凱旋門♡晴天!!

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インフルエンザになりました。笑

あ〜〜〜苦しい。

 

Parisではルーブルのチケット買ってたのに

今回も行けなかったのです〜涙

 

一家全滅にじわじわと近づいていて

残るは長女のみ・・・

 

「テスト前だからうつさないで〜〜」と逃げ回っています。笑

今回のテストで1位だったら韓国に連れて言ってもらうという

約束を取り付け、張り切っている娘!頑張れ〜笑

 

 

 

12月のParisで、参加者さんとした「交換ノート」ですが

(Paris行く前に募集するって言ってた交換ノートの募集、まだできてないです〜!お問い合わせいただきすみません汗近々募集開始しますので少々お待ちくださいませ!)

 

その中でね、「外部」と「内部」について書いてた方がいて、ちょっと引っかかっていたのです。

 

覚えてるニュアンスはこんな感じ。

 

 

「さきこさんの内部(認定講師)じゃなくても設定変更を広めたい。

 設定変更を宗教にしたくない。

 外部の私が、外部にもちゃんと伝えて行きたい」

 

みたいなことを書いてくれた方がいたんです。

 

 

でね、私はそれを読んだときにさみしくなりました。

なぜなら私は、その方を「外部」だと思ってなかったから。

 

 

だから、外部のところに矢印を引っ張って

「外部とは何?」って書いたような。

「私にとって〇〇さんは内部ですよ♡」とも書きました。

 

 

でもね、その方はそういうつもりで書いたわけじゃない、こういう意図で書いたわけじゃない、って分かるから、その上でお返事したのだけど、

 

ただ、ずっと引っかかっていたんです。

 

「感じた寂しさはなんだろう?」と。

 

確かにその方のことは何年も前から知っていて、素敵な方で私も大好きだし、その方の言葉を借りると明らかに私の中では「内部」なのだけど、じゃあ、私にとってどこからが「外部」なんだろう?と。

 

 

そう言われると境目がない。

 

 

どうやってその境目を決めるんだろう?

 

 

「内部と外部」

「敵と味方」

「こっち側とあっち側」

 

 

私にももちろん好みはあるから、

お付き合いしたくないなと感じる人とは離れるし

好みじゃないところには近づかない。

付き合いをやめることもある。

 

けれど、それが「外部」「敵」「あっち側」かと言われると、全くそうじゃない。そういう感覚がない。

 

 

つまり、境界線がない。

 

 

だってみんな同じ「今」に生きているのだもの。引きようがないじゃない?

つまり全て「内部」というか、外部も内部もない世界に生きているのだよ。

 

例えば家族単位が一番わかりやすい明確な「内部」として、家族以外の人が「外部」としても、私の知らないご先祖様や親戚、遠い遠い昔に土に還った数々の人間、結局無限に繋がっているんだ。

 

とてつもなく壮大な星屑のような命、エネルギーの中に生きている私たちなのにそんな狭い範囲で内部、外部、決めているのは紛れもなく「自分」なのだよね。

 

「境界線」を自分で決めてしまうから、「停滞」するのだと思うんだ。

 

 

私が「寂しいな」と感じたのはその人が決めた「境目」の

「あっち側」認定されてしまうことによって生じた感情だったんだな。

 

 

 

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でね、これで思い出したのですが、

私が個人的に付き合いをやめた人が共通の友人に

「どっちの仲間なの!?」

みたいなオーラを発してくるというのは本当に昔からよくあって。

 

これ女性のあるあるなんですかね〜〜〜。

 

いやいや、どっちも友達でいいじゃん、(私がもう付き合わないって勝手に決めただけだし)て思うのですけど、

そういう人は自分の中でがっちりと境界線があるので

 

 

あっち側の人

こっち側の人

 

あっち側のお金

こっち側のお金

 

あっち側の男

こっち側の男

 

あっち側のお客さん

こっち側のお客さん

 

ってね。

 

 

 

いつもいつも勝ち負けの狭い世界の中、

自分が作った境界線だらけだから

それが投影されて

「仲間はずれ」とか「見捨てられた」とか「いじめられた」とか「選ばれた」とか

そういう幻被害妄想になるんだよね。

 

 

 

起業でもありそうだけど、「グループ」とかさ。

 

いちいちこの境目を見つけて、境目を自分で決めて、そんな疲れる人生やめよう。

 

どこかのグループを見て、焦ったり、どこかに属していなきゃ!と思うときはなぜそう思うのか?ちゃんと見てみよう。

 

「自分のもの!」「自分の場所!」っていうのは疲弊するし

この感情を押し付ける人が恋愛も仕事も人間関係もうまく行くわけないんだよね。

 

 

私だけの味方でいて!

私だけのものでいて!

私だけ、

私だけ、

私だけ・・・!

 

↑ここを明らかに見る(直視する)ことから始まるよ。

何がそんなに怖いの?

ひとりぼっちになること?見捨てられること?いじめられること?

 

 

 

これにも通じるのだけど

→恋愛上手のススメ❤︎「愛」はその人の1番になるのが目的じゃない❤︎

 

 

本当の願いは何?

本当に「内部」や「こっち側の味方」を増やすこと?

 

疲れない?そういう概念自体、もう捨てたいんじゃない?

どっちの味方!どっちの仲間!っていう「世の中境界線だらけ」設定捨てちゃおう。

これやってるうちはそれが投影されて薄っぺらい「仲間」を過剰に作る。

 

そしてね、せっかくの関係を大事にできないんだよね。自分が勝手に決めた線を超えたら「あっち側」認定しちゃうんだもん。薄っぺらい。

 

 

勝ち負けの世界って肩書きやら所属やらで境界線作るから

すべてに採用しちゃうんだろうけど、

 

本当は境界線なんか意識にない人も多いよ。私の周りの人たちは本当にそんな人たくさんいる。

肩書きも所属も収入も関係なく、境界線なく、分かち合って繁栄しあえる。

 

 

まあ、勝ち負けの世界では自分が優位に立つときには必ず必要になるものだからなかなか捨てれないのだろうか・・・

「あなた!境界線引きなさいよ!」みたいな。

 

ちなみに境界線と距離感は別物ですからね!

勝ち負け世界では境界線を距離感と勘違いしてる気がする。

対等の世界での線引きと、勝ち負けの世界での線引きは意味が全く違うね。

 

対等の世界では、「すべてがどうせ繋がってるから」の「好みの上」でなんだよね。

 

 

安心して個になろう。なれるのは、内部も外部も境界線がないからだよ。

堂々と♡安心して個を追求しようよ。

 

私は何を考えている?

私は何を望んでいる?

 

 

もうそもそもみんな内部なのだから

薄っぺらい仲間を必死に集めなくても、安心して堂々と個であればいい。

 

 

私はセミナーなどではいつも「空気に向けて話している」のですが

それって境界線がないからだと気づきました。

ブログも、「ここまで」という境界線はなく、空気のようにどこまでも向けて書いている。

 

 

 

 

 

 

そうしてれば、こうやって自然と仲間は世界中にできてくるのだよね。

 

私ね、昔から、「仲間」に関してよくわからなくて、

仲間はずれとかシカトとかそれなりにいっぱい経験した。

 

でも、好きな人も、好きじゃない人も

結局同じ「今」に生きている仲間だという感覚があるよ。

 

だから安心して嫌われたらいいし、安心して嫌ったらいい。

そしてその経験を糧に、安心して「自分の大好き」を追求したらいい。

 

人に見せる「肩書き」のためじゃなく、自分のためにね♡

 

 

NEW自分の設定にすぐ気づけるノートの魔法!