今日は。
前回まで、「少年漫画雑誌」(リンク)について書いていました。
くしくも、4月1日に週刊少年ジャンプ 増刊として「勉タメジャンプ 2023 SPRING」が創刊され、「少年ジャンプ」に新たなライナップが加わります。
(写真:勉タメジャンプ)
少年ジャンプが得意とする「エンタメ」に「勉強」が加わり、親会社小学館の領域に侵入しようとしています。
さて、先日の高橋幸宏に続き、坂本龍一の逝去されました。
世界に日本の音楽を知らしめたYMOも、細野晴臣だけになってしまいました。
今回紹介する吉川忠英と一緒に、坂本は多くのアーティストを支えました。
例えば大貫妙子。
〇Taeko Ohnuki (大貫妙子) - 夏に恋する女たち (1983) Single
https://youtu.be/HlJ3Ta6MYGk
(Keyboards,Vibe そしてarrangement: 坂本龍一、Acoustic Guitar: 吉川忠英 )
このシリーズの前回「Part4」(リンク)の最後に「次は石川鷹彦のボーカリストの面」と書きましたが、考えてみると今回のテーマは「アコギの三大ギタリスト」でした。
時間があったら、ボーカルの側面にも触れたいと思います。
今回は、三大ギタリストの二人目吉川忠英。
<ユーミン・ナイアガラを支えたギタリスト 吉川忠英①: 僕の、日本の三大アコースティック ギタリスト Part5 >
●吉川忠英 人となり?
1.吉川忠英HP
まずはこの人のプロフィールをご自身のHPから見てみましょう。
1947年 東京生まれ。祖父は、昭和初期の渋谷駅長。
(ウイキ:映画『ハチ公物語』で田村高廣が演じた古川駅長のモデル。)
〇ハチ公物語 予告編
https://youtu.be/g3zbMlmxt6o
慶應志木高校在学中瀬戸龍介氏(“THE NEW FRONTIERS ” “EAST”のリーダー&Vocal)と知り合い、ギターや歌を学び“THE KINGSTON TRIO”や“THE BROTHERS FOUR”などのアメリカン・フォークと出会う。
1970年 プロとして荒波に乗り出す。
1971年 渡米。西海岸を中心にコンサート活動を行い、和楽器を取り入れたフォークロック・グループとして注目を浴びる。
1972年 米国キャピタル社より『EAST』を発売。グループ名も“EAST”と改名する。
帰国後、“EAST”から脱退しソロ活動に入る。この頃からスタジオ・ミュージシャンとしても活動を開始。
1999年 Acoustic Guitar Magazine(リットーミュージック刊)にて、『チューエイのレコーディング日記』の連載をスタート。以降、現在も連載中。
➡最新号をチェックしましたが、現在は連載していないようです。
同年、吉川忠英をホストに、様々なアコースティック・ギタリストのコラボレーション・ライブ 『アコギでGo!!!』をリットーミュージック「Acoustic Guitar Magazine」と共同でスタート。
このプロフィールをみて、少し驚いたことがあります。
出会ったフォーク・グループがPPM(ピーター、ポール アンド メアリー)(リンク)ではなく“THE KINGSTON TRIO”や“THE BROTHERS FOUR”(リンク)と書いてあったことです。
当時、小室等や石川鷹彦も含め、ギターを勉強したのは、PPMでしたから。
“THE KINGSTON TRIO”は、僕もあまりなじみがないんですが、動画を見て見ましょう。
そういえば、松任谷正隆も、PPMではなく“THE KINGSTON TRIO”を聴いていました。
〇The Kingston Trio - Tom Dooley
https://youtu.be/7pgRzCyOvPY
2.ギターストーリーズ 情熱のスーパーギタ リスト列伝 吉川忠英
バイオグラフィー以降のことを追加しましょう。
これまたご自身の出演する「情熱のスーパーギタ リスト列伝」でご紹介します。
〇情熱のスーパーギタ リスト列伝
https://www.youtube.com/watch?v=0EjUMRO3ojA
吉川の 生い立ちは、 米国キャピトルのバンド「EASTでデビューしたシンガーなんですね。
米国で、ジェームズ・テイラーが自分の生活を歌っていることにショックを受けて、詩・曲の書き方を勉強したといっています。
ジェームズ・テイラーの動画を見て見ましょう。
〇Fire and Rain
https://youtu.be/N8u8tASPtwg
1)ソロデビュー
吉川忠英は、74年に日本コロンビアでアルバム『こころ』でソロ・デビューします。
ジャケットの写真が悪い(笑)
アルバムトップの曲「夢が少しづつ」を聴いていみましょう。
〇夢が少しづつ (Chuei Yoshikawa/吉川忠英, 1974)
https://youtu.be/wgT5umdos_o
なんと、バックは、初期のユーミンのバックを務めた「キャラメル・ママ」です。
吉川は、ここで、「キャラメル・ママ」のメンバーの松任谷正隆と会っているんですね。
2)スタジオ・ミュージシャンとして活躍
ソロ活動後に、スタジオ・ミュージシャンになります。
(ソロアルバム あまり売れなかったのではないでしょうか?)
Part3(リンク)で、ご紹介した石川鷹彦との交流があります。
スタジオミュージシャンとして、先輩スタジオミュージシャンの石川鷹彦のところ出入りしています。
(余談ですが、ここで、石川はビートルズが好きだと言っています。これ意外でした。)、
石川は、当時ニッポン放送のフォーク番組をやっていました。
松任谷正隆から電話が吉川にあります、レコーディングを手伝ってくれ。
イルカの『なごり雪』のレコーディングでの演奏です。
➡動画の26:12あたりになごり雪 実演があります。
〇イルカの なごり雪 (シングルバージョン)
https://youtu.be/xuslPcCOkKY
編曲は松任谷正隆
実は、Part4(リンク)でご紹介したように、アルバムバージョンは石川鷹彦が弾いています。
ちょうどいいので、石川鷹彦と比べてみましょう。
〇なごり雪 (アルバム・バージョン)
https://youtu.be/e8QMCjV0R1k
編曲は、石川鷹彦
曲のできあがりは、シングル盤の方がいいですね。
●僕の吉川忠英
ここから、もう少し、吉川忠英を深堀したいと思います。
まずは「ギタリスト、スタジオ・ミュージシャン」。
1.ギタリスト、スタジオ・ミュージシャン
まずは、なんといってもこの人
初期のユーミン サウンドには、「キャラメルママ」とともに、吉川忠英のギターは欠かせない存在だったと思います。
まず、ユーミンから吉川を聴いてみましょう。
●ユーミン
1)やさしさに包まれたなら 1974年
「アルファスタジオ」で録音されています。
〇『やさしさに包まれたなら』
https://youtu.be/N-uCT3jGEMs
松任谷からアコースティック・ギターについてリクエストがあったといいます。
「これはアルペジオでとか、ストロークで、とか」。
楽器指定も、「ギブソンはだめ、マーチンにして」と。
やはり、ギブソンは骨太の音ですし、マーチンは繊細です。
『やさしさに包まれたなら』、『なごり雪』は「マーチンD35」で演奏されています。
ユーミンはこんなことを、2022年11月号の「GUITAR MAGAZINE(ギター・マガジン)」「1 ユーミンとギタリスト」で語っています。
「やさしさに包まれたなら」の吉川のギターは、凄く優しくて繊細で、あの質感がないことには、曲がなりたなかった。
「吉川のギターは『スタンダード性がある』」
「出だしの『ジャンララ~ン』のとこだけ、売りたいですよね。(笑)特許取りたいですよ。(笑)」
それに対して、吉川忠英はいいます。「ユーミンの曲は、このメロディにはこの音を使ったらカッコいい、と思いつく。」
2)アルバム紅雀(1978年)
次は、アルバム「紅雀」。
このアルバム、銀座音響ハウスで録音されています。
僕のユーミンアルバムの中でお気に入りの一枚なのですが、あまり日の目をみないアルバムですね。
このアルバムの中で吉川忠英は「Ted.M.Gibson」という変名を使っています。
それで、僕は今回まで、このアルバムに吉川が参加していたのを知らなかったのです。
コロンビアから本名のクレジットをいれないでくれと言われたといいます。
このアルバムから、2曲目の『ハルジョオン・ヒメジョオン』を聴いていみましょう。
〇.「ハルジョオン・ヒメジョオンーErigeron Philadelphicus, Erigeron Annuus
ユーミンの途中ですが、また長くなってしまいました。
次回「吉川忠英 ②」ではアルバム「紅雀」から、他の曲も聞きたいと思います。
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