良いもので満たす方、成し遂げる方 | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「自分の畑を耕す者は食糧に飽き足り、むなしいものを追い求める者は思慮に欠ける。悪者は、悪の網を張るのを好み、正しい者の根は、芽を出す。悪人はくちびるでそむきの罪を犯して、わなにかかる。しかし正しい者は苦しみを免れる。人はその口の実によって良いものに満ち足りる。人の手の働きはその人に報いを与える。愚か者は自分の道を正しいと思う。しかし知恵のある者は忠告を聞き入れる。愚か者は自分の怒りをすぐ現わす。利口な者ははずかしめを受けても黙っている。真実の申し立てをする人は正しいことを告げ、偽りの証人は欺き事を告げる。軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす。真実のくちびるはいつまでも堅く立つ。偽りの舌はまばたきの間だけ悪をたくらむ者の心には欺きがあり、平和を図る人には喜びがある。」

箴言12章11-20節

 

良い木からは良い実が実る、そのために一生懸命に耕し、肥料を与える存在がいる。また天候などを司りながらやがて実を実らせていく…私たちのいのちって自分の力だけではどうにも生きることはできないんですよね。色んな人が助けてくれているということは何となく皆さんもわかると思いますが、それ以上に全ての背後、私たちのいのちのうちに、私たちをつくられ、いのちを与えてくださった神様がおられ、私たちを日々耕し、よいものを得られるようにしてくださっている、良いもので満ち足らして下さっている。何と感謝なことでしょう。自分ですべてを開拓しているように見えて、そのうちに確かに神様が働かれている。私たちのいのちを自分で耕すか、世に耕させるか、それとも?神様はあなたのいのちを良いもので満たすため、この畑に埋まっている様々なものを掘り起こし、肥料、いのちを与えて癒し、回復させるべく、御子イエス様のいのちを惜しまず与えてまで取りもし命を与えてくださった。この神様があなたにもたらす素晴らしさはいかばかりか。今日この神様に委ねてみよう。神様があなたを新しくしてくださる、イエス様にある良いもので満ち足らせてくださるから。

 

さて、↑は古代イスラエル王国の3代目の王ソロモンに向けて神様が語られ示され、またそのソロモンを通して私たちに訴えかける箴言・神様のことばの続きになります。神様はこの箴言の最初の方で、「主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。わが子よ。あなたの父の訓戒に聞き従え。あなたの母の教えを捨ててはならない。それらは、あなたの頭の麗しい花輪、あなたの首飾りである」と示されていましたが、神様は親が子の幸せを願うように、私たちの幸せを願い、また良いもので満ち溢れさせたいと、惜しむことなくその愛ゆえの知恵・御心を働かれるのです。そんな父なる神様がおられる、神様が備えて下さる知恵、そこに現される御心。世が出どころなのではなく、あなたを愛してやまない神様から出ている、それに満たされに私たちはいつも行く、遜るものでありたいものです。

 

そんな神様はさらにソロモンに、また彼を通して「自分の畑を耕す者は食糧に飽き足り、むなしいものを追い求める者は思慮に欠ける。悪者は、悪の網を張るのを好み、正しい者の根は、芽を出す」と語り示されます。

 

「食料に飽き足りる」、食料に困ることがある意味ではない、それは感謝なことですね。このことば自体に色んな意味があるのですが、深堀し過ぎて肝心な感謝を忘れることがないよう先に申し上げておきますが、神様は私たちに食べるものを備えて下さっている。もちろんそれを自分の利益などを考えて止めてしまう人もいますが、逆に誰かの心に働きかけて、食糧支援をする人だっている。そうして神様は食べさせてくださるのです。イエス様も「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか」と仰られましたよね。空の鳥をも養う神様はあなたをも養ってくださります。

 

ある映画で例えられていたのですが、雨がずっと降らずにいる時、雨が降るのを信じて畑を準備するのか、それとも雨が降ってからはじめて畑の準備をするのか。収穫をまさに得るのは雨が降る前から降るのを準備していた人ですよね。私たちは自分の畑、自分のいのち、日々に何の収穫を見ない日があるかもしれません。農作物だけではなく。しかし神様が私たちを養ってくださる、全ての必要を満たして下さる、収穫を得させてくださるよう助けてくださる神様を待ち望んで祈るか。神様の畑からの収穫を待ち望むなら、「満ち足りる」ことはあっても「飽き足りる」なんてことはないでしょう。他の何かが必要だ、と貪るように他の何かを求めないと満ち足りない、何てことがない神様の完全な知恵・御心がそこに現される。

 

神様から十分な富もすべてが与えられていたはずのソロモン、この箴言を神様から示されながら、彼は別な畑、国々に自分の富を満たすもの、欲を満足させる何かを求めていったり、700人の奥さんと300人の妾を持つなどした結果、結局は本物の神様の恵みを失ってしまったというのは何とも皮肉な話ですが。しかし神様がくださるものはそんなにすぐに飽きるものなのでしょうか?質の低いものなのでしょうか。もっと神様のくださっている食べ物、恵みを味わってみませんか?虚しいものを追い求め、自分のこうあるべき、とかそういう理想を収穫しようとして苦労するのではなく、神様の御心がその関係や、時間、何かの役割の内に現されることを祈り、また示されたことを実行する。その時、神様があなたに収穫させてくださる神様産の食べ物、良いものを得るのではないでしょうか。

 

「悪者は、悪の網を張るのを好み、正しい者の根は、芽を出す」、今色んな詐欺がある事から分かりやすいかと思いますが、あまり悪者は悪者と名乗らないんです。サタンもそうですよ?サタンが自分はサタンです、なんて名乗ってきたら、警戒するでしょう?下手をすれば御使いのような姿できたり、聞いてみると正しく聞こえるようなことを言ってきたり、見せたりしてくるんです。そうしてイエス様を誘惑してきたこともありましたしね。私たちがこれなら儲かる、楽だ、うまくいく、そう思う中で私たちから神様の恵みを搾取してくるんです。神様に頼らなくても自分に従えばこんなにいいものをあげよう、とか。ほら神様は何もくれずに空腹にする(心をむなしくさせるとかそういう意味合いもある)じゃないか、と言って別な何かを求めさせてくる。でも、神様はあなたをそうした網にとらわれてもがく、そんな状態にある事を望まず、むしろその芽を出し、良い収穫を得させてくださるのです。

 

え?神様が何をくれるの?この世界は神様がそもそも創られたものですし、全ては神様から来ているんです。私たちが当たり前のように得ているもの、使っているもの、食べているもの、着ているもの…すべては神様があなたを養い与えてくださっている、その中であなたにも与えられているのです。何か特別に見える事だけが神様がくださっているものなわけではなく、神様は全ての良いものを私たちに与えてくださっている。あなたに良いものを、と誰かを遣わして助けて下さったり、心身ともに満たす何かを与えてくださっている、これを神様からのものと信じて受け取って食べるか、いやこんなものは信じても意味がない、と言うか。でも食べなければ、もしくは実際にあなたの畑に神様が収穫させてくださったものを食べなければ栄養にも何にもならないでしょう?神様はあなたに備えて下さっている、これを食べ、味わっていますか?

 

さらに↑で「悪人はくちびるでそむきの罪を犯して、わなにかかる。しかし正しい者は苦しみを免れる。人はその口の実によって良いものに満ち足りる。人の手の働きはその人に報いを与える。愚か者は自分の道を正しいと思う。しかし知恵のある者は忠告を聞き入れる。愚か者は自分の怒りをすぐ現わす。利口な者ははずかしめを受けても黙っている。真実の申し立てをする人は正しいことを告げ、偽りの証人は欺き事を告げる。軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす。真実のくちびるはいつまでも堅く立つ。偽りの舌はまばたきの間だけ悪をたくらむ者の心には欺きがあり、平和を図る人には喜びがある」と示されていますね。

 

唇でのそむきの罪、まあ嘘とかそういうのがわかりやすいかと思いますが、嘘をついてその場を免れようとしても、いつかは追い込まれます。先程の話と合わせて考えますと、自分の畑、いのち、日々、関係の中に嘘の種を蒔いても何も良いものを得られない。虚しさが残り、満たされない。でも、嘘の反対、真実を私たちが追い求める、神様の真実がここに現わされる、御心が現わされる、御力が現わされることを信じて、あなたの唇で神様に祈る、その中に神様の良い御心、愛、その知恵によるご計画で満たされるのです。あなたをだます悪者やサタンの計画ではなく、あなたを愛する神様の計画が。

 

神様は真実を告げますから、時に厳しい忠告に聞こえる事があります。おそらくずっと、この箴言を分かち合ってきている中で耳に痛いな、という言葉がたくさんあったでしょう。私もです。ソロモンは残念ながらその耳に痛いことを受け入れずに失敗しました。しかし、神様のその真実はあなたを欺き、悲しみに陥ることを望まないゆえにその真実を告げられる。いのちの内に生きてほしい、向きを変えるべきならその道を示されるのです。あなたを突き刺し傷つけるのではなく、あなたを癒すためにそのことばを語られる。でも語られるだけではなくそれによってあなたの内に良い種を蒔いて下さり、実を結ばせてくださるのです。あなたの畑に神様が種を蒔き、耕し、実を結ばせてくださるのです。

 

神様は、神様から離れて平和な関係を失い喜びを失ってしまった、疲れ果て枯れてしまう私たちにもう一度喜びをもたらすために、本来私たちが罪ゆえに刺し貫かれなければならないその刑罰を御子イエス様に身代わりに背負わせ、十字架にかけ、罰し、死なせたのです。何の苦しみを負う必要のないイエス様があなたのために。あなたの負っている重荷や痛みなどすべてと共に。しかし3日目にイエス様をよみがえらせてくださったことによって、このイエス様の十字架の御前に罪を悔い改め立ち返る全ての罪を赦し、神様の子として受け入れてくださる、迎え入れてくださるのです。神様があなたを完全に癒し、満ち足らせるべく、回復させるべく、御子イエス様のいのちを惜しまず与えてくださったのです。

 

神様の偽ることのない愛、真実な愛がイエス様にあって現されました。このイエス様の十字架、いのちにあって結ばれた関係にいったい何の不満を持つ必要があるでしょう。それがだめというならこれ以上何をしたらいいのでしょう。何の罪もない、神の御子イエス様が、神様から好き勝手に離れていった私たちのためにいのちを捨てる、これ以上の愛が一体どこにあるというのでしょう。そこまでされてまで愛された神様がどうしてあなたを欺くことがあるでしょう。このイエス様の十字架にあって現された畑から取れるものはいかばかりか。これによって満ち足りさせてくださる、注がれている、与えられている収穫物はいかばかりか。これを私たちは味わいつくそう。貪欲に神様を求めよう。神様にある知恵・御心を求めよう。その中に確かに神様があなたを癒し、またその御心によってあなたを堅く立たせてくださるから。

 

「主は真実な方ですから、あなたがたを強くし、悪い者から守ってくださいます」とパウロも言っていますが、確かに神様はこのイエス様にあって真実な愛を現された、この方が真実を行われ、私たちは神様の御力によって強くされる。今日あなたの畑、いのち、日々の内に神様の力強い真実、御心が現わされることを祈ろうではありませんか。