「カローラ山荘」の話をし始めた。
 
「カローラ山荘」とは、近所の「元精神患者施設」で、現在は廃墟になっていて有名な心霊スポットになっている。
 
 
 
 
 
こんな話を家族でしていた2日後くらいに、子供たちがよく見ている「はじめしゃちょー」が
その心霊スポットに来ていて、動画がアップされている!!と子供達がビビっていた!
なんのセレンディピティだ!笑