「何でも屋」古関裕而 :古関裕而 Part3 | 懐かしエッセイ 輝ける時代たち(シーズンズ)

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懐かしい’60s’70s’80s
ひときわ輝いていたあの時代の思い出のエッセイ集です。
毎週土曜日更新予定です。

今日は。
 
 先日、NHKニースで、さいとう たかを『ゴルゴ13』が新型コロナウイルスの影響を受け、「ビッグコミック」5月9日号を最後に当面の間「休載」するとの報道がありびっくりしました。
 連載52年の歴史の中で初めて休載です。10数人のスタッフで作画するため、「3密」の作画過程を維持することが困難との理由でした。
 そのNHKも4月から開始されたアニメ『キングダム3』が5月4日からしばらく延期となっています。こちらもアニメの制作のスケジュールに新型コロナの影響がでています。
 アニメ『サザエさん』も本日5月17日放送分から、暫く再放送の話を使用するそうです。
 本当に早く、コロナ禍がおさまってほしいと切に願います。
そんな中、一部緊急事態宣言が緩和の方向に進んでいますが、皆様「3密」にくれぐれもご注意ください。
 
 
 
<「何でも屋」古関裕而 
                  :古関裕而 Part3>
 
  古関裕而のPART1は『モスラ』(リンク)中心に、PART2は『ドカベン』(リンク)中心に古関裕而の音楽をご紹介しました。
ところで、その作曲者の古関裕而ですが、僕は古関のプロフィールなど詳しく知りませんでした。
 古関裕而という人はいったいどんな作曲家だったのでしょうか?
 
●NHK「らららクラシック」2020年4月10日放送

   さすがに朝ドラ「エール」のNHK、時を同じにして、同じNHKの「らららクラシック」で、古関裕而を特集していました。 
 
 音楽評論家の片山杜秀によると、古関裕而は日本の民衆・大衆に受ける音楽はどんなものか研究しつくした音楽家で民衆の琴線に絶対触れるように創ったと言っています。
 古関裕而は生涯五千曲以上作曲し演劇やミュージカルからありとあらゆる音楽を創ったといいます。
 クラシックとポピュラー音楽に又にかけています。

 古関は映画音楽でも沢山仕事をしていて、この評論家の一番好きな曲は『モスラ』で、この評論家に『モスラ』がすみこまれているといいます。
 どうりでこの評論家の話がスート僕に入ってくるわけです。
 『モスラ』の『モスラ横田基地進撃』はストラビンスキーの影響を受けていて、たいへん上手な音楽を付けているといいます。
 少し、この番組から古関の人生を紹介してみます。
  1分12秒あたりから、モスラの映像が出てきます。
*すみません、動画の埋め込みができません。
 
1.独学でクラシックを勉強
 明治42(1909)年福島に生まれた彼は、山田耕筰が書いた本で独学で音楽を学びました。
 フランスやロシアの音楽にのめり込んだといいます。

 高校卒業後、銀行に就職後、夜な夜な作曲をしていました。
 英国から取り寄せた音楽雑誌で見つけた国際コンクール(ストラビンスキーが主宰した)に応募し、『竹取物語』が入賞します。
 ここらへんは、テレビ「エール」でも、5月2週の放送で、面白おかしく紹介していますね。
  入賞の結果、費用を前面免除の条件で古関は渡英するはずでしたが、残念ながら留学の夢はかないませんでした。
 このドラマでは、留学中止の理由は世界経済不況のためと言っていました。
 
2.レコード会社専属
 東京に出てきた古関は、山田耕筰の推薦で、レコード会社(コロンビア レコード)の専属作曲家になり、流行歌を作曲しました。
 最初のレコード『福島夜想曲(セレナーデ)』竹久夢二の作詞で、たまたま竹久が福島で展覧会を開催していて、そこに竹久が書いた詩に曲を付けています。?
 しかし、全然売れませんでした。
 クラシックを意識して作曲したため、大衆に受け入れられなかったといいます。
 残念ながら『福島夜想曲(セレナーデ)』の動画をネットで見つけられませんでした。

 同じレコード会社の古賀政男『酒は涙かため息か』などのヒットを連発していました。
 古関はどうしたら大衆に買ってもらえるかを模索したといいます。
 
 3.国民的ヒット
 昭和12年?日中戦争が勃発し、♪勝ってくるゾと勇ましく~の『露営の歌』が国民的ヒット。
 この後は、映画の主題歌『暁に祈る』や映画『決戦の大空へ』主題歌『若鷲の歌』(♪若い血潮の予科練の~)がヒット。
 『若鷲の歌』を聞いて、多くの若者が、予科練を志願し、この曲を聴きながら南の島に飛び立つという手紙を頂いたといいます。
 インタビューで、古関はこの手紙に胸が痛んだと話しています。
 そういう背景で『長崎の鐘』(昭和24年 サトウハチロー作詞)を作ったといいます。
  原爆でなくなった方々、戦争で亡くなった大勢の人々の霊を慰めるレクイエムとして。

  ○長崎の鐘
   https://www.youtube.com/watch?v=z-000VudpMg
  
 
   こんな曲も作曲していました。
  〇愛国の花
  https://www.youtube.com/watch?v=CsVgtF6KvgY
  
  これをNHKの別の番組で、この動画ではないのですが、女声合唱で聞いた瞬間に、綺麗な曲だなと思いました。
 古賀政男は一人で歌う歌を作ってきましたが、古関は山田耕作のように、クラシックの延長線上に、みんなで歌える歌を作りました。
 ひとりでなく、みんなで声をそろて歌う歌が社会・国家で望まれる時に、古関裕而の本領が期せずして発揮されてしまったのは、古関にとって不運でした。
 
 4.戦後の活躍
 戦後は、古関裕而が持っている人を元気にして駆り立てていく力、日本の社会を明るくしている音楽を、彼なりをスタンスを崩さず創りました。
 古関は新しい放送メディアで大活躍しました。
 ラジオドラマ『鐘が鳴る丘』(昭和22年~25年)の主題歌『とんがり帽子』菊田一夫 詩)、♪緑の丘の赤い屋根 とんがり帽子の時計台♪は  子どもと大人に大人気。
 
  ○『とんがり帽子』
    https://www.youtube.com/watch?v=-aTnZXZ0yFw
   

 昭和24年のラジオ番組「農家の憩い」のテーマ曲として作曲された『ひるのいこい』のテーマ曲は現在でもラジオ「ひるのいこい」で使われています。
 農村や田舎の風景を思わせる、のどかな曲「ひるのいこい」を聞いてみましょう。
 
  ○ひるのいこい
   https://www.youtube.com/watch?v=9QLuvzjLlQo

 そして昭和28年からのテレビの台頭時には、『NHKスポーツ放送テーマ曲 スポーツショー行進曲』(昭和24年に最初の録音)がテレビやラジオに流れました。
 
  ○「NHKスポーツ放送テーマ曲 スポーツショー行進曲』
    https://www.youtube.com/watch?v=5b2GPpzzjHg
 
この曲明るく、あーこれから野球が始まるという、実際はいろいろなスポーツに使用したと思いますが、気持ちになりましたね。
 
 5.生涯五千曲の「何でも屋」:自己を語る
  作曲数は五千曲に上るとご本人が言っています。
  正確な情報ではないのですが、あの現代のヒットメーカーの筒美京平(リンク)が、数年前に三千曲?作曲といっていますので、その凄さがわかります。
  
  そしてこんな曲にも関係していました。
 
  ○別れのワルツ
   https://www.youtube.com/watch?v=C1TI4qc765M
  デパートなど閉店前に流れる『別れのワルツ』。
  スコットランド民謡「オールド・ラング・ザイン」を「ユージン・コスマン」というペンネームで編曲しています。
  ネットの情報で恐縮ですが、動画元の「Taka Michi93」さんによると、
  
 「この曲は四拍子の「オールド・ラング・ザイン」をワルツ風にアレンジしたもの。
 『 ウォータールー橋』を映画化した『哀愁』(日本公開1949年)のなかで使われた曲。
  第1次大戦に従軍した 英国将校とバレリーナが、空襲下のウォータールー橋でめぐり逢い結ばれぬ悲恋の物語。
   二人が踊るラスト演奏にこの曲が用いられ、見る人の心にそのシーンを深く印象づけた。
  当時、音源を持っていなかったレコード会社は、作曲家・古関裕而に採譜・アレンジを依頼し、古関裕而の名をもじってユージン・コスマン(Eugene Cosmann)楽団の名で発売した。
  当時の人々は、外国録音の音盤だと信じて疑わなかった。」
とあります
 
 童謡・歌謡曲・行進曲そしてシンフォニー、オペレッタやオペラも書きます。校歌があり会社の社歌も書いていて、古関は自分のことを「何でも屋でございます。」と言っています。
 その「何でも屋」には、PART2でご紹介したアニメ『ドカベン』の挿入歌が晩年追加されます。
 古関裕而記念館のホームページに作曲した校歌の一覧がありました。
 ちょっと見てみましょう。
 ○校歌一覧(リンク)
 https://www.kosekiyuji-kinenkan.jp/person/school/index.html
   
 
 ご存じの通り、テレビ番組「エール」は「応援」という意味です。
 たくさん歌や応援歌や社歌を作曲して、多くの人を応援してきた人なのですね。
 
 6.どんな人だったの?
 
  古関裕而の人間性については、現在放送中に番組「エール」にお任せしましょう。
 ひとつだけ、1975年放送の「ビッグショー 古関裕而~青春 涙 哀愁」をアナウンサーと萩本欽一が懐かしむ番組「あの時 あの時 あの番組」(NHKも5月3日に放送)からご紹介します。
 なんと萩本欽一と古関裕而の家は近所だったといいます。
 古関裕而と奥さんが散歩するのをよく見て、挨拶を交わしたといいます。
 古関は萩本が司会をした『オールスター家族対抗歌合戦』(フジテレビ)で近江俊郎、立川清登らと一緒に審査員していたといいますが、この番組は知っていても、古関はあまり記憶にありません。
 もっとも、萩本が、あまり番組でしゃべらなかったいっていますので、仕方ないかもしれません。
 蔵出しのNHKの放送を見て、こんなにしゃべる古関を初めてみたと言っています。
 
 ●クラシック
  冒頭に少し書きましたように、実は、古関裕而はクラシック作品も作曲しています。
 ウイキペディアに下記の曲がありました。
 
 交響曲(第1番から第3番の3曲)
 ヴァイオリン・チェロのための協奏曲
 五台のピアノのための協奏曲
 一茶の句による小品童曲
 和歌を主題とせる交響楽短詩
 舞踊組曲「竹取物語」
 舞踊詩「線香花火」
 交響詩「大地の反逆」
 管弦楽組曲「戦場の印象」
 室内管弦楽曲「亡き愛児に捧ぐる歌」
 
 『室内管弦楽曲「亡き愛児に捧ぐる歌」』は「らららクラシック」で聞きましたが、他の作品は聞いたことはありません。
『管弦楽組曲「戦場の印象」』はタイトルから興味があります。

 「クラシックも作曲しています」というより、もともと、冒頭に書きましたように、クラシック音楽家を目指し、ストラビンスキーに、『竹取物語』で認められて、費用を持ちで英国に留学する予定でした。
 クラシックが本当は書きたかったのでしょうが、家の窮乏を救うために、食うために、歌謡曲を作曲せざるを得なかった。

 古関裕而のクラシック作品はあまり、有名ではないようです。
 ネット検索しても曲の動画は出てきませんでした。
  古関裕而は、自身が言うように、なんでも作曲しました。
 ただ彼が本来書きたかったと思われるクラシック系の音楽にスポットが当たっていません。
 朝ドラ「エール」をきっかけに、古関のクラシック作品が聞かれるようになるといいなと思います。