今日は花まつりなので
再アップ♡
母が作ってくれた桃太郎三兄弟♡
新しいお家は広いので、季節を感じるお飾りをたくさん楽しみたい♡
実家の木彫りの熊と一緒にお釈迦様。笑
今日はお釈迦様のお誕生日
花まつり
各地でお釈迦様の像に甘茶をかける光景が見られます。
5年前も書いたこちらの記事
お釈迦様と言えば
私は大好きな言葉がたくさんありますが
その中でも生まれた時に7歩歩いて
天を指差し語った言葉
天上天下唯我独尊
てんじょうてんげゆいがどくそん
は大好きな言葉です。
『この世で一番尊いのは自分である。なぜなら自分という存在はこの世に一人しかいないからである。』
という意味です。
しかし、勝ち負けの世界にいる人は誤解します。
「自分勝手」「自己中心」「傲慢」という意味に誤解することがあります。
あなたが勝つなら私は負ける
という発想だからです。
だから、こういう発信を怖れます。
その世界を疑えばいいのに。
傲慢なのは自分自身。
まさに自分の世界を「投影している」です。
こういう解釈もあります。
『自分という存在は誰にも変わることのできない人間として、生まれており、この命のまま尊い。』
ということが本来の意味です。
現実の世界に置き換えると、人間の命の尊さは、能力、学歴、地位、名誉、財産などの有無を超えて、そのままで尊い『自分』を見だすことの大切さを教えている言葉なのです。
世の中は、とかく何事にも優劣をつけ他人と比較して優越感に浸ったり、劣等感に陥ってしまいがちです。
しかし、この言葉の真意を知れば、この世に唯一無二のかけがえのない自分という存在がオンリ-ワンだということに目覚めれば、他人と比較して傷つく必要など全くないものであると同時に、他人より優れたものがあったからといって、おごり高ぶるものではない、ということに気づくはずです。
様々な人生の壁にぶち当って、心が折れそうになったときには、この教えが生きる勇気を与えてくれるでしょう。
劣等感も優越感も手放したなら
誰とも何とも比較せずに、自分だけの感覚で
「今」だけを見て、でも
「今」を握りしめずに
「今」から幸せで在ることができます
結果、幸せもお金も必ず巡ります
誰とも比べなくなった時
繁栄のインスピレーションが降りてきます♡
私はなぜ、仏教が好きなんだろう?と思うと。
最近のお気に入り♡スリランカのお茶♡
仏教ってね、絶対者を立てない宗教なんですよね。
(本来キリストもそうなんだけど、神だと勘違いされてるよね。いや、神なんだけど…言葉は難しい。)
お釈迦様でさえ一人の人間、実践者でみんな対等。
誰でも悟れるよ、と言う教え。
お互いの生き方や生活や立ち位置がどれほど違っていても
ともに一つの世界に生かされていると言う世界観。
かと言って堕落するのでもなく
「絶対」を立てない(見えない)からこその、
そこを超えた「絶対」があるんだよね。
つまり2極・対立を超えた「最善」とか「絶対」が存在する。
それは宇宙の「真理」そのもので、対になるものが存在しないんだ。
言葉で言うならそれを
「悟り」や「高次元」と言うだけなんだよね。
しかし、この勝ち負け意識の現代では勘違いしていて
2極でしかものを見れない人たちが
「悟り」や「高次元」という言葉に勝手に負けて
そういう「見下し」てる奴こそ負け!
高次元とか言う奴が負け!
悟りとか言う奴が負け!
高次元とか求めなくていい!
悟らなくていい!
みたいなことになってて、
なんか違う。
ってすごく感じる。
それって自分が
「悟り」とか「高次元」と言う言葉に対し「悦〜」を感じるから、そう思うだけでしょう?
その自分を疑って!
勝ち負け意識やめたら
ただの「そのもの」として、ただの「より良い人生」として
求めていけるのに、と思うよ♡
なぜどうでもいいところで対立するのだろう?
なぜどうでもいいところで勝ちたいのだろう?
お釈迦様が教えてくれた
誰でも悟れるよ、と言うのは
誰でも本当の自分を生きていけますよ。
誰でも勝ち負けの苦しさや執着から解放されて
楽に、幸せに、本当の自分を生きていけますよ。
と言う、ただそれだけなんだよね。
決して
「より良い人生求めている俺、悦〜」
とはお釈迦様は思ってないし、伝えてない。笑
(しかしこうやって勝ち負けの人が宗教戦争を起こして行きますよね!)