明らめる=明らかに見る=今の自分を認める、直視する、ですが、
私は、全然すごくないし偉くない。 私は、とっても醜いし汚い。
でも書いているように、別にわざわざ絶望を探さなくていいんです(笑)
なんか
「私は平凡だから・・・」とか
「大して壮絶な過去ないし・・・」とか言ってる人をたまに見かけますが。
ほとんどの人はこれです。
普通であることを認める勇気がない。
「その他大勢」「平凡」な自分を認めてない。
「特別」になりたいから。
しかし、いわゆる「平凡」で「庶民」な自分を受け入れなくては設定変更も何もないです。
だってあなたの居場所は、そこなんだもの。
「今ここ」にしか、あなたの居場所はどこにもないんだもの。
(参考記事)
「ありのままを認めるという事」と「理想を諦めるという事」は違います♥その②
この記事でも書きましたが、
「いつか認めよう。」
「もっと立派な自分になったら、その時は自分を受け入れよう」
としてたら、永遠にその日はこないです。
今、居場所がないあなたは、永遠に居場所はありません。
今いない自分は、いつまでも永遠にいないんです。
まぁ、これ言ったら元も子もないんですが
そもそも、生まれた時点でみんなたった一人の私なんですけどね・・
私はよく3%だ、97%だ、
庶民だとか、なんだとか、色々言いますが(笑)
私は貧乏シングルマザーで、嫌なことばっかりの満たされない世界
にいる今、ここが私の居場所だと、明めたんです。
それは、誰のせいでもなく、自分が選んできたんだと、自覚したんです。
わざわざ絶望を探しに行かなくても、
この「この不満だらけの世界は自分で選んできた」ということが心底腑に落ちれば嫌でも深い絶望があります。
そして、この今の居場所で、できる限り幸せを厳選してきたんです。
でもそれは、今までの自分を全て否定して、一度殺す事と同じです。
だから、「明らめる」には結構な覚悟が要ります。
決めるのは簡単です。でも、そのまえに一度今までの自分を殺さなくてはいけないから、みんなそこが怖いんだよね。
みんな、いつでも自分を決める事ができます
誰にでも可能性があると信じてます
前に怒りについての記事を書きましたが
(『怒り』の神聖な生命力とセクシーさ)
信じてるから怒るんです。
自分にも人にも。
そんなもんじゃないでしょ?って。
誰かのせいにしたり、過去のせいにしたり。
そうやって、変わりたいと言いつつ、「今ここ」の自分を見ないままの人に対して怒ります。
ごまかしてる人に対して、嘘をついている人に対して怒ります。
別に、単に違う趣味の人に対して怒ってないです。
だいたい「怒り」について投影だなんだ言って、怒ってる人を批判してる人って、ここを混同してますよね。
批判してる人を批判してる人って頭悪過ぎて嫌になります。。。
でも、
ふっかけられたら私は普通にただ怒りますけどね
仙人じゃないので!
それも、どうでもいい名無しとかには怒りません。
たまにネタにしますけど。。
ふっかけられて怒るのは、私が私の世界に「存在」してると思っていた人。
その感情がわいたら、私の中では「自分の設定」を見直す機会になっています。それが、本当に意味ある「”投影”という概念」でしょ?
で、どうする?ってところでしょ?
尊い怒りは私にとって
その存在自体を疑う貴重な機会です
疑わないから、永遠にどうでもいい事でワサワサオエオエすることになるんじゃない?いつまでたっても設定変わらないんじゃない?
「投影」意味ないじゃん。
どうでもいい事ですが私は、オエオエっていう響きが気持ち悪いので使いたくないんです。笑