とある兄弟のけんか | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

幼い男の子が兄と喧嘩をしてふくれていました。兄が仲直りをしようとしましたが、彼は耳を貸そうとしませんでした。実際、その子は一日中、兄と口をききませんでした。

 

やがて寝る時間がやってきて、母親は

「寝る前にお兄ちゃんを赦してあげたら?『怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません』(エペソ4:26)と聖書に書いてあるでしょう」

と言いました。

 

その子は困った顔で少し考えた後にこう言いました。

「でも、どうやって日が沈むのを止めればいいの?」

 

この男の子のようなクリスチャンがいます。だれかのことを怒っていて恨みに思っています。その不寛容な態度を指摘され、きちんと仲直りしなさいと注意されると、あれこれ言って問題の核心を回避し、聖書の明確な教えに従うことを拒絶します。

 

確かに、私たちには他人を変えることはできません。しかし、自分自身がどのような態度を取るかについては責任があります。聖書は語ります。

 

「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦して下さったように、互いに赦し合いなさい。」
(エペソ人への手紙4章32節)

 

私たちは、太陽が沈まないようにすることはできません。けれども、日が暮れるまで憤っていないことはできます。つまり、赦さなければならないということです。

神を知っていればへりくだる。自分を知っていれば誇れない。

 

気持ち、わかります。

でも、「罪を犯す」の本質は神様にゆだねず、信じないこと。

太陽を沈むのを神様は止めることはできますし、実はしたこともあります。

あなたの問題を神様にゆだねる。神様はあなたに恵みを注ぎたいのです。

喧嘩じゃなくても、うまくいかない仕事や人間関係でもそうです。

今日、神様にゆだねる決断をしましょう。

神様は、御子イエス様のいのちをあなたに差し出すという決断と実行をもってあなたと和解しようとするほどに愛されているのですから。

神様はイエス様のいのちをもって怒りを鎮め、あなたを赦し、あなたに新しい御心・親切?をなされるから。