オクシタニー地方 ピレネー=オリアンタル県(ピレネーゾリアンタル)

Perpignan(ペルピニャン)

 

こんにちは!木蓮です。

先日から眠い、眠い……。

「春眠暁を覚えず」とは言いますが、夜、ブログを書こうとPCを眺めると、不思議なことに眠気が襲ってきます(苦笑)

 

本日は前々回の続きであるペルピニャン。

……と、その前に。

 

今回、あるシャンブルドットに泊まっていたのですが、そこからの景色が素晴らしくて、毎朝本当に楽しませていただきました。

 

 

 

 

シャンブルドットまでの一本道は両サイドに美しくプラタナスの木(ですよね?)が植わっていて、ちょうど芽吹きの季節。この淡い萌黄色がとても好きな私。

 

 

 

 

雨上がりの細道に青空が映えていました。

 

さて、ペルピニャン。

例えこの地域で一番大きな街といえど、中心部は歩いて廻れるような小さな街。

 

 

 

 

ルシヨンと聞くと、どうしてもプロヴァンス地方リュベロン県にあるルシヨンを思い浮かべてしまう私ですが、前回も書いたようにこの地方の名前であるルシヨン(Roussillon)とは、ペルピニャン近郊にある小さな軍事要塞ルシノ(Ruscino, Rosceliona)から名づけられたのだそうです。

前回のお花屋さんのある通りからまっすぐ歩くと、Cathédrale Saint-Jean-Baptiste de Perpignanが見えてきました。

 

 

 

 

フランスでありながら、どこかスペインを感じさせるこの地。これは、マントンに行った時にイタリアを感じるのと全く同じで、幾たびの戦争を繰り返し、宗教も経済も文化も混じり合ってきたヨーロッパの歴史の一端を垣間見れる気がします。皆さんが旅しても、同じようなことを幾度も感じてこられていると思います。

 

 

 

 

私の腕とカメラではこれくらいが精一杯で、本来はプロ仕様のカメラを持っていくべきなのですが、さすがに重くて無理!(笑)やっぱり、旅を楽しみたいのが一番ですからね。

 

 

 

 

現在のカテドラルは、1324年から1509年の間に建てられたもので南部ゴシック様式。現在の時計台は18世紀に造られたものです。

さて、街のカテドラルを見終わったら、もう一つだけ訪れておきたかったPalais des rois de Majorque(マジョルク王宮)に行きました。

 

 

 

 

ペルピニャンを語るにはマヨルカ王国の話を書かなくてはいけないのですが、これが本当にややこしくて、一度しっかり勉強しなおさないと難しい!!マヨルカ王国は、地中海西部バレアレス海に浮かぶバレアレス諸島最大の島であるマヨルカ島を中心とした王国で、「征服王」として知られるアラゴン国王ハイメ1世が建立した国です。

 

一言いわせてほしいのが、ヨーロッパの歴史を学ぶにつけ、何が難しいってこの人物や地名。

いろいろな言語があるため、このハイメ1世の名前もカタルーニャ語ではジャウマ1世、ジャウメ1世とも呼ばれています。(カタカナ読みするとまた増えること、増えること)

 

とりあえず王様の名前をフランス語名で書かせていただくと、Jacques2世によってペルピニャンがマヨルカ王国の首都となり、旧市街を見下ろす高台に宮殿が建立されました。初めはロマネスク様式で、1300年以降になるとゴシック様式へと変遷しています。

 

 

 

 

 

私が訪れた時、ちょうどルシヨン地方における天井画の装飾展示が行われていたのですが、どうやら地域をあげて力を入れているようで、この後の旅でもよく見かけました。

 

 

 

 

暗かったのでピントがうまく合っておらず申し訳ないのですが、私にはオリエンタルな雰囲気がぷんぷん。

 

 

 

 

雨が降っていたので、あまりいい宮殿の全体像写真がありませんが、またいつか撮る機会があれば……。

 

 

 

 

さて、ペルピニャンの街はこれくらいにしておいて、次回よりこの地方の小さな村をいくつかご紹介していきたいと思います。

なんとか旅に出る前に、1つくらいご紹介したいなぁ~。

 

今日は少し荒れ模様の天気ですが、夫が腕一杯のリラを抱えて帰ってくれました。

フランスもとうとうリラの季節。

皆さんもフランス旅の最中、このリラの花を見れることを楽しみにしてくださいね!