数秘術基礎クラス 課題レポートその2 星野道夫さんのヒストリー | naomi cafeにようこそ 目に見えない多次元のこと

naomi cafeにようこそ 目に見えない多次元のこと

生命の木からわたしの可能性とチャレンジを知る

生命の木 数秘 占星術
マインドフルネスお味噌汁
目に見えない多次元についてお伝えしています。

プチベジタリアンアドバイザーなおみです。

数秘術の課題レポートその2は星野道夫さんのHistoryです!


インスピレーションと行動力で・・・運命を切り開いていく・・星野さん

見事に数字のサイクルと重なっています!


彼は 真理 博愛 人類愛を表す数字の 9をたくさん 5つも!持っています。
さい!



彼の人生が・・・どんな人生だったか?読んでみてください!

History

小学生      24-28

小学校のころからシートン動物記の<北極平原に野生動物を求めて>という本を繰り返し読み、チコとサメという映画に感動しました。 このころから 北海道にくまがいること そのくまを俯瞰で見たいと願っていました。

1964年 12才 2
         浅き川も深く渡れ   卒業の寄せ書き

小学生なのになんと奥の深い一言なのでしょう?
彼はもしかしたら、魂的には古老のような人だったのかな?

1968年 16才 5-6
高校入学の年 ヒッチハイクで異国にいくのを夢見てバイトに励みます。 5の冒険心好奇心!この年は彼の意識は外国へと向き周到に計画をたてていた時期

1969年 17歳 6-7
横浜港までヒッチハイクで行き移民船でアメリカに向かいます。約二か月間 アメリカからメキシコ、カナダまでいったようです。6の境界を超えるというのをまさに6でやっています。右脳で動く人だったのがわかります。

1970年 17才から18才 7-8
山登りを始める。
1971年 18才から19才8-9
慶応大学経済学部 入学 探検部に入部
夏に信州を旅した時、宿泊先のアラスカの絵地図をみて・・・ここにいくかもれないと感じます。
獏然と北へ憧れている時、神田の洋書店でシシュマレフ村の空撮の写真が載っているアラスカという本を見つけます。
異国に憧れてすごした10代の完結、9で本当に行きたい場所を見つけ次のステージへの足がかりとなりました。

1972年 19才から20才 9-10
大学1年生 留年 彼は情熱にしたがって 「アラスカの7つの村に「仕事は何でもします。どこかの家においてもらえないでしょうか?」と手紙を書きます。
10はよりよい状況をもたらすための変化の年 いよいよアラスカへの幕開けの一歩の年でした。

1973年  21から22才 10-11
手紙を書いた7つの村のうちの一つのシシュマレフ村から返信がきて、夏に3か月stayする。ニックネームはエスキモーボーイ。
11はイニシエーションイヤーなので、これで彼は運命的にアラスカへの切符を手にいれました。

1974年  22才から23才 11-3
夏合宿の帰りに 山で友人がなくなる知らせを受ける。しばらく悩んだ結果アラスカに戻ることを決める。
11の終わりに友人の死を経験し、やりたいことをやっていこうと決心します。友人の死によって、3の年にパターンの打破、視野が広がりました。 

1978年  25才から26才 6-7
シアトルの英語学校に入り9月 アラスカ大学野生生物管理学部に入学 このときは合格点に30点たりなく不合格なのを学部長に直談判して入学を許可してもらいます。
6で調整して、7で毎回彼が、次のステージに飛躍していくのはすごいな!と感じます。普通なら不合格だと、がっかりしてそのまま日本に帰るところですが、このことは行動力で物事を実現していく8のバイタリティー!


1979年から1981年  26才から29才 7-9
大学生活 勉強をつづけながらアラスカ各地を旅する。
自分のテーマを見出す。 最初のテーマはカリブーの季節移動を追う。でした。
アラスカの原野でのサバイバルする力 写真の技術 現地での人脈などのアラスカに根を下ろすための、基礎を完成させた時期 9で
完了


1982年  29才から30才 10-11
大学中退 撮影に専念するために大学を中退する。
11で彼はまさしく人生も新しいフィールドへ!
アニマという自然誌にサーモンの写真が表紙に掲載される。マッキンレーとオーロラを初撮影  ここからは写真家 星野道夫としての活動がはじまります。

1983年  30才から31才  11-12
アサヒカメラ アラスカ特集号を星野道夫の写真で飾る。 12はコラボレーションナンバーなので日本でサポートしてくれる人が出現
星野道夫の本の装丁などされている三村淳さんをふくめ、たくさんのサポートがあったと思われます。


1985年  33才 5 形になったものがさらに外向きに活発化する時期
11月に最初の写真集 Grizzly  こどものころから夢見ていたひぐま!そのヒグマの写真集を完成 
ヒグマは怖いけれど、とても魅力的な存在 その写真集を完成させて感慨深かったことでしょう。アメリカでの出版 
☆もしクマがいなくなったら、確かに夜心配しないでキャンプをできるかもしれないけれども、それはつまらない、寂しい自然だなと思います。                                     魔法のことばより                 


1989年  37才  9
木村伊兵衛賞 写真家の新人に送られる賞を受賞 写真家としては新人ですが、普通の写真家としての活動ここで完結 フェアバンクスの森に素敵な土地を見つけ家を建てる計画をする。 アラスカと日本を往復する旅人としての星野道夫もここで終了 


1990年  38才  10
フェアバンクスに家が完成 旅人としてではなく、10でアラスカの住人としての人生のはじまりです。
夢見ていたアラスカに住める!とてもワクワクした年だったことでしょう。写真とエッセイで、アラスカで感じたことを伝え始めます。
写真集 アラスカ 極北 命の地図、 アラスカ探検記 刊 


1991年   39才  11
アラスカ 風のような物語 刊 アラスカ定住日記 イニュニックの連載が始まります。9番の真理を伝えるという仕事がいよいよ本格的にはじまりました。
1993年  41才 13 
破壊と創造 そして新生の年に結婚
お見合いで結婚 撮影にはいつも奥さんを連れていったようです。 過去生での清算?


1994年   42才  5 
変化そして家庭と向き合う年 長男が誕生 1人から2人そして3人に!
きままで自由な一人暮らしから生活が激変しました。新しい家庭と父という自分に戸惑いつつ、しっかり向きあった年!


1995年  43才  6 
調和の年 家庭画報で 「森と氷河と鯨と ワタリガラスの神話を求めて」 というタイトルで写真とエッセイの連載が始まる。子供もできて6の喜び活動する時期 自分の子供の成長を見て、命の不思議さをより感じていたでしょう。そしてとても幸せだったのだと思います。
アメリカ大陸 アラスカ アジアに伝わるワタリガラスの神話に興味を持ち・・・現地に伝わる話を収集するようになりました。


1996年  43才  6 献身 
8月8日 シベリア テレビの撮影で行ったカムチャッカ半島で ヒグマに襲われ死去
43才 6の年の終わりでした。6は別れをとおしての強さを問われる年 境界超えの年!その年に彼は三次元の境界を越え光の世界に旅だってしまいました。 


彼が書いた童話 「ナヌークの贈り物」の中にこんな言葉があります。


われわれは、みな大地の一部      

おまえがいのちのために祈ったとき、

おまえはナヌークになり

ナヌークは人間になる。

いつの日か、わたしたちは

氷の世界で出会うだろう

そのとき、おまえがいのちを落としても

わたしがいのちを落としても

どちらでもよいのだ


星野道夫は 命は生まれ変わる。だから命をおとすのはどちらでもいいと思っていました。

潔くヒグマに命を差し出しました。交通事故でなくなるとか、病気でなくなるより・・彼らしい

死に方でした。

何故なら・・星野道夫を食べたクマもまたいつか死んで大地に還り・・・

それと一緒に、星野道夫もまた・・姿を変えて循環していくからです。

星野道夫はインスピレーションと8の持つ行動力でやりたいことを実現していきました。

 限りない自然の豊かさをアラスカで感じ切りり・・ナンバー8と9と1のmissionをしっかり果た

した人生でした。 


彼はここにはもういませんが、彼は今でも作品をとおして・・私たちに9の意味を伝えてくれるの

です。

彼だけでなく、わたしたちも最後に感じたいのは1は9で9は1なのかもしれないとレポートの最後

に感じました。


最後に星野道夫の好きだった詩 今彼はこんな素敵な世界に住んでいるのかもしれません。  


大昔 
人と動物が共にこの世に住んでいた時

なりたいと思えば人は動物になれたし動物もひとになれた

だから時には人だったり、時には動物だったり、互いに区別はなかったのだ。

そしてみんながおなじことばをしゃべっていた。

その時のことばはみな魔法のことばで人の頭は不思議な力をもっていた。

偶然口をついて出たことばがふしぎな結果をおこすこともあった

ことばは急に生命をもちだし

人が望んだことがほんとうにおこった

したいことをただ口にだしていえばよかった

何故そんなことができたのか、だれにも説明できなかった

世界はただそういうふうになっていたのだ

                            金閣寿夫 「魔法のことば」より
                                          Reported by Naomi Saito